国家公務員試験に合格すれば、誰でも国家公務員になることができます。また会社の取締役会で代表取締役に選任されれば、誰でも社長になることができます。そして、国会の首班指名を受けて天皇に任命されれば、誰でも内閣総理大臣になることができます。しかし、天皇は試験に合格したり、誰かが決議したり、誰かが任命したりしてなるものではありません。
天皇になることを即位(そくい)といいます。即位の時期は時代とともに変化してきました。
古くは天皇の崩御(ほうぎょ)(天皇が亡くなること)によってのみ皇位の継承がおこなわれましたが、六四五年に皇極(こうぎょく)天皇が生前譲位(せいぜん・じょうい)(生前に天皇の位を譲ること)をしてからは、譲位の道が開かれ、以降多くの例を数えます。
しかし、明治天皇から現在まで、譲位の例はありません。明治時代に成立した皇室典範は、皇位継承は天皇の崩御によってのみ行われることを規定し、以降、譲位による皇位継承は行われなくなりました。昭和二十二年に皇室典範は廃止され、新たな皇室典範が制定されましたが、皇位継承の時期については旧法を引き継いでいます。
また、即位の方法も時代とともに変化しています。ただ、天皇が天皇になるためには、特別な儀式をいくつも経なければいけないことに変わりはありません。
天皇になることを、古い言葉で「践祚(せんそ)」といいます。践祚とは、「皇位を践(ふ)む」ことで、具体的には天皇が天皇であることの証「三種の神器」を継承することがその趣旨です。(三種の神器については、第7回「皇位のしるし・三種の神器」、第15回「神器各論@八咫鏡」、第18回「神器各論A草薙剣」、第22回「神器各論B八坂瓊曲玉」参照)
古くは践祚をもって天皇に即位したことになっていましたが、桓武天皇以降は、践祚の儀の後に、日を隔てて即位の儀を行うようになり、現在に至ります。
践祚の儀が神器の継承でしたが、即位の儀は、天皇に即位したことを広く内外に示すことを趣旨とします。
践祚の儀と即位の儀を済ませると、一応形上は天皇に即位したことになりますが、実はまだこの段階では、本当の天皇ではありません。
本当の天皇になるには、もうひとつ絶対に避けて通れない重要な儀式があります。それが「大嘗祭(だいじょうさい)」です。
江戸期までは旧暦十一月の二回目の卯(う)の日、明治以降は新暦の十一月二十三日に毎年、新嘗祭(にいなめさい)という宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)が行われていますが、天皇に即位して最初に行われる新嘗祭を、特に「大嘗祭」と呼び、通常の新嘗祭とは区別しています。大嘗祭は天皇一代につき一回限りの祭りです。
この大嘗祭を行うことで、天皇の体に天皇霊が宿ると考えられています。それによって天皇が天皇になるわけです。そして、その天皇霊とは、有力説によれば、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫で、天孫降臨(てんそんこうりん)した邇邇芸命(ににぎのみこと)の御霊(みたま)であるとされています。ですから、歴代の天皇には、同じ御霊が宿っていることになります。(邇邇芸命については、第47回「天孫降臨(古事記、第十四話)」参照)
大嘗祭は、大嘗祭のために建てられた悠紀殿(ゆきでん)と主基殿(すきでん)という建物の中で行われます。それぞれ皇祖の天照大御神をお迎えする神座に御膳をお供えし、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を感謝し、国家と国民の安寧を祈念するお告文(つげぶみ)を天皇が読み上げ、天皇が神と共に御膳を食する直会(なおらい)をすることにより、天皇が神と一体になると考えられています。
したがって、三種の神器を継承する践祚の儀を行った段階で形式的に即位したことになり、次に即位の儀を行った段階で、社会的な意味における天皇が成立し、そして最後に天皇の体に天皇霊を宿らせる大嘗祭を行って、宗教的な意味における天皇、つまり本質的な天皇が成立するのです。
践祚の儀、即位の儀、大嘗祭の三つの儀式を通じて、段階的に天皇の即位が成立することになります。
ところで、今上天皇は、昭和六十四年一月七日に昭和天皇が崩御あそばした日に、践祚の儀に当たる「剣璽等継承の儀(けんじとう・けいしょうのぎ)」を済ませられ、践祚あそばしました。
そして、一年間は昭和天皇の喪(も)に服され、その喪が明けた平成二年十一月十二日に即位の儀に当たる「即位の礼」で、天皇に即位されたことを広く示され、そして同年十一月二十二日夕方から二十三日未明にかけて大嘗祭を済ませられました。
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第07回、皇位のしるし「三種の神器」
第15回、神器各論@八咫鏡
第18回、神器各論A草薙剣
第22回、神器各論B八坂瓊曲玉
第47回、天孫降臨(古事記、第十四話)