皇室のきょうかしょ 皇室のあれこれを旧皇族・竹田家の竹田恒泰に学ぶ!
vol.52 天皇の乗り物「鳳輦」(ほうれん)@
 天皇がお出かけになることを「行幸」(ぎょうこう)といいますが、行幸の際の正式な乗り物を古くは「鳳輦」(ほうれん)といいました。
 四角い床の四隅に柱を立てて屋形とし、屋根の中央に鳳凰(ほうおう)を据えた駕篭(かご)で、祭りに使われる御輿(みこし)のような形をしていました【写真@参照】。これを二十人以上が担ぐのです。
 明治天皇が京都から東京に御移りになったときは、鳳輦で行幸されたと伝えられています。
 現在では天皇の行幸は珍しいことではありませんが、幕末までは天皇の行幸は国家的な一大行事でした。特に江戸時代、天皇の行幸は幕府から許されず、一生を御所の中で過ごすのを常としていました。
 天皇が不動の御存在なのには理由があります。「天皇」の語源は地上の帝ではなく、天の帝である「天帝」(てんてい)に由来するもので、天帝は北極星になぞらえられていました。
 全天の中で決して動くことのない唯一の星が北極星であり、しかも、全ての星は北極星を中心に回っています。
 不動の北極星になぞらえられた天皇は、不動であるべきであり、めったなことで外出をしてはいけない、といった考え方があったのです。ですから、天皇のいらっしゃるところこそが全宇宙の中心であると観念されてきました。
 したがって、行幸に当たっては、天皇が御所(ごしょ)の玉座(ぎょくざ)を離れるのではなく、天皇の乗り物である鳳輦が御所の玉座となり、また行在所(あんざいしょ)(行幸先での天皇の宿泊所)が御所となるのです。
 つまり、行幸は天皇が動くのではなく、世界が動くのであって、何時も天皇が動くということはありえないわけです。ですから、鳳輦は全宇宙の中心となるものですから、重要な意味がありました。

 明治維新後、日本に西洋文化が入ってきたことより、天皇の乗り物として馬車が使われるようになった他、日本各地に鉄道が張り巡らされ、天皇の長距離の行幸には鉄道、近距離の行幸や行幸先での移動には自動車なども使われるようになりました。馬車が近代版の鳳輦、また鉄道と自動車が現代版の鳳輦ということになります。
 交通手段が発達したことにより、天皇が頻繁に地方に行幸することが可能となり、明治天皇は日本各地を行幸された始めての天皇となりました。また、昭和天皇が戦後に全国巡幸を果たされたことは有名ですが、今上天皇は先帝にも増して頻繁に御出ましになり、既に歴代天皇の中で最も多く行幸された天皇でいらっしゃいます。

 天皇、皇后及び皇太后の行幸啓(ぎょうこうけい)(皇后・皇太后の外出を「行啓」といいます)の際に特別に運航される列車を「御召列車」(おめしれっしゃ)といい、中でも皇室用に特別に作られた列車を「皇室用客車」(こうしつよう・きゃくしゃ)といいます。
 皇室用客車には天皇・皇后・皇太后のお乗りになる「御料車」(ごりょうしゃ)、その他の皇族方がお使いになる「御乗用列車」(ごじょうよう・れっしゃ)をはじめ他多くの種類があります。ちなみに、天皇がお乗りになる馬車と自動車も、御料車とよばれます。
 天皇陛下用の初代御料車は列車番号「初代1号」と名づけられ、まだ鉄道の歴史が始まったばかりの明治9年(1876)に完成しました。明治期には御料車のことを「玉車」(ぎょくしゃ)もしくは「鳳車」(ほうしゃ)などとも呼んでいました。我が国の鉄道の歴史は御召列車と共に歩んだ歴史だといえます。
 その後、相次いで皇后陛下用・皇太子同妃両殿下用・霊柩車(れいきゅうしゃ)・食堂車・国賓用・賢所(けんしょ)移送用など、次々と各種皇室用客車が作られました。
 御料車はその時代における最高の技術を駆使して作られ、最高水準の美術装飾が施されているため、引退しても貴重な文化財となりますし、特に明治期の一般客車は保存されているものが少ないので、当時の鉄道技術を伝える重要な資料にもなります。

