伊邪那岐神(いざなきのかみ)が十拳剣(とつかのつるぎ)で生まれたばかりの火の神、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)の首を刎ねました。
すると、火之迦具土神の体から炎がほとばしり、あたり一面に真っ赤な血液が吹き出し、そこからまた新たな神が生まれます。
剣の切っ先についた血が、岩に走りつくと、石拆神(いわさくのかみ)、根拆神(ねさくのかみ)、石筒之男神(いわつつのをのかみ)の三柱(みはしら)の、剣と岩の神が生まれました。
つぎに、剣の根元についた血が岩に飛び散ると、甕速日神(みかはやひのかみ)、樋速日神(ひはやひのかみ)、建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)の三柱の、雷の神が生まれました。
さらに、剣の柄(つか)に溜まった血が、伊邪那岐神の指の間からあふれ出ると、闇淤加美神(くらおかみのかみ)、闇御津羽神(くらみつはのかみ)の二柱の、雨を呼ぶ滝の神と水の神が生まれました。
そのうえ、殺された火之迦具土神の体からも、次々と神が生まれます。
頭から生まれたのは、正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)。
胸から生まれたのは、淤縢山津見神(おどやまつみのかみ)。
腹から生まれたのは、奥山津見神(おくやまつみのかみ)。
男根から生まれたのは、闇山津見神(くらやまつみのかみ)。
左の手から生まれたのは、志芸山津見神(しぎやまつみのかみ)。
右の手から生まれたのは、羽山津見神(はやまつみのかみ)。
左の足から生まれたのは、原山津見神(はらやまつみのかみ)。
右の足から生まれたのは、戸山津見神(とやまつみのかみ)。
八柱(やはしら)の山の神々です。
遺された伊邪那岐神は一人悲しみ、ついに、亡き伊邪那美神(いざなみのかみ)を追って黄泉の国(よみのくに)へ出かけて行きました。黄泉の国とは地の底にある死者の住む国のことです。
そして、黄泉の国の、伊邪那美神が住む御殿の固く閉じた扉が開き、伊邪那岐神は伊邪那美神との再開を果たします。伊邪那岐神が「美しき我が妻よ、私とあなたが作る国は、まだできあがっていない。一緒に帰ろう。」というと、伊邪那美神は次のように答えました。「もう少し早く迎えに来てくださればよかったのですが、残念なことに、私は黄泉の国の食べ物を食べてしまったので、この世界の住人になってしまいました。もう地上へ戻ることはできません。でもあなた様がせっかくいらしてくださったのですから、なんとか地上へ帰りたいと思います。黄泉の神々と相談してきますので、その間、決して私を見ないと約束してください。」
このように言い残して、伊邪那美神は御殿の戸を閉じました。伊邪那岐神は待ちました。ところが、待てどくらせど、伊邪那美神は姿を現しません。
待ちきれなくなった伊邪那岐神は、約束を破って御殿の中に入っていきました。殿内は真っ暗です。伊邪那岐神は左右に束ねた髪の左側に刺してあった湯津津間櫛(ゆつつまぐし)の歯を一本折って、それに火を灯しました。
すると、伊邪那岐神の目に飛び込んできたのは、腐敗してウジにまみれた、変わり果てた姿の伊邪那美神だったのです。そして、伊邪那美神の体には恐ろしい八柱(やはしら)の雷神(いかづちがみ)が成り出でていました。頭には大雷(おおいかづち)、胸には火雷(ほのいかづち)、腹には黒雷(くろいかづち)、陰部には拆雷(さきいかづち)、左手には若雷(わかいかづち)、右手には土雷(つちいかづち)、左足には鳴雷(なりいかづち)、そして右足には伏雷(ふしいかづち)がいました。
伊邪那岐神はびっくりして逃げました。ところが、醜い姿を見られた伊邪那美神は「私に恥をかかせたな!」といって、豫母都志許売(よもつしこめ)という黄泉の国の恐ろしい醜女(しこめ)に後を追わせたのです。
伊邪那岐神は必死に逃げます。追いつかれそうになったので、伊邪那岐神は髪に巻きつけていた黒御縵(くろみかづら)という、つる草を投げました。すると、つるが勢いよく茂り、ブドウの実がなったのです。醜女はブドウにむしゃぶりつきました。
その隙をついて伊邪那岐神は逃げます。しかし、猛烈な勢いでブドウを食べつくした醜女は、その後もしつこく追って来ました。次に伊邪那岐神は、左右に束ねた髪の、今度は右側に刺してあった湯津津間櫛(ゆつつまぐし)(竹櫛)を、醜女に向かって投げつけました。
すると、今度は筍が生えてきたのです。醜女は筍を抜き、次々に食べていきます。伊邪那岐神は、またこの隙に逃げました。
しかし、伊邪那岐神を追うのは醜女だけではありませんでした。八柱の雷神と千五百の黄泉の軍勢も追って来ます。どれも怖い顔をした悪霊です。
伊邪那岐神は腰に差していた十拳剣を抜いて振りながら走りました。伊邪那岐神は、ようやく黄泉に国と現実の世界の境にあたる黄泉比良坂(よもつひらさか)にさしかかり、そこに一本の桃の木を見つけます。
急いで桃の実を三個取り、投げつけると、どうしたことか、悪霊たちはすっかり勢いを失い、逃げ帰ったのです。
桃の実に命を助けられた伊邪那岐神は、桃の木に「私を助けてくれたように、現世の人が苦しみ悩むとき、同じように助けなさい。」といい、意富加牟豆美命(おほかむずみのみこと)と名前を賜りました。
ところが、最後の最後に、伊邪那美神が、腐り、ウジがわいた自らの体を引きずりながら追って来たのです。
伊邪那岐神は、千人かかりでようやく動かせるという、千引の石(ちびきのいわ)と呼ばれる巨大な岩で黄泉比良坂を塞ぎました。ちなみに、昔から岩石は悪霊邪気の侵入を防ぐものと信じられていました。
そうして、伊邪那岐神と伊邪那美神は、大石を挟んで向き合いました。伊邪那岐神が夫婦離別の呪文である「事戸」(ことど)を述べると、伊邪那美神は「愛しい夫がそのようにするのであれば、あなたの国の人々を一日に千人絞め殺しましょう!」と恐ろしい声をあげました。
それに対して伊邪那岐神は、「愛しき妻がそのようにするのであれば、わたしは一日に千五百の産屋(うぶや)を建てよう!」といいました。
このように二柱の神は永遠の決別をしたのです。かくして、現世では一日に必ず千人が死に、千五百人が生まれることになりました。
黄泉の国に残った伊邪那美神は、黄泉津大神(よもつおおかみ)と呼び、また、黄泉比良坂を塞いだ大石を道返之大神(ちがえしのおおかみ)と呼ぶようになりました。
伊邪那美神は黄泉の大神として、そして伊邪那岐神は現世の大神として全く別の道を歩むことになったのです。
古事記には、黄泉比良坂は、出雲の国の伊賦夜坂(いふやさか)というと書かれていますが、それとは別に、黄泉の国は横穴式古墳の内部のことではないかという説もあります。これによると、黄泉の国は棺を安置する玄室、「黄泉比良坂」は、玄室に向かう通路、また、この世とあの世を分ける「千引の石」は、古墳の入口を塞ぐ岩であるとされます。
つづく