宮内庁(くないちょう)の組織は大きく「オモテ」と「オク」に大別することができます。宮中では古くから、天皇が政務をお執りになる場所を「オモテ」、そして天皇の生活空間を「オク」といって区別していました。
したがって、厳密に区分することは困難ですが、大まかに宮内庁職員は「オモテ」に仕える職員と、「オク」に仕える職員の二種に大別されることになります。
「オモテ」を代表するのは宮内庁長官。「オク」を代表するのは侍従長(じじゅうちょう)です。また、部局としては、主に長官官房が「オモテ」、侍従職、東宮職(とうぐうしょく)、式部職(しきぶしょく)、書陵部(しょうりょうぶ)などが「オク」を担当しています。
宮内庁長官
宮内庁長官は数ある官職の中でも、国務大臣などと同じ「認証官」(にんしょうかん)です。認証官とは、任免(にんめん)にあたり天皇の認証を必要とする官職で、形式的であっても天皇から直接認証されるため、その地位は重要なものとされています。
宮内庁長官は「宮内庁の事務を統括(とうかつ)し、職員の服務について統督(とうとく)する。」と宮内庁法に定められた、宮内庁の最高責任者です。
明治2年(1869)に宮内省が設置されたとき、その長は「宮内卿」(くないきょう)と呼ばれていました。その後、明治18年(1885)に「宮内大臣」と改められ、終戦後には一時「宮内府長官」となり、昭和24年(1949)に現在の「宮内庁長官」となりました。
初代宮内卿は堂上公家(とうしょうくげ)出身の万里小路博房(までのこうじ・ひろふさ)、以降、現長官で元厚生省事務次官の羽毛田信吾(はけた・しんご)まで、22名がこの職に就いてきました。(ただし、内3名は制度改正で重任)
羽毛田の前の長官は、元自治省事務次官の湯浅利夫(ゆあさ・としお)、その前は元警視総監(けいしそうかん)の鎌倉節(かまくら・さだめ)、その前は、今年、昭和天皇の御発言メモで大論争を引き起こした元内閣調査室長の富田朝彦(とみた・ともひこ)といった具合に、近年は各省庁のトップが長官に抜擢される傾向があり、またその着任期間も短くなってきています。
そのためか、長官の職にある間はできるだけ波風を立てない「ことなかれ主義」が横行し、結果として「皇室のために身を賭(と)して長官職を全うする人物がいなくなった」との批判もあります。
しかし、必ずしも長官職が高級官僚の「腰かけ機関」だったわけではありません。昭和28年に宮内庁長官に就任した宇佐美毅(うさみ・たけし)は、昭和53年までの25年間、この重職を務めあげました。
東京都教育委員会委員長から宮内庁次長を経て、吉田茂(よしだ・しげる)総理の強い要望によって宮内庁長官に就任した宇佐美は、吹上御所(ふきあげごしょ)と皇居新宮殿の造営、昭和天皇の欧米御訪問などを実現させました。「開かれた皇室」を作り上げた人物としても知られ、「戦後皇室のプロデューサー」とも呼ばれました。
ところが、宇佐美はその一方で、天皇を政治利用しようとする輩(やから)を徹底的に退け、頑なに天皇を守りとおしました。周囲からは「頑固者」ともいわれていたそうです。
田中角栄内閣時代、総理が日中関係を改善させるために、天皇の中国御訪問を実現させようとしたとき、「国論が二分する」として天皇の政治利用に強く反対したのが、宇佐美長官(当時)、その人でした。結局、田中総理(当時)は諦めざるをえなかったといいます。
昨今の天下(あまくだ)り的な人事では、果たして宮内庁長官が激しい政治の世界から天皇を守ることができるのか、不安に思う人も多いのではないでしょうか。
