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vol.50 天皇の外国御訪問
 歴史上初めて外国を御訪問なさった天皇は昭和天皇(しょうわてんのう)です。
 昭和天皇は皇太子時代の大正10年(1921)にイギリス・フランス・ベルギー・オランダ・イタリア・バチカンなどヨーロッパ諸国を御訪問になりました。これは史上初の皇太子の外遊でした。
 当時日本はイギリスと日英同盟を組んでいたため、イギリスではパートナーとして歓迎を受け、ジョージ五世国王、ロイド・ジョージ首相と御会見になり、イタリアでもヴィットーリオ・エマヌエーレ三世国王と御会見になった他、各国で公式な晩餐会に御出席なさいました。そして昭和天皇は戦後になって側近に、「自分の花は欧州訪問のとき」とお話しになりました。
 即位後に天皇として外国を御訪問になったのは昭和46年(1971)に、イギリス・オランダ・スイスなどヨーロッパ諸国七カ国を御訪問になったのが最初です。これは初の天皇の外遊となりました。
 特にイギリスは太平洋戦争で日本と直接戦火を交えた国です。昭和天皇の御訪問は、終戦後26年にして日英の友好関係が完全に回復したことの証になりました。その後、日本の皇族方の多くがイギリスに御留学なさる他、様々な交流があり、現在でも日本の皇室と英国の王室は極めて親密な付き合いを続けています。
 それから4年後の昭和50年(1975)、昭和天皇はアメリカを御訪問になりました。この御訪問は前年に来日したフォード大統領の招待に答えたものです。
 9月30日、昭和天皇は香淳皇后(こうじゅんこうごう)と共に日航機でバージニア州のウィリアムズバーグに御着きになり、マッカーサー元帥の墓を御参拝なさいました。
 続けてワシントンではフォード大統領出席の下、盛大な歓迎式が行われ、ホワイトハウスで行われた大統領主催の歓迎晩餐会に御出席になりました。
 その席で昭和天皇からは、

 「私は多年、貴国訪問を念願しておりました。もしそのことが叶えられた時には、次のことを是非、帰国民にお伝えしたいと思っておりました。と申しますのは、私が深く悲しみとするあの不幸な戦争の直後、貴国が我が国の再建のために、暖かい好意と援助の手を差し伸べられたことに対し、貴国民に直接感謝の言葉を申し述べることでありました。」

 とおことばがあり、世界の注目を集めました。
 昭和天皇は二週間に及ぶ訪米中、研究所・博物館・植物園などでは生物学者としてのお姿をお見せになりました。スミソニアン博物館では海洋生物の標本を御見学になり、自ら採集なさったヒドロゾアと博物館の標本と照らし合わせるといった場面もあり、そのお姿は広く全米に報道されて、話題になりました。
 また、ロサンゼルスではディズニーランドを御訪問になり、ミッキーマウスの腕時計を購入なさったことも伝えられました。
 フォード大統領の訪日と昭和天皇の御訪米は、日米の友好関係が完全に樹立したことを内外に広く知らしめることになりました。

 昭和天皇の外国御訪問は皇太子時代に1回、即位後に2回でしたが、代替わり後、今上天皇(現在の天皇陛下)は、多くの外遊をなさっていらっしゃいます。
 天皇陛下の外国御訪問は平成3年(1991)の東南アジア諸国から始まり、平成4年(1992)の中国、平成6年(1994)のイタリア・ベルギー・ドイツ、平成7年(1995)のアメリカ、同年のフランス・スペイン、平成9年(1997)のブラジル・アルゼンチン、平成10年(1998)のイギリス・デンマーク、平成12年(2000)のオランダ・スウェーデン、平成14年(2002)のポーランド・ハンガリー、平成17年(2005)のアイルランド・ノルウェー、同年の米自治領・北マリアナ諸島・サイパン島、平成18年(2006)のシンガポール・タイまで、即位後の外国御訪問は既に12回を数えます(平成19年4月現在)。
 これまで天皇陛下は、ベルギー国王の葬儀を除き、諸外国からの招待により、閣議決定を経て、内閣からの要請により、国際親善のために儀礼的に外国を御訪問になることばかりで、どちらかといえば「受け身的」な外国御訪問でした。
 しかし、平成17年のサイパン島御訪問は、これまでになく、戦没者の慰霊と平和を祈念するための御訪問であり、これまでの国際親善の枠を超えた「主体的」な外国御訪問だったのではないでしょうか。かねてより天皇陛下には、中部太平洋地域を訪れて戦没者を慰霊したいとの御希望がありました。
 天皇皇后両陛下は平成17年6月27日、羽田空港から政府専用機でサイパン島にお出かけになりました。ご出発に先立ち、天皇陛下からは

