国家によってまとめられた正式な歴史書を「正史(せいし)」といいます。我が国は国としては世界で最も長い歴史を持つため、この「正史」も、最も長い期間記されていて、現在でも編纂が続けられています。
我が国の正史の一番初めに位置づけられるのが『日本(にほん)書紀(しょき)』です。『日本書紀』の記述は神話から始まり、続けて初代天皇である神武(じんむ)天皇から、第四十一代の持統(じとう)天皇までの物語が、歴代天皇ごとに全部で三十巻にまとめられています。
『日本書紀』は第四十代天武(てんむ)天皇の勅命(ちょくめい)(天皇の命令)によって天武天皇の皇子である舎人(とねり)親王(しんのう)が編纂(へんさん)したものです。奈良時代初めの養老(ようろう)四年(西暦七二〇年)、第四十四代元正(げんしょう)天皇の代に完成しました。
また、『日本書紀』と同じ時代に編纂された歴史書に『古事記(こじき)』があります。
この書物も神話から始まり、続けて神武天皇から第三十三代推古(すいこ)天皇までの物語が、三巻にまとめられています。
『古事記』も天武天皇の勅命により編纂されたもので、『日本書紀』の完成より八年早い和銅(わどう)五年(七一二)、第四十三代元明(げんめい)天皇の代に太(おおの)安万侶(やすまろ)が完成させました。
『日本書紀』と『古事記』は最後の一文字ずつをとって『記紀(きき)』と呼ばれ、両方とも我が国にとって重要な歴史書です。
『日本書紀』は正史としてまとめられたものですから、漢文体で淡々と書かれていて、どちらかというと固い文章です。
それに対して『古事記』は漢字の音(おん)と訓(くん)をまじえた方法で表記され、物語性を重視して書かれています。そのため、『古事記』は文学作品としての価値も高く、読んでみるととても面白いものです。
この二つは、書き方やまとめ方の方針などが異なります。たとえば、登場する神の名前の表記や、物語にも多少の違いがあります。しかし、粗筋(あらすじ)はかなり似ています。
同じ時代に二種類の歴史書が書かれた理由は、いくつか説があります。その中で有力な説は次のようなものです。
中国と同じように、日本も正史を持つことで、外国に対して国家としての地位を高めようという考えで編纂されたのが『日本書紀』です。しかし、難しいため、読みやすいものではなく、また編纂に長い時間が必要でした。
そこで、とくに神話の部分を重視して、楽しく読めるように短くまとめたのが『古事記』です。日本が建国された物語を広く伝えることで、国内の思想を統一させることが目的だったと考えられます。
それでは、記紀にはどのような物語が書かれているのでしょうか?
『日本書紀』の神代巻と『古事記』の上巻は、神話の体系がまとめられています。日本建国の由来(ゆらい)を示すものです。
伊耶那岐神(いざなきのかみ)と伊耶那美神(いざなみのかみ)が結婚して大八島国(おおやしまのくに)(天皇が統治する国土の総称、「豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに)」ともいう)を造るところから物語がはじまり、天照大神(あまてらすおおみかみ)が治める高天原(たかまがはら)という天上(てんじょう)国家が成立するまでの物語、そして、天照大神の子孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)が地上に降り立って日本国家を建設する物語に至ります。
『日本書紀』の第三巻、『古事記』の中巻からは、邇邇芸命の子孫である神倭(かむやまと)伊波礼昆古命(いわれびこのみこと)が、大和(やまと)の地を平定して初代天皇に即位(そくい)する物語、東征(とうせい)伝説が展開します。その初代天皇が、神武天皇です。その後は歴代天皇ごとにまとめられています。(神の名前は、古事記に記載された名前を採用した。)
では、『日本書紀』より後の時代を記す正史はないのでしょうか?
『日本書紀』は持統天皇までを記していますが、実は、次の第四十二代文武(もんむ)天皇から第五十代桓武(かんむ)天皇までは、二番目の正史『続日本紀(しょくにほんぎ)』に記されています。
その後も続けて四つの正史が編纂され、第五十八代光孝(こうこう)天皇までが記されています。『日本書紀』から『日本(にほん)三代(さんだい)実録(じつろく)』までの六つの正史を総称して「六国史(りっこくし)」と呼びます。
光孝天皇以降は朝廷による正史の編纂は途絶えていましたが、仁和(にんな)三年(八八七)以降の正史の欠落を補うために、明治二十八年(一八九五)に『大日本(だいにほん)史料(しりょう)』の編纂が始まり、既に四百冊弱が公刊されました。現在も正史編纂事業は続けられています。