 皇室用客車の中でも日本の皇室特有の変わった車両があります。天皇が天皇であることの証「三種の神器」の一つ、御神鏡(ごしんきょう)を移御(いぎょ)(御神体など尊いものを動かすこと)するための専用の列車、「賢所乗御車」(けんしょ・じょうぎょしゃ)です。
 車両の中央は御神鏡を奉安する賢所奉安室(けんしょ・ほうあんしつ)、また車両の前後には3室づつ計6室、賢所を監守する掌典職(しょうてんしょく)の部屋があります。賢所奉安室の床は30センチほど高くなっていて、床は総檜の神殿造りで、金具には金メッキが施されています。
 この特別な御料車は、大正四年の大正天皇の即位大礼(そくいのたいれい)にあたり、皇居・賢所の御神鏡を、大礼の行われた京都御所に移御するために作られた列車です。いうなれば賢所乗御車は「神様専用の列車」ということになります。
 天照大御神(あめてらすおおみかみ)の御霊代(みたましろ)である御神鏡(ごしんきょう)を祀(まつ)る賢所は、天皇からしても畏れ多い御存在であり、天皇が同じ車両にお乗りになることすら憚(はばか)られます。そのために、神様専用の車両が作られたわけです。
 また賢所乗御車は昭和3年(1928)の昭和天皇の即位大礼でも使われました。ところで、平成2年(1990)の今上天皇の即位大礼は東京で行われたため、御神鏡の移御はありませんでした。

 御召列車は、通常十六紋菊を付けた電気機関車が、両陛下がお乗りになる御料車と、関係者が乗る供奉車(ぐぶしゃ)4両の計5両を牽引して運行されます。この編成が「一号編成」と呼ばれています。
 御料車(列車)の中でも一番新しいのは昭和35年に作られた天皇皇后両陛下用の「1号」と「クロ157-1」です。また、詳細は未定ですが、近年JR東日本は新御料車(列車)を作るという計画があると発表しました。
 古くなった皇室用客車は解体されたものもあれば、交通博物館・博物館明治村・読売ランドなどに展示されているものもあります。現役の8台の皇室用客車はJR東日本大井工場および同田町電車区で整備され、保管されています。
 ところが、近年は国鉄が民営化・分社化したため、一号編成の運用範囲はJR東日本管内に限定されてしまっただけでなく、特別扱いは好ましくないという今上天皇の思召しなどにより、両陛下も航空機や新幹線、一般の特急のグリーン車をご利用になる機会が増え、御料車運行の機会は激減しています。ちなみに、JR西日本管内では「サロンカーなにわ」が、また他の地区や私鉄などでは、特急用の車両などが御召列車として使われます。
 ただでさえ使われなくなった御料車ですが、残念な事に、次に作られる新御料車の形状によっては、明治からの歴史をもつ客車列車による御召列車の歴史も終わることになるかもしれません。

 御召列車の実際の運行と、自動車の御料車については、次回をお楽しみに!(つづく)


写真@「鳳輦」出典:『国史大辞典』(吉川弘文館)


写真A「2001年10月、石巻線で運転された御召列車の一号編成」出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

関連記事(古事記連載分)
第07回、皇位のしるし「三種の神器」
第15回、神器各論@八咫鏡(やたのかがみ)

出典:「お世継ぎ」(平凡社)八幡和郎 著
皇室の系統図(クリックで拡大)

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作家 プロフィール
山崎 元(やまざき・はじめ)
昭和50年、東京生まれ。旧皇族・竹田家に生まれる。慶応義塾大学法学部法律学科卒。財団法人ロングステイ財団専務理事。孝明天皇研究に従事。明治天皇の玄孫にあたる。著書に『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)がある。
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