宮中では皇族がお生まれになることを「御誕辰」(ごたんしん)といい、前後に様々な伝統的儀式が執り行われます。
儀式は時代と共に変化することもありますが、昔から変わらずに続けられているものもあります。
天皇の代替わりの度に編纂(へんさん)される、天皇の公式記録は「天皇紀」といいますが、天皇紀には、御誕辰に関する儀式について詳しく記されています。現在公刊されている天皇紀で最新のものは「明治天皇紀」です。天皇紀の記述をたどり、明治天皇の御誕辰前後の儀式について紹介することにしましょう。
嘉永(かえい)5年(1852)9月22日、明治天皇の生母、中山慶子(なかやまよしこ)に出産の兆(きざ)しが現れました。中山慶子は第121代孝明天皇(こうめいてんのう)の側室(そくしつ)です。
(「側室」とは妾(めかけ)のことです。天皇は皇后(正式な妻)の他に、非公式な妻の「側室」を複数持つ場合がありました。)
中山慶子は懐妊すると、御所から実家の中山家に帰り、出産の準備をしていました。中山邸は御所から道を挟んで北東側の直ぐ向かいにあます。現在は京都御苑の一角に位置し、明治天皇の御誕辰を記念する碑が立っています。
当時出産は「穢れ」(けがれ)の一つとされていたので、御所内での出産は許されませんでした。ですから、皇族の出産に当たり生母が里帰りするのは、ごく普通のことだったのです。現在でも御所内で皇族が御出産なさることはありません。
皇子の御誕辰は午後一時頃でした。元気な男の子が生まれたことは直ぐに御所に報告されました。
生まれたばかりの皇子は胞衣(えな)(胎盤のこと)といっしょに請衣(うけぎぬ)と呼ばれる、白羽二重(しろはぶたえ)(絹織物の一種)三幅を方形にあわせたものに包まれました。そして皇子は継入の湯(つぎいれのゆ)に入れられ、それが済むと、中山邸にある全ての火は消されました。
家中の火が消されたのは、火も出産による穢れを受けたと考えられたからです。御所で使われる火は、餅屋の川端道喜(かわばたどうき)の「清火」が用いられるのですが、中山邸もこの日同じところから新たに火を取寄せました。
間もなく御所から使者が訪れ、皇子に守刀(まもりがたな)と掻巻(かいまき)(綿入れの夜着)が届けられ、続けて臍帯(さいたい)(へその緒)を切って縛り、傷跡を焼く儀式が行われました。
胞衣は洗浄された後に土器に入れられ、白木の胞衣桶に納められ、台に載せられ、隣の部屋の西北隅に置かれました。そして、その蓋(ふた)の上には笋刀(たこうながたな)1双、青石2個、ごまめ2尾が載せられ、桶と一緒に白絹で包まれました。さらに、その前には屏風(びょうぶ)がめぐらされ、白木の菊灯台が一基置かれ、昼夜続けて火が灯されました。
胞衣桶と菊灯台には胡粉(ごふん)(白色の顔料)を使って、松・竹・鶴・亀の絵が施されていたそうです。松竹梅の「梅」が抜けているのは、梅は散るので、散ることを忌み嫌って、書かなかったといいます。
臍帯を切る儀式が終わると、皇子は産湯につかりました。この時古例にしたがい、加茂川の水と井戸の水を合わせたものを用いました。
産湯から上がった皇子は、襦袢(じゅばん)と袖なし、そして請衣に似た御巻(おまき)と呼ばれる白羽二重二幅半を方形に製したもので巻かれました。産衣を着るまでの数日間、皇子はこの姿で過ごすのです。
皇子の褥(しとね)(寝るための布団)は御産所の、白絹の縁の片高畳(かただかたたみ)の上に設けられました。片高畳は、厚畳を半ば斜めにけずったもので、その高い方に枕を置き、東か南を枕としました。
枕元には左右対称に一対の犬張子(いぬはりこ)が置かれ、張子の中には化粧道具16品が納められました。犬張子とは、犬の立ち姿の張子細工で、古くから子供の魔よけとして知られています。
またその後ろには錦の袋に納められ、箱に入れられた守刀が置かれ、さらに天児(あまがつ)という、こけしに似た形をした、子供を邪気から守るとされる人形が置かれました。
御産所の床の間には、白絵が施された胞衣桶に似た白木の桶が二つ置かれ、その一つには米1包、花結びの糸2条を載せ、またもう一つには青石3個、金頭(かながしら)2尾を載せました。
皇子の座を動かすたびに米をまいて祓いに代え、また花結びの糸は、御七夜(おひちや)にいたるまで、皇子がクシャミをするたびに結び目がつけられます。これは、古来より生まれたばかりの子供がクシャミをするほど、その子は長寿であるとされていたからです。
また青石は歯が丈夫になるように、金頭はカサゴ目の海魚で頭部に硬い骨格が発達することから頭が良くなるようにという願いが込められています。そして青石と金頭は御七夜と箸始(はしはじめ)で供されることになります。
皇子の褥の東には衣架(いか)(衣類を掛けておく家具)が置かれ、黒紅に金箔を押した提帯(さげおび)2条をかけて、二つを結んで垂らしました。そして褥との間に一対の白張屏風を立てました。衣架と屏風にもまた松・竹・鶴・亀の白絵が施されました。
皇子女が生まれると服飾や調度品などは全て白色を用います。色のついたものは提帯だけです。御色直(おいろなおし)の儀で、これらは全て色のついたものに置き換えられるのです。
皇族の御誕辰にあたっては、まだまだ多くの儀式が行われます。来週、後半に続きます。