 「海外の地において、改めて、先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼(ついとう)し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います。私ども皆が、今日の我が国がこのような多くの人々の犠牲の上に築かれていることを、常に心して歩んでいきたいものと思います」

 とのおことばがありました(お言葉の全文は別に掲載)。
 サイパン島に御到着された両陛下は、海外の太平洋戦争の激戦地を始めて御訪問になりました。日本側では民間人を含め約5万5000人が犠牲となり、また米軍にも、近くのテニアン島での戦闘を含め、約5000人の戦死者が出た地域です。
 両陛下は28日、サイパン島北部の日本政府が建てた「中部太平洋戦没者の碑」に白菊の花を供えられ、多くの日本人が身を投げた「スーサイドクリフ」「バンザイクリフ」などに御出ましになって、深く頭を下げながら黙とうを奉げられました。
 この後、両陛下は事前に公表された日程表にない「おきなわの塔」(琉球政府が沖縄県出身者のために建立)と「韓国平和記念塔」にお立ち寄りになって拝礼なさいました。事前に公表しなかった理由について宮内庁からは「事前に発表すると拝礼が難しくなることも考えられ、発表に踏み切れなかった」との説明がありました。
 さらに、両陛下は米軍上陸50周年を記念して作られた「アメリカ慰霊公園」で、チャモロ人など現地人900人を慰霊する「マリアナ記念碑」、サイパン島とテニアン島で戦死した米兵約5000人を慰霊する「第二次世界大戦慰霊碑」に花輪を供えられました。
 両陛下が「おきなわの塔」と「韓国平和記念塔」にも御出ましになったことに感動した人も多かったことでしょう。宮内庁が事前に公表していたら、御訪問前にして過激な議論が噴出し、実現しなかったかもしれません。この御配慮の深さも然ることながら、実際に両陛下が黙とうを奉げられる真摯(しんし)なお姿を見て、日本人のみならず世界の多くの人々が、両陛下の平和を祈念なさる御気持ちに心を打たれたのです。
 天皇は祈る存在です。祈りを奉げるお姿こそが、天皇の本当のお姿です。両陛下のサイパン御訪問は、百人の外交官、十人の総理大臣を以っても為し得ない、特別な御役割を為されたに違いありません。
 我々日本国民は、両陛下の黙とうを奉げられるお姿を心に刻み、世界の平和を日本の役割について真剣に考えてみてはいかがでしょう。

【関連資料】
■ 天皇の外国御訪問の概要(出典:宮内庁ウェブサイトより抜粋)
■ 平成17年6月27日、サイパン島ご訪問ご出発にあたっての天皇陛下のおことば(出典:宮内庁ウェブサイトより抜粋)


出典:「お世継ぎ」(平凡社)八幡和郎 著
皇室の系統図(クリックで拡大)

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作家 プロフィール
山崎 元(やまざき・はじめ)
昭和50年、東京生まれ。旧皇族・竹田家に生まれる。慶応義塾大学法学部法律学科卒。財団法人ロングステイ財団専務理事。孝明天皇研究に従事。明治天皇の玄孫にあたる。著書に『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)がある。
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