火遠理命(ほをりのみこと)(山幸彦―やまさちびこ)は、兄の火照命(ほでりのみこと)(海幸彦―うみさちびこ)から借りた釣針を失くしてしまい、途方に暮れていました。
すると、そこに兄の海幸彦が現れ「そろそろ、お互いの道具を交換して元に戻そう」といったので、弟の山幸彦は「あなたから借りた釣り針で一匹も魚を獲ることができず、遂に釣針を海に失ってしまいました」と、過ちを正直に打ち明けました。
ところが兄の海幸彦はどうしても釣針を返すように、強く求めて取り立てました。ですから、弟の山幸彦はすっかり困ってしまい、打つ手がありません。海で失くした釣針を探し出すのは簡単ではなさそうです。
弟の山幸彦は、兄の許しを請うために、自分が持っていた十拳剣(とつかのつるぎ)を打ち砕いて、五百本の釣針を作り、償おうとしましたが、ついに兄の海幸彦は受け取ろうとしませんでした。
山幸彦は、さらに千本の釣針を作って兄に差し出しましたが、やはり海幸彦は新しい釣針を受け取らず、「元の釣針を返してくれ」の一点張りでした。
弟の山幸彦はどうすることもできず、ただ涙を浮かべて海辺に座り込んでいました。そこへ、潮の流れをつかさどる神・塩椎神(しおつちのかみ)が現れました。どうして泣いているのかその訳を尋ねると、山幸彦はこれまでのことを話して聞かせました。
「私と兄とで道具を交換したのですが、私は兄から借りた釣針を失くしてしまいました。兄が釣針を返すように求めるので、多くの釣針を作って償おうとしましたが受け取ってもらえず、「元の釣針を返せ」というのです。それで私は泣いていたのです。」
それを聞いて気の毒に思った塩椎神は、「私はあなたのために、力になって差し上げましょう」といい、目が堅く詰まった竹籠の小舟を作り、山幸彦をその船に乗せて、次のように教えました。
「私がこの船を押し流すので、そのまま進んでください。その先によい潮路(しおじ)があるので、その道に乗って行けば、魚の鱗のように屋根をふいた宮殿、綿津見神(わたつみのかみ)の宮殿があります。その神の御門(みかど)に着いたならば、その傍らの井戸の上に桂の木があります。その木の上に座っていれば、海神(わたのかみ)の娘が何かと取り計らってくれることでしょう。」
山幸彦は塩椎神に教えられたとおりに行くと、全ていわれた通りになりました。山幸彦が桂の木に登って座っていると、海神の娘・豊玉毘売(とよたまびめ)の侍女(たいじょ)(召使の女性)が現れました。
侍女が玉器(たまもい)(水を汲むための美しい器)で水を汲もうとした時に、井戸に人影が映っていたので、ふと見上げると、麗しい男神がいるのが分かり、一体どうしたことかと思いました。
山幸彦が侍女に水を求めると、侍女は玉器に水を汲み入れて差し出しました。すると山幸彦はその水を飲まずに、自らの首飾りの紐を解いて口に含み、その玉器に唾と一緒に吐き出したのです。首飾りの玉は山幸彦の唾液の呪力によって玉器にくっついて、取れなくなりました。
侍女は仕方なく、首飾りの玉のくっついたままの玉器を豊玉毘売に差し出しました。それを見た豊玉毘売は「もしや、門の外に誰かいたのですか?」と問うと、侍女は次のようにいきさつを話しました。
「人がいました。井戸の上の桂の木の上にいたのです。とても麗しい男性でした。海神と同じくらいもしくはそれ以上に貴い方です。その方が水を欲しいといったので、私は水を差し上げたのですが、水を飲まずに、この玉を吐きいれたのです。すると玉器とくっついて離れなくなってしまいました。なので、くっついたまま持ってきました。」
その話を聞いた豊玉毘売は、どういうことかと思って門のところに出て行きました。すると、山幸彦を見た豊玉毘売は、たちまち山幸彦に一目ぼれしてしまい、二人はしばらく見詰め合ったのです。
豊玉毘売は父の海神に「門のところに麗しい方がいらっしゃいました。」というと、海神は自ら門のところに出て行き、驚いた様子で「この方は天津日高之御子(あまつひこのみこ)の虚空津日高(そらつひこ)ではないか」といいました。海神は早々と山幸彦が天津神(あまつかみ)の御子であることを見抜いたのです。
海神は直ぐに戻り、アシカの皮の敷物を幾重にも敷き、またその上に絹の敷物を幾重にも敷いて、その上に山幸彦を座らせて、たくさんの品物を載せた台を用意してご馳走し、ついに山幸彦と豊玉毘売を結婚させたのでした。山幸彦はそれから三年間この国に住みました。
兄・海幸彦の釣針を探しに来たはずなのに、三年も海の宮殿に暮らしていて平気なのでしょうか。
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