古事記にはたくさんの神が登場しますが、その一番はじめに現れる神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。
天照大神(あまてらすおおみかみ)が最高神だと思っている人も多いかもしれませんが、天照大神が現れるのは、ずっと先のことです。
実は、この天之御中主神こそが、日本神話の最高神なのです。
まず「天之御中主神」という名前に注目してください。「天」とは宇宙のことで、「主」とは、とどまって動かない者、つかさどる者のことです。ですから、この神様は、「宇宙の中央にいて支配する神」ということになります。
では、天之御中主神が現れる場面は、古事記にどのように書かれているのでしょう?
太古の昔は、天地(あめつち)の区別もなく、全てのものは形をもちませんでした。しかし、あるとき天と地が別れ、天の高天原(たかまがはら)にはじめて現れたのが天之御中主神でした。
天地開闢(てんちかいびゃく)、宇宙の始まりです。
しかし、天之御中主神は宇宙の根源、もしくは宇宙そのもので、ありとあらゆるところに満ちていて、姿をとらえることはできません。現れたとたんに、完全に姿を隠してしまいます。
けれども、姿を隠したとはいえ、その後何もしていないわけではありません。目に見えない世界から神々に指令を出すことで、常に宇宙を操っている至上神なのです。
天之御中主神は、古事記にはその後一度も登場しないので、その姿、ことば、行動などは何一つ知られていません。神秘のベールに包まれた神様だといえます。
生活に直接かかわる神ではないためか、天之御中主神は長いあいだ民間で祀られてきませんでした。
ところが、近世になって、北極星や北斗七星を信仰する妙見信仰(みょうけんしんこう)と合わさり、「妙見さん」と呼ばれる妙見菩薩(みょうけんぼさつ)と同一視されるようになって、民間で信仰されるようになったのです。
現在では福島県原野町(こうやまち)市の太田神社、埼玉県秩父市の秩父神社などに祀られています。
また、創造神(そうぞうしん)であるという性格から、天之御中主神をキリスト教の「ゴッド」や、ヒンズー教の「ブラフマン」と同一視する考えかたもあります。
では、天之御中主神が隠れたあとは、宇宙はどうなったのでしょう?
間もなく高御産巣日神(たかみむすひのかみ)が現れ、続けて、神産巣日神(かみむすひのかみ)が現れましたが、やはり同じようにすぐに姿を隠してしまいました。
この三柱(みはしら)の神は、いずれも独神(ひとりがみ)、つまり男女の区別がない神で、男女両方の能力を持った全知全能の神なのです。
このとき、大地はまだ若く、水に浮く脂のようで、クラゲみたいに漂っていて、しっかりと固まっていませんでした。
ところが、葦(あし)の芽のように伸びてきたものから、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)が現れ、つづけて天之常立神(あめのとこたちのかみ)が現れました。
この二柱(ふたはしら)の神も、独神で、やはりすぐに身を隠してしまいます。
これまでに現れた五柱の神は、宇宙の創造にかかわる特別の神なので、別天津神(ことあまつかみ)と呼ばれています。
その後、つぎつぎと神が現れます。まず、国之常立神(くにのとこたちのかみ)、そして豊雲野神(とよくもののかみ)が現れますが、この二柱も独神で、すぐに身を隠します。
そしてつぎに初めて、男神と女神が現れます。このとき十柱の神が現れますが、最後に現れたのが、まもなく日本国を生むことになる、伊耶那岐神(いざなきのかみ)と伊耶那美神(いざなみのかみ)です。
それぞれ男女で対になっていて、二柱で一代とかぞえます。国之常立神から伊耶那岐神・伊耶那美神までの七代の神を、「神代七代」(かみのよななよ)といいます。
これで、国造りまでの顔ぶれが全て揃いました。これが古事記の壮大な物語の始まりです。