皇室のきょうかしょ 皇室のあれこれを旧皇族・竹田家の竹田恒泰に学ぶ!
vol.61 神武天皇東征伝説@(古事記、第十八話)
 神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれびこのみこと)と、同じ母・玉依毘売命(たまよりびめのみこと)から生まれた兄の五瀬命(いつせのみこと)の二柱(ふたはしら)の神は、高千穂宮(たかちほのみや)で相談しました。
 弟の伊波礼毘古命は「一体どこに住めば、平和に天下を治めることができるでしょうか。東に行ってみませんか。」といい、日向(ひむか)(現在の宮崎県)を出発し、筑紫(つくし)(現在の福岡県)に向かいました。
 そして、豊国(とよのくに)の宇沙(うさ)(現在の大分県宇佐市)に着いたとき、そこに住む土着の人で、宇沙都比古(うさつひこ)、宇沙都比売(うさつひめ)の二人が、足一騰宮(あしひとつあがりのみや)(どのような構造か不明、一本足の宮という説もある)を作り、立派な御膳(みけ)を献上して、伊波礼毘古命と五瀬命をもてなしました。
 そして、二柱はその地から移り、次は竺紫(つくし)の岡田宮(おかだのみや)(現在の福岡県遠賀郡芦屋町の遠賀川河口付近と思われる)に一年間とどまりました。
 その後、阿岐国(あきのくに)の多祁理宮(たけりのみや)(現在の広島県安芸郡府中町付近と思われる)に七年、また吉備(きび)(現在の岡山県と広島県東部)の高島宮(たかしまのみや)(所在地不明だが、児島半島に「高島」という地名がある)に八年とどまりました。

 その地を出発してさらに東に向かおうとすると、速吸門(はやすいのと)(潮流が速い海峡のこと。明石海峡か。)で、亀の甲羅(こうら)に乗り、釣りをしながら羽ばたきくる人と出会いました。
 その人を近くに呼び寄せて、「あなたは誰か」と問うと、「私は国つ神だ」と答えていいました。また「あなたは海の道を知っているか」と問うと、「よく知っている」と答えていいました。そして「私に従い、仕える気はないか」と問うと、「仕え奉りましょう」と答えていいました。
 そこで棹(さお)を渡して、伊波礼毘古命と五瀬命が乗っている船に引き入れ、槁根津日子(さおつひこ)という名前を与えました。槁根津日子は後の倭国造(やまとのくにのみやつこ)の祖にあたります。
 そしてその地よりさらに東に進み、浪速の渡(なみはやのわたり)(現在の大阪湾の沿岸部)を経て青雲の白肩津(あおくものしらかたのつ)(所在地不明。大阪湾沿岸部のどこかと思われる)で船を泊めました。
 このとき、登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)が軍を興して待ち構えていたので、戦いになりました。伊波礼毘古命たちは御船に備えてあった楯(たて)を取って、船から降り立ちました。
 そこで、その地を名づけて「楯津」(たてつ)というのです。今(古事記が書かれた当時)、日下(くさか)の蓼津(たでつ)というところです。

 さて、那賀須泥毘古と戦ったとき、兄の五瀬命は、その手に敵の矢を負ってしまいました。そして五瀬命は、
 「我々は日の神の御子(みこ)として、日に向かって戦ったことが良くなかったのだ。そのため、賤(いや)しい奴(やっこ)に痛手を負わされてしまった。これからは、回り込んで、背に日を負って敵を討とう。」
 といって、南の方より回り込むように軍を進めたとき、血沼海(ちぬのうみ)に到って、傷ついた手の血を洗いました。それゆえに、「血沼海」というのです。
 そこからさらに回り込み、紀国(きのくに)(現在の和歌山県)の男の水門(をのみなと)に着くと、五瀬命は、
 「賤しき奴に手傷を負わされて死ぬことになるとは、、、、」
 とおたけびをあげると、その傷がもとで死んでしまいます。そこで、その水門を名づけて「男の水門」といいます。
 御陵(みはか)(墓のこと)は紀国の竈山(かまやま)(現在の和歌山市和田)にあります。

