皇室のきょうかしょ 皇室のあれこれを旧皇族・竹田家の竹田恒泰に学ぶ!
vol.67 皇后選定(古事記、第二十一話)
 伊波礼毘古命(いわれびこのみこと)は、即位して神武天皇(じんむ・てんのう)になる前、九州の日向(ひむか)(現在の宮崎県)の地にいたとき、すでに結婚していて、二人の御子がいました。
 その相手は、阿多(あた)の小椅君(おばしのきみ)の妹(いも)の、阿比良比売(あひらひめ)です。
 (阿多は現在の鹿児島県加世田(かせだ)市周辺、小椅君は阿多隼人(あたのはやと)の一族)
 そして、二人の間に生まれた御子は、多芸志美美命(たぎしみみのみこと)と岐須美美命(きすみみのみこと)といいます。
 しかし、即位した後、更に大后(おおきさき)(正式な皇后)とすべき美人(おとめ)を求めていると、大久米命(おおくめのみこと)が次のようにいいました。

 「このあたりに媛女(おとめ)がいます。神の御子というべき媛女(おとめ)です。その理由は、三島湟咋(みしまのみぞくい)(摂津国三島郡・現在の大阪府茨木市に溝咋(みぞくい)神社がある)の娘の、勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)は、その姿かたちはとても麗美(うるわ)しく、三輪山(みわやま)の大物主神(おおものぬしのかみ)が一目見てすっかり気に入ってしまいました。その美人(おとめ)が大便(くそ)をするとき、大物主神は赤く塗った矢に化けて、美人(おとめ)が大便(くそ)をするその厠(かわや)の溝を流れ下って、その美人(おとめ)の陰(ほと)(性器のこと)を突きました。するとその美人(おとめ)は驚いて立ち上がって走り、あわてふためきました。すぐにその矢を持ってきて床に置くと、矢はたちまち麗(うるわ)しき壮夫(おとこ)になりました。そして、大物主神がその美人(おとめ)を娶(めと)って生んだ子の名は、富登多多良伊須須岐比売命(ほとたたらいすすきひめのみこと)といい、またの名を比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)といいます。(これは陰部(ほと)という言葉を嫌い、後に改めたものです)このようなわけで、「神の子御子」というのです。」

 ところで、勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)の「たたら」というのは、鉄を作るときに足で踏んで空気を送る大型のふいごのことです。ここから、勢夜陀多良比売の出身が、製鉄と関係があったと考えられます。古代の日本にとって、製鉄は王権の運営にとって非常に重要な産業でした。

 さて、七人の媛女(おとめ)が高佐士野(たかさじの)(所在地不明)で遊んでいました。その中には伊須気余理比売(いすけよりひめ)もいました。そこで大久米命(おおくめのみこと)がその伊須気余理比売を見ると、次のような歌を詠(よ)んで天皇(すめらみこと)に申し上げました。

 「倭(やまと)の 高佐士野(たかさじの)を 七行(ななゆ)く 媛女(おとめ)ども 誰(た)れをし枕(ま)かむ」
 (大和(やまと)の高佐士野(たかさじの)を行く七人の乙女(おとめ)たち。その誰を妻としましょうか。)

 伊須気余理比売は、その媛女(おとめ)たちのなかでも一番前に立っていました。そこで天皇はその媛女(おとめ)たちを見て、心の中で伊須気余理比売が先頭に立っているのを知って、答えて詠んだ歌は、

 「かつがつも いや先立(さきだ)てる 兄(え)をし枕(ま)かむ」
 (まあまあ、先頭に立っている年上の子を抱いて寝よう)

 ここで大久米命が天皇の命令によって、その伊須気余理比売に伝えると、伊須気余理比売は大久米命が目じりに入墨をしていて、目が黥(さ)けるように見えたので、それを奇妙(きみょう)に思って詠んだ歌は、

 「胡燕子鶺鴒(あめつつ) 千鳥(ちどり)ま鵐(しとと) など黥(さ)ける利目(とめ)」
 (アマ鳥・ツツ鳥・チドリ・シトト鳥のように、どうして目尻(めじり)に入墨(いれずみ)をしているのですか。)

 すると、大久米命は、

 「媛女(おとめ)に 直(ただ)に逢(あ)はむと 我(わ)か黥(さ)ける利目(とめ)」
 (乙女(おとめ)にまっすぐに逢おうと思って、私は目尻(めじり)に入墨(いれずみ)をしているのです。)

 と答えました。これは一種の謎かけです。そして、伊須気余理比売は「仕え奉ります」と答えました。
 伊須気余理比売の家は狭井河(さいがわ)(三輪山近くの大神(おおみわ)神社の摂社(せっしゃ)である狭井(さい)神社の側を流れる川)の上流にありました。天皇は伊須気余理比売のところに出掛け、一夜を寝て過ごしました。
 後に伊須気余理比売が宮中に参内したとき、天皇が詠んだ歌は、

 「葦原(あしはら)の しけしき小屋(おや)に 菅畳(すがたたみ)いや清敷(さやし)きて 我が二人寝し」
 (葦原の荒れた小屋に、菅(すげ)で編んだ敷物を清らかに敷いて、我々は二人で寝たとき)

 こうして生まれた御子の名は、日子八井命(ほこやいのみこと)、次に神八井耳命(かむやいみみのみこと)、次に神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)の三柱です。

 さて、伊須気余理比売の父の大物主神は、出雲国譲り神話で、天つ神の御子に葦原中国(あしはらのなかつくに)(地上世界のこと)を譲ったあの大国主神(おおくにぬしのかみ)(第43回、古事記十三話)の分身とされています。そして、大国主神は須佐之男命(すさのをのみこと)の六世孫にあたります。
 ということは、神武天皇と伊須気余理比売の結婚は、極めて重要な意味を持ちます。なぜなら、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が高天原から須佐之男命を追放(第25回、古事記六話)して以来、神の系譜が高天原系と出雲系に別れていたところ、二人の結婚により、この二つの系譜がひとつに統合されたことになるからです。
 神武天皇が太陽の神、海の神、そして山の神の血筋を引き、そして結婚により二つに分断された神の系譜を統合させたということは、天皇は神の世と人の世の接点に位置することを意味します。天皇のことを「現人神(あらひとがみ)」ということがありますが、天皇が神と人の中間であることは、自然なことなのです。


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出典:「お世継ぎ」(平凡社)八幡和郎 著
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作家 プロフィール
山崎 元(やまざき・はじめ)
昭和50年、東京生まれ。旧皇族・竹田家に生まれる。慶応義塾大学法学部法律学科卒。財団法人ロングステイ財団専務理事。孝明天皇研究に従事。明治天皇の玄孫にあたる。著書に『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)がある。
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