皇室のきょうかしょ 皇室のあれこれを旧皇族・竹田家の竹田恒泰に学ぶ!
vol.47 天孫降臨(古事記、第十四話)
 日子番能邇邇芸命(ひこほのににぎのみこと)は天照大御神(あまてらすおおみかみ)に「この豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに)はおまえが治めなさい、命令の通り天降(あまくだ)りなさい」といわれました。
 邇邇芸命が命令のとおり高天原から地上に天降ろうとすると、天の八衢(あめのやちまた)(天と地の間にある方々への分かれ道)に、上は高天原を照らし、下は葦原中国(あしはらのなかつくに)を照らす神がいました。
 天照大御神と高木神(たかぎのかみ)は天宇受売神(あめのうずめのかみ)に、「おまえはか弱い女であるが、相対する神と向かい合ったときに気後れしない神である。だから、おまえが行って、『我が御子(みこ)が天降ろうとする道に、そのようにいるのは誰か』と尋ねなさい」と命じました。
 ところで、天宇受売神は、天照大御神が天岩屋に隠れてしまったときに、艶(あで)やかな踊りを踊った神です。(第25回、古事記第六話)
 そこで、天宇受売神が尋ねると、「私は国津神(くにつかみ)で、名は猿田毘古神(さるだびこのかみ)です。ここにいる理由は、天津神(あまつかみ)の御子が天降りされると聞きつけたので、御先導させていただこうと思い、ここへ参上し、待っていました」と答えました。
 そこで、天児屋命(あめのこやねのみこと)、布刀玉命(ふとだまのみこと)、天宇受売命、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)、玉祖命(たまのおやのみこと)の併せて五伴緒(いつとものを)を、それぞれの職業を分けて従えて天降りました。
 五伴緒は、「伴」は世襲による同一職業の集団、また「緒」はそれら集団の長を意味します。
 このとき、天照大御神は八尺勾瓊(やさかのまがたま)と鏡、また草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授け、さらに思金神(おもひかねのかみ)、手力男神(たぢからをのかみ)、天石門別神(あめのいはとわけのかみ)を同伴させ、
 「この鏡は、私の御魂(みたま)として、我が身を拝むように祀りなさい。次に思金神はこのことを引き受けて、神の政事(まつりごと)をしなさい。」
 とおっしゃいました。
 (三種の神器については、第07回、第15回、第18回、第22回を参照してください)

 そして、天照大御神と鏡は、五十鈴宮(いすずのみや)(伊勢の神宮の内宮(ないくう)、現在の三重県伊勢市)に祀りました。
 次に、登由宇気神(とゆうけのかみ)は、外宮の渡相(とつみやのわたらひ)(伊勢の神宮の外宮(げくう)、現在の三重県伊勢市)に鎮座する神です。
 次に天石門別神(あめのいはとわけのかみ)は、またの名を櫛石窓神(くしいはまどのかみ)といい、またの名を豊石窓神(とよいはまどのかみ)といいます。この神は御門(みかど)の神です。
 次に手力男神(たぢからをのかみ)は佐那那県(さなながた)に鎮座しています。「佐那那県」は地名で「佐那の県(あがた)」を指します。また伊勢国多気(たけ)群に手力男神を祀る佐那神社があります。

 ところで、邇邇芸命(ににぎのみこと)に伴って降ってきた天児屋命(あめのこやねのみこと)は中臣連(なかとみのむらじ)らの祖です。中臣連は大和朝廷の祭祀を行った氏族で、後に子孫とされる中臣鎌足(なかとみの・かまたり)が「藤原」の姓を与えられ、藤原氏となります。
 布刀玉命(ふとだまのみこと)は忌部首(いみべのおびと)らの祖です。忌部首も大和朝廷の祭祀を行った氏族で、特に祭祀にあたり物資を貢納する職業集団でした。
 天宇受売命(あめのうずめのみこと)は猿女君(さるめのきみ)らの祖です。猿女君とは、大和朝廷の鎮魂祭儀において舞楽を演じ、そして大嘗祭の前行に奉任する巫女(みこ)、及びそれを出す氏族のことです。
 伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)は、作鏡連(かがみつくりのむらじ)らの祖です。作鏡連は鏡作りを業とした鏡作部(かがみつくりべ)を統率した伴造(とものみやつこ)の氏族のことで、後に衰退し、文献に現れなくなります。
 玉祖命(たまのおやのみこと)は、玉祖連(たまのおやのむらじ)らの祖です。玉祖連は玉作りを業とした玉作部(たまつくりべ)を統率した伴造の氏族で、後に後に「宿禰」(すくね)を与えられます。
 そしてこの五柱の神は、いずれも天照大御神の天岩屋戸隠れ(第25回、古事記第六話)で登場した神です。

