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vol.15 神器各論@ 八咫鏡(やたのかがみ)
 八咫鏡は、皇位のしるしである三種の神器のひとつです。『古事記』『日本書紀』によると、高天原(たかまがはら)で天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩屋(あまのいわや)にこもってしまったときに作られました。

 丸くて輝きのある鏡は、太陽を連想させます。そして、鏡には邪悪なものを跳ね返す力があると考えられていました。八咫鏡は天照大神(太陽神)の象徴であり、聖なる御魂(みたま)を宿したレガリア(神器)なのです。

 現在、八咫鏡は皇居の賢所(かしこどころ)に奉安されています。三種の神器は、邇邇芸命(ににぎのみこと)によって高天原から地上にもたらされました。それ以降、現在に至るまでの八咫鏡の歴史をたどってみましょう。


 初代神武天皇(じんむてんのう)が大和橿原宮(やまとかしわらのみや)に即位すると、神器は宮中の正殿に奉安されました。

 ところが、『日本書紀』によると、第10代崇神天皇(すじんてんのう)は、天照大神の勢いを畏れて、八咫鏡を宮中の外に祀ることにしたのです。崇神天皇6年、八咫鏡は豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託され、笠縫邑(かさぬいのむら)(場所については諸説ある)に祀られました。

 この時、新たに剣と鏡の形代(かたしろ)(レプリカ、複製品)が作られ、その形代が天皇の護身の御璽として宮中に祀られ、皇位のしるしになったのです。

 そして第11代垂仁天皇のときに、笠縫邑に祀られていた八咫鏡は、こんどは倭姫命(やまとひめのみこと)に託され、伊勢国(いせのくに)の五十鈴川(いすずがわ)のほとりに斎宮が建てられ、そこに八咫鏡が奉安されることになったのです。

 これが神宮(伊勢神宮)の始まりです。以来約2000年経過しますが、現在も神宮の内宮には、高天原からもたらされたとされる八咫鏡が、そのまま祀られているのです。


 では、宮中に祀られた、皇位のしるしとしての八咫鏡はどのようになったのでしょう?
 実は、宮中の八咫鏡はおよそ2000年の間に3回火事で炎に包まれ、また1度海中に沈むという試練を乗り越えてきました。

 1回目の火事は、平安時代中期、第62代村上天皇(むらかみてんのう)の代で、天徳(てんとく)4年(960)のことでした。三種の神器は宮中の温明殿(うんめいでん)に祀られていましたが、この年、宮中が火事に遭い、幸い剣と勾玉は持ち出されて難を逃れたものの、八咫鏡は間に合わず、温明殿ごと焼けてしまったのです。

 しかし、その焼け跡から3面の鏡が発見されました。実は三種の神器は、その所有者である天皇ですら実見が許されないため、神器がどのようなものであるかは、全くの謎に包まれていましたが、このとき初めて八咫鏡が3面あったことが分かったのです。

 村上天皇の日記には、小さな傷のある直径8寸(約24センチ)ほどの鏡が焼け跡から見つかったと記されています。実は『日本書紀』には、天照大神を外に出そうとして天岩屋に鏡を差し入れたときに、鏡に小さな傷が付いたという逸話が記されているのですが、崇神天皇が八咫鏡の形代を作った際に、その小さな傷までも正確に模造したのかも知れません。

 次に鏡が焼けたのは、同じく平安時代中期、第66代一条天皇(いちじょうてんのう)の代で、寛弘(かんこう)2年(1005)のことでした。この時八咫鏡は損傷を受けてしまいます。関白の藤原道長(ふじわらのみちなが)が鏡を新しく作り直そうと考えたのですが、その会議のときに、御殿から蛇が去るさまが目撃されたために、取りやめになりました。

 三回目に鏡が焼けたのは、やはり平安時代中期、第69代後朱雀天皇(ごすざくてんのう)の代で、長久(ちょうきゅう)元年(1040)のことでした。この時、ついに八咫鏡は焼失してしまいます。焼け跡から、かろうじて数粒の鏡の破片が回収されただけでした。

 以降、その破片と、新たに鋳造された鏡を合わせた2つが八咫鏡として宮中に祀られるようになりました。


 八咫鏡にとって最大の危機は、平安時代末期、元暦(げんりゃく)2年(1185)に訪れました。壇ノ浦の合戦で平家が滅ぼされたとき、僅か満6歳の第81代安徳天皇(あんとくてんのう)は平清盛(たいらのきよもり)の妻時子(ときこ)に抱かれて、三種の神器もろとも入水したのです。

 これにより、三種の神器は海に沈んでしまいました。しかし、後に鏡は大納言時忠(だいなごんときただ)によって、また勾玉は武士によって回収されましたが、剣は完全に失われてしまったのです。

 その後、何度も宮中が火災に見舞われることがありましたが、その度に八咫鏡は難を逃れ、現在は皇居の賢所に奉安されています。

 ですから、神代に天空からもたらされた本物の八咫鏡は現在神宮に、またおよそ2000年前に崇神天皇が作った初代の八咫鏡の形代の破片数粒と、平安時代中期に新たに鋳造された2代目の八咫鏡の形代の両方が、現在の皇居賢所に、それぞれ奉安されていることになります。

関連記事  第7回 皇位のしるし「三種の神器」


出典:「お世継ぎ」(平凡社)八幡和郎 著
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作家 プロフィール
山崎 元(やまざき・はじめ)
昭和50年、東京生まれ。旧皇族・竹田家に生まれる。慶応義塾大学法学部法律学科卒。財団法人ロングステイ財団専務理事。孝明天皇研究に従事。明治天皇の玄孫にあたる。著書に『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)がある。
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