皇室のきょうかしょ 皇室のあれこれを旧皇族・竹田家の竹田恒泰に学ぶ!
vol.38 宮内庁C(オク・女官編)
 天皇・皇后のお側で身の回りのお世話などをするのが女官(にょかん)です。
 現在は「オク」と呼ばれている天皇の生活空間は、かつては「御内儀」(おないぎ)と呼ばれていました。将軍家でいう「大奥」(おおおく)に当たるところです。御内儀は男子禁制とされ、厳しい階級制度が存在していました。
 御内儀は、昭和26年(1951)に大正天皇后の貞明皇后(ていめいこうごう)が崩御(ほうぎょ)されるまで存在し、その後は解体されます。しかし、側室制度が廃止されて男子禁制の領域がなくなった他は、女官の職務などについては今も昔も大きな違いはないといわれています。

 先ず初めに歴史的な「御内儀」の様子について説明し、その後で現在の「オク」について触れることにします。
 御内儀に仕える女官たちは全員が未婚で、出身の家格(かかく)で階級が定められ、それによって着る服、職務の内容、呼び方などが異なっていました。
 役職名や役割などは時代と共に変化しますが、江戸期から大正期にかけては、位が高い順に典侍局(すけのつぼね)、内侍局(ないしのつぼね)、命婦(みょうぶ)、御末(おすえ)、女嬬(にょじゅ)、呉服所(ごふくじょ)などと身分が細かく分けられ、仕事内容も細分化されていました。女嬬以上を女官と称し、また命婦までが天皇の側に仕え、御末以下は天皇に近づくことはできませんでした。
 典侍局と内侍局は堂上公家(とうしょうくげ)、つまり昇殿を許される身分の高い公家(くげ)の娘でなければなることができず、地下(じげ)と呼ばれる身分の低い公家の出身であれば命婦までと決められていました。
 明治期には高等女官は13人、命婦と権命婦(ごんのみょうぶ)が合わせて10人、女嬬が約30人、また御内儀全体では約200名の女性が寝起きしていたと伝えられています。

 役職ごとの仕事内容は大雑把には、典侍局は天皇の身の回りのお世話、内侍局は天皇と皇后の身の回りのお世話が主な仕事でした。この二局は天皇の御座所(ござしょ)と同じ高さに詰所(つめしょ)があり、御内儀で働く者の中で天皇・皇后の側に仕えることが許される立場にあり、他の役職と区別して「奥の人」と表現されました。
 御内儀で天皇の側に近寄ることが許されるのは典侍局と内侍局に限られるため、その仕事の範囲は、御入浴、御召替(おめしかえ)等の基本動作からお酌に至るまで、たきにわたりました。
 内侍局は天皇だけでなく皇后の身の回りの御化粧、御ぐしあげなどのお世話も担当しました。また、内侍局にはそれ以外に極めて重要な任務がありました。それは、賢所(かしこどころ)を監守(かんしゅ)することです。賢所は三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)を祀る、宮中において最も神聖なる場所なのです。(詳しくは、第15回「神器各論@八咫鏡」、そして、第25回「天の岩戸」(古事記、第六話)を参照してください。)
 また天皇と皇后がお使いになる部屋に立ち入ることができるのも典侍局と内侍局に限られるため、御座所、御寝所などの室内の清掃も内侍局の仕事でした。
 (天皇に食事が運ばれる手順については、第06回「なぜ天皇の昼食は毎日「鯛」なのか?」、また、天皇の便所の世話をする女官については、第16回「天皇の褌」を参照してください。)

 さて、かつて天皇は皇后の他に複数の側室を持つことがあったことは広く知られています。分かりやすく言えば側室とは妾(めかけ)のことですが、つまり典侍局、内侍局など高等女官の内で天皇の寝室に侍(はべ)る者のことです。
 高等女官は全員が天皇と夜を共にするわけではなく、例えば典侍局でも「お清の典侍」(おきよのすけ)と呼ばれる、寝室に侍らない典侍局がいて、むしろ高等女官の大半はこの「お清」になります。
 そして、側室が生んだ子どもは、正真正銘の天皇の子どもとして扱われます。例えば、明治天皇、大正天皇は側室の子どもです。
 天皇の側に仕える女官にとっては、先ず天皇のお手かけになれるかどうか、そして五体満足な皇子女を出産できるかどうかが自らの出世を左右する重要な要素でした。まして男の子を産んでその子が皇太子にでもなろうものならこの上ない栄誉を与えられることになるのです。水面下で熾烈(しれつ)な争いがあったことが想像できるでしょう。

 ところが、昭和天皇が摂政でいらっしゃった時代に、大規模な宮中改革が行われました。最も大きな改革は、側室が廃止されたことです。つまり、天皇が女官と夜を共にすることがなくなったのです。
 そして、女官が宮中に部屋を与えられて、そこに住むという制度を廃止し、女官の通勤制を認め、さらに、これまでは女官は未婚であることが条件でしたが、既婚の女性を採用するように改め、典侍局・内侍局などの高等女官の職階の区別を廃止しました。
 また、かつて内侍局には賢所を監守するという役割がありましたが、新たに男性神職「掌典」(しょうてん)と女性神職「内掌典」(ないしょうてん)が置かれて、賢所の監守は女官の仕事から切り離されました。
 戦後は、女官も侍従職に属する国家公務員になったのです。

 女官の仕事場は、宮中の一番奥といわれる天皇・皇后両陛下の御住まいの吹上新御所(ふきあげ・しん・ごしょ)で、一般の宮内庁職員との接触もほとんどなく、皇室を裏で支える、非常に重要な役割を担っています。

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出典:「お世継ぎ」(平凡社)八幡和郎 著
皇室の系統図(クリックで拡大)

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作家 プロフィール
山崎 元(やまざき・はじめ)
昭和50年、東京生まれ。旧皇族・竹田家に生まれる。慶応義塾大学法学部法律学科卒。財団法人ロングステイ財団専務理事。孝明天皇研究に従事。明治天皇の玄孫にあたる。著書に『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)がある。
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ケータイタケシ

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