vol.18 神器各論A草薙剣(くさなぎのつるぎ)
草薙剣は、皇位のしるしである三種の神器のひとつで、熱田神宮(あつたじんぐう)(名古屋市熱田区)の御神体(ごしんたい)です。
『古事記』『日本書紀』によると、須佐之男命(すさのおのみこと)が櫛名田比売(くしなだひめ)を助けるために八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したとき、その尾から現れたのが草薙剣であると記されています。
須佐之男命は「これは不思議な剣であるから自分のものにしてはいけない」と思い、高天原に持ち帰って天照大御神に献上しました。後に草薙剣は八咫鏡(やたのかがみ)と八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)と一緒に、邇邇芸命(ににぎのみこと)の天孫降臨によって高天原から再び地上にもたらされました。
昔から剣は特別なものと考えられてきました。その中でも草薙剣は悪しきものを滅ぼし、正しきものを守る霊剣であり、正しく国を治めることの象徴であるといえます。
現在、草薙剣は熱田神宮(あつたじんぐう)(名古屋市熱田区)に御神体(ごしんたい)として奉安されています。
草薙剣が高天原から地上に戻ってきてから、熱田神宮に祀られるまでの経緯をたどってみましょう。
天孫降臨からしばらくの間、記紀には草薙剣に関する記事はありません。次に記述があるのは第12代景行天皇(けいこうてんのう)の時代です。天皇の皇子である倭建命(やまとたけるのみこと)が東国の平定(へいてい)にでかけるにあたり、伊勢の神宮で倭比売命(やまとひめのみこと)から草薙剣を授かりました。
天孫降臨からどのような経緯で草薙剣が神宮に奉安されるに至ったのか、記紀は何も記していません。
草薙剣を手にした倭建命は、駿河で荒ぶる神による火攻めに遭うのですが、『日本書紀』の分注によると、このとき剣がひとりでに抜け、倭建命(『日本書紀』では「日本武尊」(やまとたけるのみこと))の周りの草をなぎはらい、難を逃れることができたといいます。そして、このことが「草薙剣」という名前の由来であると書かれています。
しかし、後に倭建命が尾張(おわり)に至り、荒ぶる神と対決するために伊服岐(いぶき)の山にでかけたとき、ひとつの大きな間違いを犯してしまいます。倭建命は素手で戦うつもりで草薙剣を置いていってしまったのです。倭建命は剣の霊力に守られなかったためか、悪戦を強いられ、病気になった末、命を落としてしまいます。
倭建命の妻・美夜受比売(みやずひめ)の元には草薙剣が残されました。美夜受比売は尾張国に神社を創建して剣を祀ります。これが現在の熱田神宮です。この剣は、その後失われることなく、現在まで大切に奉安されているのです。
しかし、一度だけ剣に災難が降りかかりました。時代が下って、第38代天智天皇(てんじてんのう)の時代に、道行(どうぎょう)という僧が草薙剣を盗み、新羅(しらぎ)に持ち出そうとした事件がありました。ところが、船は途中で暴風雨に遭い、日本に戻ってきてしまいます。そこで剣は宮中に留め置かれることになりました。
しかし、第40代天武天皇(てんむてんのう)の代の朱鳥(しゅちょう)元年(686)、占いで天皇の病気の原因が草薙剣であると分かり、剣は熱田神宮に戻されることになったのです。
ところで、古くから宮中にも草薙剣が祀られてきました。宮中の剣は熱田神宮に祀られる草薙剣の形代(かたしろ)(レプリカ)とされています。
しかし、宮中に祀られてきた宝剣は一度失われています。元暦(げんりゃく)2年(1185)の壇ノ浦(だんのうら)の戦いで、第81代安徳天皇(あんとくてんのう)が入水したときに、三種の神器がもろとも海中に沈むという惨事があり、鏡と勾玉は間もなく回収されたのですが、剣だけは戻ってきませんでした。
仕方がないので宮中にあった別の剣を代わりに祀っていたのですが、第84代順徳天皇(じゅんとくてんのう)が即位するに当たり、承元4年(1210)、伊勢の神宮の剣の中から一つが選ばれ、三種の神器の剣として宮中に改めて祀られるようになったのです。
ところで、草薙剣は他の神器と同じく、天皇であっても見ることが許されません。神器を見た者は必ず死ぬという言い伝えがあります。したがって、剣がどのようなものであるか、全く伝えられていません。
しかし、江戸時代に熱田神宮の宮司が4、5人の神職と、内緒で草薙剣を見たという記録があります。恐ろしいことに、言い伝えとおり、剣を見た神職は次々と謎の死を遂げていきました。最後に残った一人が剣の形状について記録を書き残しました。
その記述は『玉籤集』(ぎょくせんしゅう)の裏書に収録されています。それによると、つぎのように記されています。
【近づくと雲霧がわき上がって何も見えなくなり、扇であおぎ、隠し火で覗くと、5尺ほどの木箱があった。木箱の中には石箱があり、その間の溝は赤土で埋められていた。石の箱には中をくりぬかれたクスノキの丸木が納められていて、石箱との溝はやはり赤土で埋められていた。丸木の内側には黄金が敷かれていて、その上に御神体が鎮座していた。御神体の長さは2尺7、8寸(約80センチメートル)。刃先は菖蒲の葉に似ていて、中程にむっくりと厚みがあり、手元の方の6寸ばかりは魚の背骨のように節がある。色は全体的に白い。】
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