皇室のきょうかしょ 皇室のあれこれを旧皇族・竹田家の竹田恒泰に学ぶ!
vol.32 宮内庁@(その特殊な官庁)
 坂下門(さかしたもん)から皇居に入ると先ず目に入るのは昭和10年(1935)に建てられ、一時は仮宮殿として使われていた宮内庁(くないちょう)庁舎です。「宮内庁」は、天皇の国事行為と、天皇と皇族の日常生活のお世話をする役所です。
 今でこそ宮内庁は内閣府が管轄する外局(がいきょく)として位置づけられていますが、終戦までは「宮内省」と呼ばれていて、他の省庁とは一線を画す特別な存在でした。
 「宮内省」の歴史は古く、そのルーツは今からおよそ1300年遡った古代の第42代・文武天皇(もんむてんのう)の大宝令官制(たいほうれいかんせい)の中に見ることができます。
 その後、武家が政治権力を握るようになって令制が形骸化(けいがいか)しますが、王政復古が実現すると明治2年(1869)に、太政官内の一省として「宮内省」が復興されました。その当時は職員も400名程度でした。
 明治18年(1885)に太政官(だいじょうかん)が廃止され、翌19年(1886)に内閣制度が発足、そして明治22年(1889)に大日本帝国憲法と旧皇室典範が公布されると、宮内省は天皇と直結して内閣から独立し、内閣総理大臣の制約を受けず、天皇に信任された宮内大臣が一切を取り仕切るという、一省庁としては格別な存在となり、隆盛を極めることになります。
 明治41年(1908)に宮内省官制が施行(しこう)されると、宮内省は皇室の一切の事務につき天皇を輔弼(ほひつ)する役所としての役割が明確に定められ、宮内省全盛期を迎えるのです。
 終戦までは25部局、70課に地方事務所が1ヶ所という大所帯で、終戦当時の職人は6200人を数えたといいます。
 戦前の宮内省には独自の財源がありました。皇室は御料林(ごりょうりん)と呼ばれる山林を全国に所有していて、そこから得られる膨大な収入を宮内省の財源として自由に使うことができました。

 しかし、このように宮内省が強大な権限を揮う時代も、日本が太平洋戦争に敗北すると終わりを遂げます。連合国総司令部(GHQ)の指示によって宮内省の権限は大幅に縮小されることになったのです。
 どのように縮小すべきかは激しく議論されたところですが、昭和20年(1945)11月に内大臣府を廃止し、その後、帝室林野局を農林省へ、帝室博物館を文部省へ、皇宮警察を警視庁へ移管させたほか、学習院は財団法人として独立(現在は学校法人)させるなどの措置が取られました。
 そして昭和22年(1947)5月に日本国憲法の施行に伴い、内閣総理大臣の所管機関として「宮内府」が発足し、昭和24年(1949)6月の総理府設置法の制定により、総理府の外局として「宮内庁」となりました。
 その後宮内庁は、中央省庁等改革の一環として平成13年(2001)1月から内閣府に置かれることになり、現在に至っています。
 敗戦後、御料林を含むほとんどの皇室財産は国有化されてしまったため、宮内庁は財源を失いました。そして現在は、長官官房(ちょうかんかんぼう)・侍従職(じじゅうしょく)・東宮職(とうぐうしょく)・式部職(しきぶしょく)・書陵部(しょりょうぶ)・管理部・京都事務所の7部局で構成され、定員はおよそ1100人となり、国会の決議した年間百数十億円の予算が割り当てられています。
 (宮内庁の予算についての詳細は第10回「年間の皇室費用は戦闘機1.5機分」を参照してください。)
 規模と予算は終戦で様変わりしましたが、人事も大きく変わりました。宮内省時代は要各官庁からの出向者が宮内庁の要職を占めるようになり、宮内庁は「寄り合い所帯」の色が濃くなっています。
 また各官庁からの出向期間は多くが2年であることから、官僚にとって宮内庁は「出世途中の越し掛け官庁」で、その結果、官僚特有の「事なかれ主義」が更に助長したといわれるようにもなりました。
 具体的には、総務課長は総務省、主計課長は財務省、管理課長は厚生労働省、庭園課長は環境省、式部官長は外務省などからの出向が慣例となりつつあります。

 宮内庁の組織は大きく「オモテ」と「オク」に大別することができます。宮中では古くから、天皇が政務をお執りになる場所を「オモテ」、そして天皇の生活空間を「オク」といって区別していました。
 したがって、厳密に区分することは困難ですが、大まかに宮内庁職員は「オモテ」に仕える職員と、「オク」に仕える職員の二種に大別されることになります。
 「オモテ」を代表するのは宮内庁長官、また宮内省時代は宮内大臣。「オク」を代表するのは侍従長です。また、部局としては、主に長官官房が「オモテ」、侍従職、東宮職、式部職、書陵部などが「オク」を担当しています。


宮内庁の組織図(概要)(平成16年4月1日現在)
 ■宮内庁
宮内庁長官、宮内庁次長、長官秘書官
 ■内部部局
  ■長官官房
    審議官、宮務主管、皇室経済主管、皇室医務主管
    参事官
 (秘書課、総務課、宮務課、主計課、用度課、宮内庁病院)
  ※秘書課に調査企画室、総務課に報道室が置かれている
  ■侍従職
   侍従長、侍従次長、女官長、侍医長
   侍従、女官、侍医
  ■東宮職
   東宮大夫、東宮侍従長、東宮女官長、東宮侍医長
   東宮侍従、東宮女官、東宮侍医
  ■式部職
   式部官長、部副長(儀式総括、外事総括)、式部官
  ■書陵部
   書陵部長
  (図書課、編修課、陵墓課、陵墓管区事務所)
   ※陵墓管区事務所は多摩、桃山、月輪、畝傍、古市の5ヶ所
  ■管理部
   管理部長
  (管理課、工務課、庭園課、大膳課、車馬課、宮殿管理官
   御用邸管理事務所、皇居東御苑管理事務所)
   ※御用邸管理事務所は那須、須崎、葉山の3ヶ所
 ■施設等機関
  ■正倉院事務所(奈良県)
  ■御料牧場(栃木県)
 ■地方支分部局
  ■京都事務所(京都府)


関連記事 第10回「年間の皇室費用は戦闘機1.5機分」


出典:「お世継ぎ」(平凡社)八幡和郎 著
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作家 プロフィール
山崎 元(やまざき・はじめ)
昭和50年、東京生まれ。旧皇族・竹田家に生まれる。慶応義塾大学法学部法律学科卒。財団法人ロングステイ財団専務理事。孝明天皇研究に従事。明治天皇の玄孫にあたる。著書に『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)がある。
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ケータイタケシ

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