宇佐美の「開かれた皇室」プロデュースの手腕を物語るエピソードがあります。昭和45年(1970)3月の大阪万博開会式に昭和天皇が御出ましになる予定でしたが、寒波が近づいていたため、昭和天皇の御身(おんみ)を案じた主催者が、貴賓席(きひんせき)の周囲を暴風ガラスで囲む提案をしたところ、宇佐美は、次のようにいってその提案を却下したといいます。
「国民と陛下の間に障壁をつくることは賛成しかねる。絶対にだめだ。」
宇佐美のプロデュースした「開かれた皇室」は、宇佐美の先代の長官・田島道治(たじま・みちじ)の取り組みを引き継いだものでした。「開かれた皇室」を完成させた人物が宇佐美ならば、「開かれた皇室」の基礎を固めた人物は、田島ということになります。
田島は日本銀行参与、貴族院議員などを経て、占領下の昭和23年(1948)に宮内府長官に任命され、宮中改革に尽力しました。
宮中改革とは、具体的にはこれまで侍従長を中心とする「オク」が強い力を握っていたところ、「オモテ」の中枢である長官官房(ちょうかんかんぼう)に権限を集中させたことなどが挙げられます。
田島は、昭和天皇の全国巡幸(じゅんこう)を実現させ「開かれた皇室」「親しみやすい皇室」の基盤をつくったのです。
長官官房
現在の宮内庁には宮内庁長官官房を筆頭に、その他5部局と、京都事務所が設置されています。
長官官房には審議官、宮務主管(きゅうむしゅかん)、皇室経済主管、皇室医務主管がいて、秘書課、総務課、宮務課(きゅうむか)、主計課(しゅけいか)、用度課(ようどか)および宮内庁病院が置かれ、その下に二名の参事官がいます。
審議官は、皇室関係の重要事項の調査、審議及び立案に関する事務を総括、宮務主管は内廷外皇族に関する事項を総括、皇室経済主管は皇室の経済並びに皇室及び宮内庁の会計に関する事務を統括、そして皇室医務主管は皇室の医務関係を総括します。
秘書課は、皇室会議、皇室制度の調査統計、公文書の管理、機密事項関係、職員の人事・労務・保健・福利厚生などの事務を、次に総務課は天皇皇后両陛下の行幸啓(ぎょうこうけい)関係、被災地などへの見舞金の下賜(かし)、献上品の受領、拝謁(はいえつ)・午餐(ごさん)・お茶会などの調整、新年・天皇誕生日の一般参賀関係、報道関係、勤労奉仕団関係の事務を、また宮務課は内廷外皇族関連、旧皇族の菊栄(きくえい)親睦会関係の事務を、主計課は経費及び収入の予算・決算、皇室経済会議および会計監査に関する事務を、そして用度課は備品・器具・消耗品などの管理および検査などを、それぞれ担当しています。また宮内庁病院は主に宮内庁職員の診療を行っています。
これが宮内庁の「オモテ」です。
参考資料
宮内庁の組織図(概要)(平成16年4月1日現在)
■宮内庁
宮内庁長官、宮内庁次長、長官秘書官
■内部部局
■長官官房
審議官、宮務主管、皇室経済主管、皇室医務主管
参事官
(秘書課、総務課、宮務課、主計課、用度課、宮内庁病院)
※秘書課に調査企画室、総務課に報道室が置かれている
■侍従職
侍従長、侍従次長、女官長、侍医長
侍従、女官、侍医
■東宮職
東宮大夫、東宮侍従長、東宮女官長、東宮侍医長
東宮侍従、東宮女官、東宮侍医
■式部職
式部官長、部副長(儀式総括、外事総括)、式部官
■書陵部
書陵部長
(図書課、編修課、陵墓課、陵墓管区事務所)
※陵墓管区事務所は多摩、桃山、月輪、畝傍、古市の5ヶ所
■管理部
管理部長
(管理課、工務課、庭園課、大膳課、車馬課、宮殿管理官
御用邸管理事務所、皇居東御苑管理事務所)
※御用邸管理事務所は那須、須崎、葉山の3ヶ所
■施設等機関
■正倉院事務所(奈良県)
■御料牧場(栃木県)
■地方支分部局
■京都事務所(京都府)
関連記事
第32回、宮内庁@(その特殊な官庁)