vol.58 豊玉毘売(とよたまびめ)の出産(古事記、第十七話)
海の宮殿で三年も過ごした山幸彦(やまさちびこ)は、ある日、大きなため息をつきました。兄の海幸彦(うみさちびこ)から借りた釣針をなくしてしまい、それを探すためにここにやってきたことを思い出したのです。
山幸彦が嘆く姿を見た豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)は、父の海神(わたのかみ)に「三年住んでいて、これまで嘆くようなことは一度もなかったのですが、今晩は大きく嘆いているようです。何かあったのでしょうか。」といいました。
そこで父の海神は、娘の婿に次のように問いました。
「今朝わが娘が『三年住んでいて、これまで嘆くようなことは一度もなかったのですが、今晩は大きく嘆いているようです。』というのですが、何か心配事でもあるでしょうか。またどうしてここへやってきたのかそのわけを教えてほしい。」
すると、山幸彦は海神に、兄から借りた釣針をなくしてしまい、それを返せと責め立てられている経緯をつぶさに語りました。
それを聞いた海神は、小さな魚から大きな魚まで、海の魚という魚を呼び集めて、「もしや釣針を取った魚はいるか?」と尋ねました。
すると、魚たちは「この頃、鯛が喉に何か骨のようなものが刺さって、ものが食べられないと愁(うれ)えています。ですから、これが取ったにちがいないでしょう。」といいました。
そこで鯛の喉を見てみると、やはり釣針が刺さっていました。海神は、早速取り出して洗い清め、山幸彦に釣針を差し出しました。
綿津見大神(わたつみのおおかみ)(海神のこと)は山幸彦に次のように教えました。
「この釣針を、あなたのお兄さんに渡すとき、次のようにいいなさい―『この釣針は心のふさがる釣針、心のたけり狂う釣針、貧乏な釣針、愚かな釣針』といって、後ろの手で渡しなさい。そうしてその兄が高い所にある乾いた田を作るなら、あなたは低い所にある湿った田を作りなさい。もしその兄が低い所に田を作るなら、あなたは高い所に田を作りなさい。そうすれば、私は水を支配しているから、三年の間に、必ずその兄は貧しくなるでしょう。もしそのようなことを恨んで兄が攻めてきたら、塩盈珠(しおみつたま)(海を満潮にする呪力をもった玉)を出して溺れさせ、もし苦しんで助けを求めたならば、塩乾珠(しおふるたま)(海を干潮にする呪力をもった玉)を出して生かし、このように悩ませ苦しめなさい。」
こういうと、海神は山幸彦に塩盈珠と塩乾珠のふたつを授けました。
そしてことごとく鮫を呼び集めて、問いました。「今、天津日高(あまつひこ)の御子(みこ)の虚空津日高(そらつひこ)(山幸彦の別名)が、上つ国(うわつくに)にでかけようとしている。誰か、送って差し上げて帰るのに何日かかるか分かる者はいるか。」
各々が身の丈に従って日数を申し上げるなかで、一尋鮫(ひとひろわに)が「私は一日で送って、帰ってくることができます」といいました。
そこでその一尋鮫に「ならばお前が送って差し上げよ。海を渡るとき、怖がらせてはならぬ。」と告げ、山幸彦をその鮫の首に乗せて送り出しました。
そしてその鮫は約束の通り、一日の内に送り奉りました。その鮫が帰ろうとしたとき、腰につけていた紐小刀(ひもかたな)を解いて、鮫の首につけて返しました。なので、その一尋鮫は、今は佐比持神(さひもちのかみ)というのです。
山幸彦は帰りつくと、つぶさに海神の教えのとおりに、釣針を兄の海幸彦に返しました。そして、その後、兄は徐々に貧しくなっていき、さらには荒々しい心を起こして攻めてきたのです。
攻めようとするときは、塩盈珠を出して溺れさせ、苦しんで助けを求めたら、塩乾珠を出して救い、このように悩まし苦しめると、その兄は頭を地面につけて「私はこれから、あなた様の昼夜の守護人(まもりびと)となって仕え申し上げます」といいました。
かくして、今に至るまで、その溺れたときのことを、繰り返しながら仕えているので、海はいつも満ちたり引いたりしているのです。
ある日、海神の娘の豊玉毘売が訪ねてきていいました。「私はあなた様の子を妊娠したのですが、そろそろ産む時期がきました。天つ神の御子は、海原で生むべきではないと思い、やってきました。」
そして、その海辺の波打ち際に、鵜(う)の羽根を葦(あし)に見立てて産屋(うぶや)を造りました。
ところが豊玉毘売は、その産屋をまだ葺き合えぬ内に、お腹の子が急に生まれそうになって、それをこらえきれずに、産屋に入りました。
そして生もうとする時に、夫の山幸彦にいいました。「他の世界の人は、産むときになれば、必ず元の国の形になって産むものです。ですから、私は今、本来の姿になって生もうと思います。どうか、私を見ないでください。」
その言葉を奇妙に思った山幸彦は、その生もうとするのを垣間見ると、豊玉毘売は八尋鮫(やひろわに)になり、這ってうねりくねりとしていて、それに驚いた山幸彦は逃げて退きました。
豊玉毘売は、覗かれたことを知ると、とても恥ずかしく思い、その御子を産み終えると、「私は常に、海の道を通って行き来するつもりでいましたが、私の本来の姿を見られてしまったことは、とても恥ずかしいことです」といい、海とこの国との境である海坂(うなさか)を塞いで海神の世界へ帰ってゆきました。
それで、その生んだ御子は、渚で鵜の葦草(かや)を葺き合えるまえに生まれたので、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)といいます。
しかしその後、豊玉毘売は覗かれたことを恨んだものの、恋しい心に耐えられず、御子を養育するゆかりによって、妹の玉依毘売命(たまよりびめのみこと)に託して、歌を献上しました。その歌は、
赤玉(あかだま)は 緒(を)さへ光れど 白玉の
君が装(よそひ)し 貴くありけり
(赤い玉は紐さえも赤く光りますが、真白な玉のようなあなた様のお姿も貴くていらっしゃいます。)
そして、夫の山幸彦もこれに答えて詠んだ歌は、
沖つ鳥 鴨著(ど)く島に 我が率寝(ゐねし)
妹(いも)は忘れじ 世のことごとに
(鴨の寄り付く遠い島に、私が共寝をした我が妻を、私は忘れることはないだろう。たとえこの世が果てるとも。)
さて、山幸彦はその後、高千穂の宮に五百八十年住み、その御陵(みはか)は高千穂の山の西にあります。
そして、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命は、叔母に当たる玉依毘売命を妻として、生んだ子の名前は、五瀬命(いつせのみこと)、次に稲氷命(いなひのみこと)、次に御毛沼命(みけぬのみこと)、次に若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、またの名は豊御毛沼命(とよみけぬのみこと)、またの名は神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれびこのみこと)。
御毛沼命は、波の穂を超えて常世国(とこよのくに)(海の彼方にある異郷)に渡り、また稲氷命は、母の国である海原に入ってゆきました。
ところで、神倭伊波礼毘古命は、後に初代天皇の神武天皇になる人です。ここから先は神倭伊波礼毘古命の物語に入ります。
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