思考 

August 25 [Tue], 2009, 23:29
何も考えずに、死んでるように生きたくない。

人の思考は流動的で留まることはない。

留まることは、まるで水のように澱み、腐る。

歩みを止めることは心の死と同義。

常に旅をして、いろいろ見て、経験して

人生は、最後に見るのは結果。

過程はどうあれ、最後に笑った者勝ち。

その結果のために、必死に過程を生きて、充実させる。


鼓動 / Dir en grey 

August 24 [Mon], 2009, 4:42
どことなくその悲しそうな顔もきっと明日には忘れ消える

いつからだろうこんなに瞳が死んだのは

無意味に 生き続け唄う俺にいったい明日に何がある

部屋で独り鼓動を奏で叫ぶ

しがみついた運命に俺は独り

声殺して 目を塞いで 闇に溺れて彷徨って

もう縋れない

声殺して 目を塞いで 闇に溺れて彷徨って

鋭利な君の声を胸に…

全てを闇に

止まない雨 止まない音 止まない傷
止まない愛 止まない唄を・・・

もう止められないから
もう耐えられないから

声殺して 目を塞いで 闇に溺れて彷徨って

もう縋れない

声殺して 目を塞いで 闇に溺れて彷徨って

鋭利な君の声を胸に…

全てを闇に



晴れ晴れしい朝よ皮肉に
-おはよう-

(無題) 

August 23 [Sun], 2009, 20:57
だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるのですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなものですから

あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった
風ばかりです

歩き出した夏 / 堂本剛 

August 12 [Wed], 2009, 5:50
気がつけば歌ってた
夏風揺れる夜を
いくつも渡って

白い雲のすき間を
静かに落ちる
朝空雨も愛しくて

あなたの
声 言葉 優しさ ぬくもりの
そばに居させて
あなたと
手をつなぎ
いつも いつまでも
二人で
迷わず
二人で

どれくらい笑うんだろう
計り知れぬ想いに
これからの僕らは

オレンジ色の空を
心重ね仰ぐ
この景色もあなたも守りたくて

僕から 生まれる
いくつもの僕を
何よりも 誰よりも
好きと言って欲しい
何も飾らずに
愛して
あなたで
愛して

あなたの
声 言葉 優しさ ぬくもりの
そばに居させて
あなたと
手をつなぎ
いつも いつまでも
二人で
迷わず

僕から 生まれる
いくつもの僕を
何よりも 誰よりも
好きと言って欲しい
何も飾らずに
愛して
あなたで
愛して


float / SOPHIA 

August 11 [Tue], 2009, 4:50
寄せては返す波間に 過ぎ去った日々を想う
なぜだか笑顔しか 思い出せない

海辺にたたずみ君と過ごした日々を想い出そうとしても
どうしても君の笑顔しか思い浮かばない‥

僕は君になにも残すことはできなかったのだろう

何か理由をつけては君を傷付けてばかりだった

寂しい夜に甘えて寄り添ってくる君は今はもういない

この土砂降りの雨は君を傷つけた数だけ降り続き
波に変わって僕の心に打ち寄せているのだろう

本当は君と抱き合う度に
二人の気持ちが少しずつずれていくのを感じていた

出会いと別れを繰り返すために
僕達は生まれてきたというのならば

狂ったように叫んでこの世界から逃げだしたくなるよ

僕の心をのみこんでいくこの悲しみの波は

君の想い出を全部消してしまうのだろうか?

僕を変えてしまうのだろうか?

君の笑顔さえも遠く霞んでいくようだ‥

まだ君を想うと、こんなに苦しく
こんなに君を愛しているのに‥

アスペルガー症候群私見 

August 10 [Mon], 2009, 1:09
自分なりに色々と調べてみました。
ただの思い込みでも何でも、これからはしっかり自分の事を知っていかねばなりません。

「アスペルガー症候群私見」サイト様から抜粋

http://www.geocities.jp/yanbaru5555/as1.htm



2.納得しないと行動しない。自分の主張は強すぎるくらいに出来、自分の考えに自信を持っている。ほとんど全ての行動に自分なりの明確な根拠を持ち、説明できる。そのため不適応でも「周囲や相手が間違っている」と主張することもある。その結果「理屈っぽい」印象を持たれ、表面的には「反省しない」と見られることが多い。

