宮内庁の組織は大きく「オモテ」と「オク」に分けられます。部局としては、主に長官官房が「オモテ」、侍従職(じじゅうしょく)、東宮職(とうぐうしょく)、式部職(しきぶしょく)、書陵部(しょうりょうぶ)などが「オク」を担当しています。
「オモテ」については第34回「宮内庁A(オモテ編)」で掘り下げましたが、今回は「オク」、その中でも特に侍従職について見ていくことにしましょう。
オクの代表機関は侍従職で、その長である侍従長がオクの代表といえます。侍従職とは、天皇・皇后・皇太后および内廷皇族(未婚の親王・内親王)の身の回りのお世話や公務の手伝いなどを司り、「御璽」(ぎょじ)および「国璽」(こくじ)を保管する部局で、侍従長の統括の下に、侍従次長、侍従、女官長、女官、侍医長、侍医などの職員がいます。
侍従職が保管する御璽とは天皇の印、国璽とは国印のことで、現在使用されている御璽と国璽は明治7年(1874)に改鋳(かいちゅう)されたものです。御璽は一方が9.0センチ、重さ3.55キログラムの黄金製で「天皇御璽」と刻まれ、詔書、法律・政令及び条約などに押印されます。
また、国璽は重さ3.50キログラムの黄金製で「大日本国璽」と刻まれ、条約の批准書などの外交文書、勲章の勲記などに押印されます。
天皇家の最も近いところに仕える侍従長は、天皇家と縁の深い華族の出身者が多く、昭和に入ってから終戦までは軍人からの起用もあり、また桂太郎(かつら・たろう)や鈴木貫太郎(すずき・かんたろう)のように総理大臣経験者もいました。
鈴木貫太郎は、昭和20年(1945)に日本がポツダム宣言を受諾して太平洋戦争を終結させた総理大臣として知られています。
鈴木が侍従長を務めたのは昭和4年(1929)から昭和11年(1936)までの7年間です。この間、軍部によるクーデター未遂の五・一五事件と二・二六事件、そして満州事変など、物騒な事件が相次ぎました。
鈴木は昭和天皇の信任が厚かったのですが、逆にそのことで軍部から睨まれ、二・二六事件では、決起した青年将校らに襲撃されました。
襲撃された鈴木は動ずることなく仁王立ちで
「どこの兵隊だ。一体何のためだ」
と問いましたが、その答えはなく、代わりにピストルの弾を三発受けて倒れます。
青年将校がとどめを刺そうとしたときに、鈴木の妻・たかがそれを制し、命をつなぎとめることができました。
その時の負傷により鈴木は侍従を辞すのですが、昭和20年4月、昭和天皇の強い御希望があり、総理大臣に就任することになります。
長年侍従長を務めてきた鈴木は、昭和天皇のお気持ちをよく理解できる存在であり、終戦にあたっては、総理として極めて重要な動きをしました。御前会議で終戦の「御聖断」(ごせいだん)を引き出したのは鈴木でした。昭和天皇と鈴木貫太郎の二人三脚によってポツダム宣言受諾が実現したともいえましょう。
終戦期に侍従を務めていた徳川義寛(とくがわ・よしひろ)(後に侍従長)は盾となって玉音盤を守った人物として知られています。
昭和20年8月15日に終戦を伝える玉音(ぎょくおん)放送がありましたが、その日の未明、ポツダム宣言受諾に抵抗する若手の陸軍将校らが決起し、玉音放送を阻止し、徹底抗戦に持ち込むために皇居を占拠するという事件がありました。(八・一五事件)
反乱兵は玉音盤を奪取(だっしゅ)して玉音放送を阻止しようとしました。ところが徳川侍従が機転を利かせて録音盤を隠し持ち、反乱兵をがんとして寄せ付けず、また間もなく反乱が鎮圧されたたことで、予定通り玉音放送が実施されました。
万一玉音盤が奪われていたら8月15日の玉音放送は幻となり、終戦が遅れたことは確実です。ソ連軍が日本に対して宣戦を布告している中、米国軍の進駐が遅れれば、北海道、東日本がソ連に占領されていたかもしれません。
戦後、最も長く侍従長を務めたのは「宮内庁の顔」ともいわれた入江相政(いりえ・すけまさ)です。昭和9年(1943)年に侍従となり、昭和44年(1969)から昭和60年(1985)まで侍従長の要職にありました。実に42年間、昭和天皇の側近を務めたことになります。
入江は藤原北家(ふじわらほっけ)の分家の冷泉家(れいぜいけ)の支流の出身で、父親は子爵(ししゃく)、母親は大正天皇の生母の柳原愛子(やなぎはら・なるこ)の姪(めい)に当たります。
戦後、宮中は大きく改革され、皇室のありかたも変化しました。現在の皇室の姿を作ったのは入江だったといえます。入江は持ち前の明るい性格で、天皇のスポークスマンとも呼ばれ、また多くの著書を遺しています。
侍従長の下には侍従次長がいて、主に皇后に関することを担当しています。またその下の侍従は7名で構成されていて、天皇の秘書のような役割を担っています。
侍従の職務は実に幅が広く、毎日交代で宿直し、天皇の行幸(ぎょうこう)に当たっては必ずお供をするほか、天皇の御公務のお手伝いや、天皇の質問について調べるのも侍従の仕事です。
また、皇太子御一家を担当しているのは東宮職(とうぐうしょく)で、東宮大夫(とうぐうだいぶ)を長とし、東宮侍従長・東宮侍従・東宮女官長・東宮女官・東宮侍医長・東宮侍医などを統括しています。
また、オクを語る上で「女官」は欠かすことができない存在ですが、女官についてはまた別の機会に述べることにします。
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