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vol.54 天皇の乗り物「鳳輦」(ほうれん)B自動車編
 御料車(ごりょうしゃ)は鉄道だけではありません。明治期からは馬車が使われていましたが、大正期に入ると自動車も使われるようになりました。
 現在は馬車と自動車の両方が御料車として使われています。馬車と自動車を管理・運行しているのは宮内庁の車馬課(しゃばか)。馬を扱う部署と車を扱う部署が同じというのも御料車の歴史からすれば自然な流れなのです。
 天皇の行幸(ぎょうこう)と国賓(こくひん)の接遇(せつぐう)などには主に自動車が使われます。その他、外国大使が信任状奉呈式(しんにんじょう・ほうていしき)で皇居に招かれる際には、大使の希望により、馬車か自動車が用意されるのですが、馬車の希望があると、東京駅から皇居まで、馬車のパレードを見ることができます。
 自動車の御料車は、前後のナンバープレートの位置と後部ドアにそれぞれ菊の御紋(ごもん)が付き、前方ドアと後方ドアは観音開きになっています。そして天皇がお乗りになる時は、御料車のボンネットに紅地に金の菊章の天皇旗が立てられます。
 御料車のナンバープレートは直径約10cmの円形で、銀色の下地に「皇」の字と数字が書かれています。位置は一般車とは違い、正面向かってやや右に付けられます。ナンバープレートがある以上、御料車も車検の対象となります。
 初めて自動車の御料車が導入されたのは大正元年(1912)、初代御料車はイギリスのダイムラー・ランドレー。当時は日英同盟が締結された直後であり、友好国の王室が使う車を御料車として導入したのです。
 二代目の御料車は大正10年(1921)に導入されたロールス・ロイス。これもイギリスの車です。ちなみに、平成2年(1990)にはロールス・ロイスのオープンカーも導入され、同年の今上天皇の即位(そくい)の礼後のパレート、また平成5年(1993)の皇太子殿下の御結婚パレードに使用されました。
 三代目の御料車は昭和7年(1932)に導入されたメルセデス・ベンツ。ドイツ車です。昭和15年には日独伊(にちどくい)三国軍事同盟が締結されるのですが、第二次世界大戦へ突き進む流れの中で、御料車も当時の友好国であるドイツの車に切り替えられました。戦後、昭和天皇の全国巡幸(じゅんこう)で最も活躍したのがこのメルセデス・ベンツの御料車で、昭和43年(1968)まで使用されました。
 四代目の御料車は昭和26年(1951)年に導入されたGM製キャデラックです。大戦終結後のアメリカの占領下にアメリカの車が使われるようになったのです。
 五代目に初めて国産車が御料車に採用されました。昭和42年(1967)に導入されたプリンス・ロイヤルです。プリンス自動車工業は後に日産自動車と合併したため、合併後は日産・プリンス・ロイヤルと呼ばれました。全長6.155m、全幅2.100mのリムジンタイプで、8人乗り、6400ccのV8エンジンを搭載した高級車です。
 プリンス・ロイヤルの採用は、これまで外国車に頼っていた御料車を日本が自前で作ることができるようになったことを意味し、我が国の自動車工業の発達を象徴する出来事でした。
 昭和天皇の大葬(たいそう)の礼、今上天皇の即位の礼で使用されたほか、エリザベス女王をはじめ各国の要人の接遇に使われました。御料車のイメージとして定着した車といえるでしょう。
 六代目の御料車は平成元年(1989)に導入された、トヨタ・センチュリーです。セダンタイプの車が採用されたのはこれが初めてです。通常の御公務ではこの車が使用されますが、国会の開会式にあたっての行幸など、重要な御公務では引き続き日産・プリンス・ロイヤルが使用されています。
 しかし、日産・プリンス・ロイヤルは老朽化が進み、平成18年(2006)から導入された七代目のトヨタ・センチュリー・ロイヤルに順次置き換えられることになっています。センチュリー・ロイヤルは平成18年9月28日の臨時国会開会式への行幸から使用されるようになり、今後平成21年までに寝台車1台を含む4台体制になる予定です。
 センチュリー・ロイヤルは全長6.155m、幅2.05m、高さ1.77m、車両重量2.92トンの8人乗りのリムジンで、トヨタ・センチュリーをベースに作られました。内装には、和紙や天然木が使われた他、座席に毛織物、乗降ステップに御影石(みかげいし)を使うなど、日本の固有の歴史・文化を表現しています。その他にも、両陛下が手を御振りになりやすいよう、窓枠の位置やシートの硬さが工夫されています。
 御料車は運転手が運転しますが、天皇陛下をはじめ多くの皇族方は自動車の免許証をお持ちで、ご自身で運転あそばすこともあります。天皇陛下は平成18年、御年73歳にして普通自動車の運転免許更新のため、高齢者講習をお受けになりました。
 御料車の変遷を見るだけで、国際社会における日本の立場や、日本の産業の程度を知る事ができるのは、面白いですね。御料車の歴史は、我が国が歩んだ近代化の歴史といえます。
 天皇の乗り物は「鳳輦」(ほうれん)と呼ばれます。古代から、天皇が鳳輦にお乗りになると、その鳳輦が御所となり、玉座となると考えられてきました。そしてその考えは現在も変わるところがありません。ですから鳳輦は「動く皇居」ともいえる特別なものなのです。
 日本の自動車工業と鉄道は世界の最高水準に達していることは内外共に認めるところです。日本車の売上げは世界的に好調を極め、しかも世界で唯一、超高速列車を秒刻みで過密なダイアに乗せて正確に運行しています。これらの発展は、最高の技術で間違いのない運行をしようとする御召列車と御料車の存在があったからに他なりません。天皇の乗り物・鳳輦は産業界の牽引役だったといえます。

新御料車について(宮内庁)

センチュリーロイヤル導入のニュース(FNN)


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第52回、天皇の乗り物「鳳輦」(ほうれん)@鉄道変(前編)
第53回、天皇の乗り物「鳳輦」(ほうれん)A鉄道編(後編)


出典:「お世継ぎ」(平凡社)八幡和郎 著
皇室の系統図(クリックで拡大)

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作家 プロフィール
山崎 元(やまざき・はじめ)
昭和50年、東京生まれ。旧皇族・竹田家に生まれる。慶応義塾大学法学部法律学科卒。財団法人ロングステイ財団専務理事。孝明天皇研究に従事。明治天皇の玄孫にあたる。著書に『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)がある。
artist H.P.>>
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