3.特定の人に強い「愛着(こだわり)」を持つ。「友達になりたい」と強く望み、人に接近するが、人格対人格という通常の友情や恋愛の形式と異なる独特の人間関係のイメージを持っている。周囲から「理解されない」と感じていることが多い。

4.状況は分かるが独特の理解をする。直感的に反応はするが、受け取り方が違う。人に近づく割には相手にあわせようとしないし、人を批判する割には、自分を有利にしようと利己的な知恵を働かすこともない。非常に正直、純粋で、律儀、一途、不器用で、考え方に融通性がない。「相手の立場に立った相手の心境の想像」は非常に困難なことがある。

5.多くは保守的で、決まりきった経過を好み、長く同じものを愛用したり、全く同じものしか食べなかったり着なかったりする。(生活上のこだわりという印象を持たれる)。臨機応変が苦手で、急な予定の変更で強いストレスを感じる。

9.ストレスがかかっても、自覚症状が乏しい。無理を続けると悩んだり自己評価は下がらない代わりに、身体症状(頭痛や強迫症状など)が悪化する。強迫性障害や不安障害、パニック障害様の見かけを呈する。

10.物事を「文字通り」に受け取る。状況と無関係に文字通りに理解する。逆さ言葉など言葉遊びが好きで、言葉を音の羅列のように捉えていることが多い。多くは相手が目上でも敬語は使わないが、しゃべり方は不相応に丁寧であることが多い。具体的な説明を省略されると理解できない「学習障害様」の認知障害も多い。

11.他方自分の気持ちの表現は、詩的、象徴的で、「文字通りではない」。少ない言葉で同時に多くの意味があり、かなり抽象的なシンボルを使いこなす。

13.特定の他者に対する強い愛着を持ちながら、その他者は当然自分と価値観も違い、またコミュニケーションも上記の特徴からスムーズに出来ないことが多いため、人間関係では困難な状況になることが多い。またその困難が自分と相手の脳の働きの違いによることを冷静に自覚できない場合、本人は不適応の中で身体症状が出現して苦しみ、結果としては極端な行動に出て他者からは「押し付けようとする」「しつこく迫る」という印象を持たれることが多い。
 現実生活の中で、やむを得ず特定の他者に合わせる選択をする場合もある。その場合は特定の相手に対する絶対服従のような様相となり、本人は覚悟の選択であるため後悔はしていないが、実際にはストレスのため(逆に自覚しにくいために)身体症状が出現する。



…該当だらけ。


pervasive developmental disorders 

August 09 [Sun], 2009, 0:47
今日は仕事が休みだったので、自身が昔から内包する疑問を解消すべく、病院に行ってきました。

自分の場合は、昔から対人関係でのコミュニケーション
特に「相手の立場に立って考える」
「相手の気持ちを考える」という「他者の気持ちの推察」が苦手…というか困難でした。

昔から友人以外の特定の人間関係が困難で、生活や仕事に支障をきたす事もよくありました。

そして特に恋愛してここ数ヶ月
交際相手に対しての自身の精神的、人格的な欠如に疑問を持ち始めました。

自分には欠陥があるんじゃないか?

こんなもの、今まで精神的な怠惰や甘えから来ているだけだと思っていました。

自分勝手で気分屋なだけだと。
ただ気分的に、性格的に問題があるだけだと。

自分の思い過ごしで単なる妄想であったならどれだけよかったか。



しかし現実は残酷でした。



どうやら
ヒトとしてのグレーゾーンだったようです。

広汎性発達障害
アスペルガー症候群

知的障害がない高機能の発達障害、及び自閉症

そう診断が下されました。



行きつく所まで行っちゃったかな…

自殺 

August 06 [Thu], 2009, 12:11
「命」というものは掛け替えのないものだと思う。
計り知れない大切なもの。
代用の利かない唯一無二。

中学の時に最愛の犬を目の前で失っているから
これでも命の重み、大切さは知っているつもりです。
身近な人間の死に直面した事がない分、自分は幸せ者かもしれない。
「死」というものに敏感なのは、そのトラウマが根っこにあるからかもしれない。

