今上天皇(現在の天皇陛下)は第125代の天皇でいらっしゃいますので、これまで我が国には125代の天皇が君臨してきたことになります。その中で「女帝」(女性天皇)は8方10代いらっしゃいました。
「8方10代」というのは、譲位(じょうい)(天皇の位を離れること)した後に、もう一度即位(そくい)(天皇になること)された女帝が2方いらしたので、このように表現しています。
8方10代の女帝のうち、6方8代は7世紀から8世紀、つまり飛鳥時代から奈良時代にかけての200年間に集中しています。
その後は800年以上女帝の即位はありませんでしたが、江戸時代になって2代の女帝が現れました。
8方の女帝のうち3方が皇后、1方が皇太子妃、4方が未婚の皇女でした。女帝は、特別な事情がある場合に限ったもので、次の男系男子が即位するまでの中継ぎ役でした。
そのため、女帝は一代限り認められるものであり、女帝の子孫が皇位に就くことはありませんでした。一旦女性が皇位に就くと、生涯未亡人、もしくは未婚を貫かなければならない不文律があったのです。
女帝は、8方中6方が皇女(こうじょ)(天皇の娘)で、1方が皇孫(こうそん)(天皇の男系の孫)、1方が皇曾孫(こうそうそん)(天皇の男系の曾孫)です。
歴代の女帝は全方が天皇の「男系の子孫」に当たるわけです。「男系の子孫」とは、父親をたどると歴代天皇にゆきつく人のことをいいます。
女帝が一代限りだったこともあり、女帝の後は本来皇位に就くべき男系の男子に皇統が戻るので、皇位はこれまで、125代とも例外なく歴代天皇の男系の子孫によって継がれてきたわけです。
多くの女帝が出現した奈良・飛鳥時代は、まだ皇位継承の制度が整う前で、皇太子の制度も明確になっていませんでした。そのため、天皇の代替わりのときに混乱が生じやすく、次に男系男子が皇位に就くまでの間、暫定的に女性が天皇になることがあったのです。
最初の女帝・推古(すいこ)天皇は、欽明(きんめい)天皇の皇女で、同時に敏達(びだつ)天皇の皇后でした。
敏達天皇が崩御すると、弟の用明(ようめい)天皇が即位したのですが、用明天皇も間もなく崩御し、続けてその弟の崇峻(すしゅん)天皇が即位します。
しかし、後継者が決まる前に崇峻天皇が暗殺されたことで、政治混乱の中、皇位継承を巡る争いが起こりそうになります。
そこで、皇女でもあり先帝の皇后である推古天皇が天皇に即位することになったのです。推古天皇の即位により、皇位継承の争いは回避され、次の世代への筋道がつけられました。
女帝は「男子の皇位継承者がいなくなって、女性が天皇になったケース」と勘違いする人が多いようですが、そのような例は実は一度もありません。推古天皇の例はむしろ逆で、皇位継承の候補者が多すぎて争いが起こりそうになり、それを避けるために皇后が天皇になった例です。
二番目の女帝・皇極(こうぎょく)・斉明(さいめい)天皇も、推古天皇と同じく、皇位継承の争いを避けるために成立しました。
三番目の女帝・持統(じとう)天皇からは成立の背景が違ってきます、持統天皇は孫の成長を待つために即位しました。
天武天皇の次には皇子の草壁(くさかべ)皇子が皇位を継ぐ予定でしたが、若くして亡くなってしまったため、草壁皇子の子・珂瑠(かる)皇子を継承者とすることになりました。しかし珂瑠皇子は余りに若く、皇子が成長するまでの間、持統天皇が天皇の位に就くことになったのです。
四番目の元明(げんめい)天皇は子の成長を待つため、五番目の元正(げんしょう)天皇と六番目の孝謙(こうけん)・称徳(しょうとく)天皇はそれぞれ弟の成長を待つために女帝となった例です。
一方、江戸期に859年ぶりに成立した七番目の女帝・明正(めいしょう)天皇はまた違った成立背景を持ちます。朝廷と幕府間の政治的摩擦の結果成立した女帝でした。
時の天皇は後水尾(ごみずのお)天皇です。後水尾天皇は紫衣事件(しえじけん)・春日局参内(かすがのつぼねさんだい)事件などで幕府と深く対立し、天皇は不快感をあらわに退位し、幕府への抗議の意味を込めて、まだ7歳の内親王を即位させたのでした。
八番目に最後の女帝となった後桜町(ごさくらまち)天皇は、弟にあたる桃園(ももぞの)天皇が若くして崩じ、その皇子も幼少であったために、伯母(おば)が甥(おい)の成長を待つ形で即位した例です。
このように、女帝は男系男子が皇位を継ぐまでの中継ぎとしての役割を担った一代限りの臨時の天皇でした。しかし、それとは別に政治的に重要な役割を担った女帝も多く、歴代天皇の歴史において注目される存在なのです。
125代のうち、女帝は僅か10代しか例がないことから、天皇は原則として男性がなるものであることがわかります。ただし、特別な理由がある場合は、異例な措置として、女性が天皇になることが認められていたわけです。
では、なぜ天皇は男性であることが原則なのでしょうか。これには諸説ありますが、宗教上の理由が一番だと思われます。
日本の天皇は、他国の「王」とは性質がかなり違います。たとえていうと「英国国王がローマ法皇(ほうおう)を兼ねているようなもの」と説明すると分かりやすいでしょうか。
日本では古代より、天皇は男性がなるものと考えられていました。キリスト教でも歴代のローマ法皇と枢機卿(すうききょう)は全て男性ですし、チベット・ラマ教のダライラマ、ユダヤ教のラビ、イスラム教の神職なども男性でなくてはならず、男系によって継承されます。
このように、宗教的権威を男性に限り、男系によって継承されるという考え方は、世界の宗教の常識なので、特別変わった考え方ではありません。
やはり女帝の時期は、祭祀に支障が生じていました。したがって、日本ではよほどの事情がない限り、天皇は男性に限られてきたのです。
歴代女帝リスト
注)@歴代天皇との関係 A婚姻関係 B即位後の婚姻 C即位の主旨
推古天皇 @欽明天皇の皇女A敏達天皇の皇后B再婚なしC皇位継承の争い回避
皇極・斉明天皇 @敏達天皇の曾孫A舒明天皇の皇后B再婚なしC皇位継承の争い回避
持統天皇 @天智天皇の皇女A天武天皇の皇后B再婚なしC孫の成長を待つ
元明天皇 @天智天皇の皇女A皇太子草壁皇子の妃B再婚なしC子の成長を待つ
元正天皇 @天武天皇の孫A未婚で即位B生涯独身C弟の成長を待つ
孝謙・称徳天皇 @聖武天皇の皇女A未婚で即位B生涯独身C弟の成長を待つ
明正天皇 @後水尾天皇の皇女A未婚で即位B生涯独身C幕府への抗議
後桜町天皇 @桜町天皇の皇女A未婚で即位B生涯独身C甥の成長を待つ