 そして邇邇芸命は天の石位(あまのいわくら)(高天原にある石の御座)を離れ、天の八重にたなびく雲を押し分けて、道をかき分けかき分けて、天浮橋(あめのうきはし)にうきじまり、そり立たせて(この部分は難解とされる)、竺紫日向(つくしのひむか)の高千穂(たかちほ)の、くじふる嶺(たけ)に天降りました。
 このとき、天忍日命(あめのおしひのみこと)と天津久米命(あまつくめのみこと)の二柱の神は天津久米(あめのいわゆぎ)(矢を入れる武具)を背負い、頭椎之大刀(くぶつちのたち)を帯び、天之波士弓(あめのはじゆみ)を取り持ち、天之真鹿児矢(あめのまかこや)を手に挟み、邇邇芸命の前に立って仕え奉りました。
 さて、天忍日命は、大伴連(おおとものむらじ)らの祖です。
 また、天津久米命は、久米直(くめのあたひ)らの祖です。

 そこで邇邇芸命は、「ここは韓国(からくに)に向かい、笠沙(かささ)の岬に道が通じていて、朝日がまっすぐに射す国、夕日の日が照る国である。だから、この地はとても良い地だ」といって、地の底にある岩盤に届くほど深く穴をほって、太い宮の柱を立て、高天原に届くほど高く千木(ちぎ)を立てて、そこに住むことにしました。

 このようにして、天照大御神の子孫が、葦原中国を統治するために、高天原から降ってきました。これが「天孫降臨」(てんそんこうりん)です。

 そして邇邇芸命は、天宇受売命に「私の前を先導して仕えた猿田毘古大神は、正体を尋ねたあなたが送ってさしあげなさい。また、その神の名を取って、自分の名とせよ」とおっしゃりました。
 これにより、猿女君(さるめのきみ)らは、猿田毘古の男神(をがみ)の名を負って、女を猿女君と呼ぶことになったのです。

 そして猿田毘古神が阿邪訶(あざか)(三重県壱志群の地名)にいるとき、漁をして比良夫貝(ひらぶがい)にその手を挟まれて、海に沈み溺れました。
 それにより、その底に沈んだ時の名を底どく御魂(そこどくみたま)といい、その海水の水粒がぶつぶつとあがる時の名をつぶたつ御魂といい、その海水の沫が割れる時の名を、あわさく御魂といいます。
 このようにして、猿田毘古神を送り、帰って来て、鰭(ひれ)の大きな魚から、鰭の小さな魚をことごとく集めて、「おまえたちは天津神の御子に仕えるか」と問うたときに、魚たちは皆「お仕えします」と申したのですが、その中で海鼠(なまこ)だけがそのように答えませんでした。
 ここに天宇受売命は海鼠に「この口は答えぬ口か」といって、紐のついた小刀で海鼠の口を裂きました。それで、今海鼠の口は裂けているのです。
 したがって、御世(みよ)ごとに島之速贄(しまのはやにへ)(志摩の国から朝廷に献上する初物の産物)を献上するとき、猿女君らに給うのです。

関連記事(三種の神器関係)
第07回、皇位のしるし「三種の神器」
第15回、神器各論@八咫鏡(やたのかがみ)
第18回、神器各論A草薙剣(くさなぎのつるぎ)
第22回、神器各論B八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)

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第05回、宇宙で一番はじめに現れた神(古事記、第一話)
第02回、「国生み」と「神生み」(古事記、第二話)
第13回、黄泉の国(古事記、第三話)
第17回、アマテラスの誕生(古事記、第四話)
第21回、アマテラスとスサノヲ(古事記、第五話)
第25回、天の岩屋戸(古事記、第六話)
第33回、因幡の白兎(古事記、第八話)
第35回、スサノヲとオオクニヌシ(古事記、第九話)
第37回、オオクニヌシの国造り(古事記、第十話)
第39回、葦原中国(あしはらのなかつくに)(古事記、第十一話)
第41回、建御雷神(たけみかづちのかみ)(古事記、第十二話)
第43回、出雲の国譲り(古事記、第十三話)


出典:「お世継ぎ」(平凡社)八幡和郎 著
皇室の系統図(クリックで拡大)

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作家 プロフィール
山崎 元(やまざき・はじめ)
昭和50年、東京生まれ。旧皇族・竹田家に生まれる。慶応義塾大学法学部法律学科卒。財団法人ロングステイ財団専務理事。孝明天皇研究に従事。明治天皇の玄孫にあたる。著書に『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)がある。
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ケータイタケシ

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