だから私は殺人、自殺だけは許せない。
病気や怪我や事故など、仕方のない事があっても
人為的な死は許せない。

だから私は「死ね」「死ねばいいのに」という言葉が嫌いだ。
例え冗談であっても、ネタであっても相手の死を直接的にぶつける言葉が嫌いだ。

軽々しく「死ねよw」「死ねばいいのにw」と言う人間も俺は許せない。

そんな事を平気で言う人間は、どんなに偉くても、すごい人間でも、クズだと思ってる。

例えそれが大切な親友や友人、どんなに大好きな恋人であっても、その言葉を言ったら冷める。
自分だって小さい頃は平気で言ってきたが、それに気付いて以来、自分はその言葉だけは絶対に使わなかった。

確かに憎い相手に殺意を抱く事はあるだろう。
殺したいと思う事は、仕方ないかもしれないし、自分にだって誰かに殺意を抱いてしまう事は、悔しいが稀にある。

だけど、それを口にしてしまったり、実際にやってしまっては駄目だ。

ましてや、赤の他人ではなく、家族や自分を殺す事なんてもってのほか。



自分には幼なじみが一応存在する。
兄妹で、今では何年も会ってないけど、昔は小〜中学校の頃から
土曜の夜はお互いにお気に入りのゲームを持ってお泊まりしたし

家族ぐるみの付き合いがあったから毎年
春は花見
夏は潮干狩りや海
冬はスキー、スノボ。
色々な思い出を一緒に過ごしてきた。

野球もサッカーもバスケも
勉強もゲームも
何をやらせても俺より上手くて
年は2歳ぐらい下だったけど自分にとって自慢の弟みたいなもんだった。
妹の方も俺に懐いてくれたし可愛い子だった。

中学から学校は違ったけど、お互いの学校生活の話をしたり
少しずつ自分の世界観が出来上がる年齢だから色々な事を語り合った。
妹の初恋の相談にも乗っていた。

高校に上がってから少しずつ会う機会が減り、疎遠になりつつあったけど
たまに連絡を取ったり遊んだりもしてた。

弟の方は俺と違って足立区の中でも頭の良い高校に進学していて
妹の方も東京都立の中では有数の進学高に行って

俺にとって血は繋がっていないけど自慢の弟と妹だった。

風の噂で、確か俺と同じように留年していた時期があったと聞いた。

でも「一年余分に学費払わせて親や家族に迷惑掛けたから、頑張って国家公務員を目指して、家族に恩返しをする!」と言っていた。

それが、あいつに会った最期。



この前母親と海へ行った時、道中の車の中で久しぶりに色々な事を語った。

去年海へ行って以来の、和民にいた頃〜今の仕事の話や考え。
これからの事。

嫁との恋愛事や悩み事。

親友や友人達の話題。

その中に「昔はよくあそこの家とたくさん旅行行ってたよね」と、幼なじみ家族の話題が出た。

懐かしいね、今元気かな?と話をしていて

海から帰ってきた後、母親が数年ぶりに幼なじみ母に電話をしたらしい。



そこで聞いたのは
幼なじみの兄の方
俺にとっての弟が

3年前に自殺をしていた事だった。

高校で留年していたのも、実は当時壮絶な虐めにあっていて不登校を続けていたらしい。

そして公務員に合格し、就職するも、適応障害だった為に仕事を辞め、それからというもの、自殺未遂を繰り返し、緊急入院を何度もしていて
4度目の緊急入院でそのまま意識が戻らず、帰らぬ人となった。

それからというもの、あの綺麗だった幼なじみ母は、入院をする程の鬱になり
いつも面倒を見てもらっていた幼なじみ父は、息子の死のショックから酒に溺れて、他に女を作って別居