 兄を亡くした伊波礼毘古命は、それでもその地よりさらに回り進みました。一行が熊野村(くまののむら)(和歌山県新宮市付近と思われる。)に着いたとき、大熊(おおくま)が見えたり隠れたりして、そのうちいなくなったのですが、そのときからというもの、伊波礼毘古命は急に体調を崩し、床に臥せてしまいました。それだけではありません、従う兵士たちもみな具合を悪くしてしまい、寝込んでしまいます。
 ところがこのとき、熊野の高倉下(たかくらじ)(人名)がひと振りの太刀を持って、天つ神の御子(神倭伊波礼毘古命のこと)が臥しているところに行って、その太刀を奉ると、天つ神の御子はようやく起き上がり「長い間寝てしまった」といいました。
 そしてその太刀を受け取ると、何もしていなにのに、熊野の山の荒ぶる神は自ら切り倒されてしまい、臥せて寝込んでいた兵士たちは、ことごとく目を覚ましました。
 そういうわけで、天つ神の御子は、その太刀を得たいきさつを尋ねたところ、高倉下は次のように答えました。

 「私は不思議な夢を見ました。天照大御神(あまてらすおおみかみ)と高木神(たかぎのかみ)の二柱の神は、建御雷神(たけみだづちのかみ)をお呼びになってこう仰ったのです。
 『葦原中国(あしはらのなかつくに)はとても騒がしい様子である。私の子どもたちも苦しんでいるようだ。その葦原中国は、そもそもお前が説得して治めた国であるから、建御雷神、あなたが降っていきなさい。』
 すると、建御雷神は答えていいました
 『私が地上に降らなくとも、その国を平らげた太刀があれば治められるはずです。ですからその太刀を降ろすべきでしょう。この太刀を降ろす方法は、高倉下の倉の屋根に穴を開け、そこから落とし入れるのがよいでしょう。』
 こういうと、今度は私に、
 『朝に縁起よく目覚めたら、あなたが取り持って天つ神の御子に献上しなさい。』
 と仰いました。私は夢の教えのままに、朝になって自分の倉見てみると、本当に太刀がありました。それでこの太刀を差し上げたのです。」

 高倉下は、このように太刀を献上したいきさつを説明しました。
 この太刀の名は佐士布都神(さじふつのかみ)といい、またの名は甕布都神(みかふつのかみ)、またの名は布都御魂(ふつのみたま)といいます。この刀は石上神宮(いそのかみのかむやま)(現在の奈良県天理市・石上神宮)に鎮座しています。
 神倭伊波礼毘古命の戦いはこれから終盤戦に入っていきます。


関連記事
第05回、宇宙で一番はじめに現れた神(古事記、第一話)
第02回、「国生み」と「神生み」(古事記、第二話)
第13回、黄泉の国(古事記、第三話)
第17回、アマテラスの誕生(古事記、第四話)
第21回、アマテラスとスサノヲ(古事記、第五話)
第25回、天の岩屋戸(古事記、第六話)
第33回、因幡の白兎(古事記、第八話)
第35回、スサノヲとオオクニヌシ(古事記、第九話)
第37回、オオクニヌシの国造り(古事記、第十話)
第39回、葦原中国(あしはらのなかつくに)(古事記、第十一話)
第41回、建御雷神(たけみかづちのかみ)(古事記、第十二話)
第43回、出雲の国譲り(古事記、第十三話)
第47回、天孫降臨(古事記、第十四話)
第51回、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)(古事記、第十五話)
第55回、海幸彦と山幸彦(古事記、第十六話)
第58回、豊玉毘売(とよたまびめ)の出産(古事記、第十七話)


出典:「お世継ぎ」(平凡社)八幡和郎 著
皇室の系統図(クリックで拡大)

≪バックナンバー≫

 第60回  第59回  第58回  第57回  第56回  第55回  第54回  第53回  第52回  第51回  
 第50回  第49回  第48回  第47回  第46回  第45回  第44回  第43回  第42回  第41回  
 第40回  第39回  第38回  第37回  第36回  第35回  第34回  第33回  第32回  第31回  
 第30回  第29回  第28回  第27回  第26回  第25回  第24回  第23回  第22回  第21回  
 第20回  第19回  第18回  第17回  第16回  第15回  第14回  第13回  第12回  第11回  
 第10回  第 9回  第 8回  第 7回  第 6回  第 5回  第 4回  第 3回  第 2回  第 1回
作家 プロフィール
山崎 元(やまざき・はじめ)
昭和50年、東京生まれ。旧皇族・竹田家に生まれる。慶応義塾大学法学部法律学科卒。財団法人ロングステイ財団専務理事。孝明天皇研究に従事。明治天皇の玄孫にあたる。著書に『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)がある。
artist H.P.>>
ケータイタケシ

 ケータイでコラムも読める!

ケータイタケシ
URLをケータイへ送る