現在私たちは「平成」(へいせい)という元号(げんごう)を使っています。
建国・革命・王の即位などを紀元として、年代を連続的に数える紀年法(きねんほう)は世界中に数多くあります。キリストの生誕を紀元とする西暦は最も多用されている紀年法でしょう。
それに対して我が国が歴史的に用いてきた元号は、後ほど説明するとおり天皇の即位だけでなく、縁起を担ぐ様々な理由により改元される特殊な紀年法です。その時々の元号には、天下が泰平で万民が豊かであることを願う気持ちが込められているのです。
元々元号は中国・前漢の武帝が定めたのが始まりで、かつては朝鮮やその他の中国文化圏で広く使用されていました。
古代中国では、正しい暦を制定して、民に農耕の時期を知らせることは帝王の責務かつ特権であると考えられており、帝王が即位すると元号を制定して年を数えたのが始まりです。「暦を定め元号を建てる」これは帝王が時間の支配者であということを意味します。
しかし、1912年に辛亥革命(しんがい・かくめい)が起きて清朝(しんちょう)が倒れてから中国では元号は使われなくなり、また朝鮮も連合軍軍政期以降は元号を建てていないため、現在世界中で元号を使っている国は日本だけになりました。
我が国の元号には大変長い歴史があります。最初に元号が制定されたのは、今から1300年以上昔のことです。『日本書紀』によると皇極天皇(こうぎょく・てんのう)4年(西暦645年)、蘇我氏(そがし)が滅び、皇極天皇が孝徳天皇(こうとく・てんのう)に譲位した年に、初の元号「大化」(たいか)が建てられたと記録されています。
「大化の改新」は「むしころされた大化の改新」で645年と記憶している人も多いことでしょう。
その後、大化の次に「白雉」(はくち)が制定されてからは暫く断絶し、文武天皇(もんむ・てんのう)5年(701年)が「大宝」(たいほう)と定められてから、元号は現在まで途絶えることなく続いているのです。そして現在私たちが使っている平成は大化から数えて247番目の元号に当たります。
そして大宝(たいほう)元年(西暦701年)に制定された『大宝令』(たいほうれい)では、公文章に元号を用いることが義務付けられました。以来1300年以上の間、我が国は公式文章に元号を用いてきました。そして現在も政府の文章には西暦でなく元号が用いられています。(但しパスポートなど、外国向けの文章には例外的に西暦を用いている)
歴史的に元号は、必ずしも天皇一代に一元号とは限りませんでした。改元の理由には天皇即位の他、様々なものがありました。
飢饉・地震・疫病などの災異(さいい)(凶事)が起きた時に運気を切り替えるために改元する「災異改元」、またそれとは正反対に慶雲出現などの祥瑞(しょうずい)(吉兆)が起きた時に、その運気に乗るために改元する「祥瑞改元」があります。
そして、その他にも辛酉(しんゆう)年・甲子(こうし)年には革命や革令が起きると信じた中国の影響により、その悪運を避けるために「革命改元」が行われてきました。また、一年の内に二度改元されたこともあります。
改元は天皇の勅命により、新元号の選定作業が始められます。平安時代以降は文章博士(もんじょう・はくし)らに複数ずつ案を勘申(かんじん)させ、重臣たちが議論を尽くして2、3案にまとめた段階で一度上奏(じょうそう)し、続けて最終案を決定するように天皇から下命(かめい)があり、決定した案を再度上奏します。これにより天皇は改元の詔(みことのり)を公布し、改元が行われるのです。
通常、元号には漢字2字が当てられますが、奈良時代には4字の元号も用いられました。元号に使われる文字は中国の古典から引用されます。過去の元号と重複しないものであること、その字を用いた過去の元号の時期に不吉なことが起きていないことなどが求められ、案に難(なん)(反対意見)と陳(ちん)(賛成意見)を述べる「難陳」(なんちん)という討議を経て案を一本化させます。
江戸時代に入ると幕府は、朝廷を統制下に置き様々な制約を科しました。朝廷内の人事権も実質的には幕府が握っていたのです。しかし、元号の制定については別格で、幕府は元号制定の過程に関与するも、天皇に改元の大権があることを認めていました。
明治元年(1868)に行政官布告第一号で、天皇一代につき一元号と定められ、天皇の代替わりごとに新しい元号が定められることになりました。
そのため、明治以降、天皇号は元号が追号されて、明治天皇、大正天皇、昭和天皇となりました。
ところで、天皇号は天皇の崩御後に追号されるものなので、今上天皇(きんじょう・てんのう)(現在の天皇陛下)には、まだ「○○天皇」という天皇号はありません。
そして、一世一元制は昭和54年(1979)に施行された元号法で「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」と規定され、現在に至ります。
元号法が施行されたことで、元号の制定は内閣の権限となりましたが、元号を決定する政令は天皇が公布するので、結局は従来通り、重臣が衆議を尽くして天皇が詔を公布するという形式と変わるところがありません。
平成は、昭和天皇が崩御(ほうぎょ)あそばした昭和64年(1989)1月7日に制定されました。
この日の午後「元号に関する懇談会」(8人の有識者で構成)と衆参両院正副議長に「平成」、「修文」(しゅうぶん)、「正化」(せいか)の3つの候補が示されて、意見が求められました。
そして間もなく開かれた臨時閣議で正式に新元号が「平成」と決定され、14時36分、内閣官房長官の小渕恵三が記者会見で、墨書(ぼくしょ)した台紙を示して「新しい年号は、平成であります」と発表しました。
この日、即位あそばしたばかりの今上天皇が「元号を改める政令」(昭和64年政令第1号)を公布なさり、翌日から施行され、1月8日、昭和64年が平成元年に改められたのです。
元号が好きな日本人は多いのではないでしょうか。元号は日本人全員が共有するタイムスケールで、同時に共通の記号でもあります。
西暦はキリストの誕生という特定の起点から絶対軸で表現するため、区切ろうとすると百年単位で「何世紀」とか十年単位で「何十年代」と表現するしかありません。その区切り方には歴史的な必然性は存在しないのです。
しかし我々日本人が使っている元号は、現在では天皇一代ごとに一元号という時代の区切り方としての必然性があるし、過去においても天皇の強い意志をもって改元されるため、そこにはやはり区切り方の必然性が存在しています。明治、大正、昭和と元号一つ一つには個性があり、そしてドラマがあります。
日本人の気持ちをいっぱい背負い込んだ記号としての元号に親しみと重みを感じる人は多いことでしょう。日本人ならば、意識して西暦よりも元号を使うべきです。
関連資料 【日本国元号一覧】は
こちらから