vol.53 天皇の乗り物「鳳輦」(ほうれん)A鉄道編(後編)
JR原宿駅の代々木駅寄りに、天皇専用の駅があることはよく知られています。正式には「原宿駅則部乗降場」(はらじゅくえき・そくぶ・じょうこうじょう)と呼ばれ、貨物用の線路から分岐する形で設置されています。
この特別なホームは大正15年(1926)8月、大正天皇が御静養にお出かけになるにあたり新設され、それから御召列車(おめしれっしゃ)の発着に使用されるようになりました。「宮廷ホーム」とも呼ばれています。
昭和期には年におよそ20回程度宮廷ホームが使用されましたが、平成になってからは、天皇の行幸に新幹線や一般の特急列車が御召列車として使用される機会が増え、その分皇室用客車が使われる機会が減り、徐々に宮廷ホームは使われなくなりつつあります。
御召列車は、天皇が公式な御公務で行幸(ぎょうこう)されるときは、機関車の先頭に二本の日の丸を掲げ、また私的な行幸では旗は掲げません。そして、国賓を乗せて走る場合は、日の丸と、国賓の国の旗の両方を掲げます。
御召列車の運行には、特別な注意が払われます。たとえば皇室用客車はもとより、それを牽引する機関車もピカピカに磨き上げられます。御召列車が運行されると全国から鉄道マニアが集まりますが、マニア達はいつになく輝く美しい機関車にため息を漏らすといいます。貨物や客車を牽引する機関車は大抵薄汚れていることが多いので、細部まで磨き込んだ機関車は御召列車の運行のときにしか見られないそうです。
また、万一の故障に備えて予備の機関車が用意され、さらには御召列車が走行する直前に別の機関車を単独で走らせ、沿線上の安全を確認する作業が行われます。鉄道マニアは直前に走る回送車両のことを「露払い」(つゆはらい)と呼びます。「露払い」が現れると、カメラを構えなおすのです。
御召列車の運転士には、勤務態度が良く、特別の技術を持った優れた者が選ばれます。御召列車の運転にミスがあってはならないというだけではありません。停止位置がずれると、車両の扉と赤絨毯の位置がずれてしまうため、1センチもずらさずに停車させるという、神業ともいうべき熟練した技術が要求されるのです。
その上、昭和天皇は発車時と停車時に、お立ちになって送迎者に答礼あそばしたので、車両を揺らさずに発着させなくてはいけません。
しかも、御召列車はダイア上臨時列車ですから、他の列車の通常運転の合間を縫って運行されるため、僅かの遅れも許されません。その上、通常列車のダイアが乱れた場合に臨機応変な対応が求められるのです。そのため、分刻みどころか、10秒刻みで運行が管理されます。
熟練した技術が求められるのは運転士だけではありません。過密な列車ダイアに御召列車のダイアを組み込む作業も同じように神業が求められます。
ダイアを組む人を「スジ屋」といいます。列車ダイアにスジを書き込むのが仕事なのでこのように呼ばれます。通常のダイアを組むだけでなく、臨時列車のダイアを組むのもスジ屋の仕事です。
しかし、同じ臨時列車でも御召列車のダイアは、スジ屋の中でも特に経験を積んだベテランのスジ屋でないと組めないといいます。
なぜなら、御召列車の運行には、次の三原則があるからです。@普通の列車と並んで走ってはいけない。A追い抜かれてはいけない。B立体交差の際、上を他の列車が走ってはならない。
ただでさえ過密な運行スケジュールの中に臨時列車を組み込むのは困難ですが、それにもかかわらず、御召列車の場合はさらに三原則を満たさなくてはいけないので、経験の浅いスジ屋にはできない仕事なのです。
東京周辺の幹線は複々線どころか、複々々線になっているところもあり、三原則の条件を満たすのは至難の業だといいます。上を走らないという原則もあるため、御召列車は駅の発着・通過の時間だけでなく、陸橋や立体交差などの要素を通過する時間なども秒刻みでダイアが組まれるのです。
また、ダイアが乱れたときは現場で責任ある対応をしなくてはいけないので、御召列車の御料車の隣の車両には必ずスジ屋が乗り込みます。
御召列車が他の列車と並んだり、追い抜かれたりすることは畏れ多いことであり、当然の原則だと思われるのですが、表上の理由は「警備上の理由」ということだそうです。
確かに他の列車が御召列車と平行して走ればテロの心配があり、陸橋などでは上から爆弾を落とすことも可能です。
我が国の鉄道の歴史は皇室と共に歩んできた歴史です。明治期以降、天皇の行幸にあたり、特別の注意を払わなくてはいけない御召列車が頻繁に運行されたことは、鉄道技術を短期間の内に飛躍的に向上させました。10秒刻みでダイアが組まれるのは先進国の中でも我が国だけであり、現在の日本の鉄道技術は世界屈指といわれます。およそ270km/hの超高速で走る新幹線が数分刻みで発着し、これまで一度も事故を起こしたことがないのは外国人にとっては驚きなのです。