幼なじみ家族は崩壊していた。

妹だけはしっかりしていて、悲しみを引きずりながらも母親を支える為、生活を支える為に身体を売る風俗の仕事をしているらしい。

あんなに可愛くて、中学の頃から胸が大きくて、
正直にカミングアウトをすると
思春期当時の俺も、妄想上で一番お世話になっていたが(笑えない

俺が、幼なじみ属性+妹属性である根っこの部分の、幼なじみの妹が、今では家計の為にボロボロになりながら風俗嬢をしている。



母親からその話を聞いた時は頭が真っ白になった。
涙が止まらなかった。

どうして気付いてやれなかったのか。
疎遠になっていた俺にそんな事を言う資格はないかもしれないが。

俺も、随分遠回りしてきた人生だ。
いつまでも定職に就かず、いつまでも甘えて母親のスネをかじって24になっても親元にいて

高校だって留年と編入を繰り返して卒業するまでに5年掛かった
それからもバイトを転々として、ネットやネトゲにハマって
現実から目を背けてバーチャルな世界に逃げてきた。
引きこもりの鬱ニートになっていた時期もある。
社会復帰してからも、登録制の契約アルバイトで食いつなぎながら、メイド喫茶にハマっていた時期もある(今もだけど)

気がついたら24
俺の人生なんて、社会人の平均年齢で言えば底辺のクズだ。
大学や専門に進んで就職した人達と比べたら単なるフリーター。
社会的にも最下位のクズ野郎だ。

俺の人生エラーだらけ。
無駄な人生ばっかりだよ。

だけど、どんなになっても
色々問題を起こして、周囲から見放される時期があっても
孤独と苦悩に苛まれても
どんなに腐っても、自分から死を選ぶ事だけは絶対しなかった。

うつ病やメンヘラー
病気や障害を持ってる人だってたくさんいる。
それに甘えるのだって構わない。
逃げ道を確保して自分を保っていられるならそれでもいいと思ってる。
自分がそんな人間だったから。

「死にたい」と言っている内はまだいい。
それは「生きたい」と叫ぶのと同義であると俺は思うし、
実際、「死にたい」と言ってる人程、辛くても生きようと頑張ってる人が多いから。

だけど本当に自殺してしまうのは許せない。

所詮、他人の俺に自殺する人間の気持ちはわからないかもしれない。
そこまで追い詰められて、絶望して生きる希望をなくすかもしれない。
自殺しか考えられなくなるかもしれない。

だけど自殺だけは絶対に駄目だと思う。

ただの綺麗事で偽善かもしれないけど、もし、死ぬ前のあいつに会えていれば、俺は本気でそいつを殴って蹴り飛ばしていた。
どんなに底辺な人生でも、どんなに格好悪くて惨めでも、こんな俺ですら生きてるんだぞ!
人よりぜんぜん頑張っていないかもしれないけど、それでも生きてんだぞ!



皮肉にも、先日母親からその話を聞かされた8月5日。
ちょうど3年前の8月5日に死んだという。

あいつの命日に知る事ができたのは、運命かもしれない。

数え切れないたくさんの思い出が蘇る。

ご冥福を、お祈りします。

俺は、生きるよ
お前の分まで

お前との思い出もぜんぶ背負って、俺は生き抜くよ

見ててくれ

今度、線香あげに行くよ


俺の大切な弟の翔へ


 

August 06 [Thu], 2009, 10:36
8月1日〜2日
一年に一度の母親と2人での家族旅行。
母親の夏休みに合わせて2日間休みを取る為に今の職場で7月後半は休みなしの○連勤でした。

行き先は伊豆。
白浜海岸を通過して更に奥へ行った「あいあい岬」とか、あそこらへんの海。

伊豆の海は綺麗ですね。
シュノーケリングに最適。

やはり水中の中の無音の世界は落ち着くし
波音や気持ちいい潮風、水平線に沈む夕陽など、海独特の心地よさは日頃の荒んだ心を癒やしてくれます。

夜は民宿に宿泊。
ウグイスの鳴き声や、ひぐらしが聞こえてきて気持ちいい部屋でした。

my mother... 

July 19 [Sun], 2009, 20:25
母親と、久しぶりにたくさん語りました

あの人も、昔は母親(おばあちゃん)が再婚して、義理のお父さん(おじいちゃん)ができて
でも、当時はいつも酒に溺れて暴力を振るったり近所騒がせで、よく警察を呼ばれるような人で

でも3兄弟の長女だから、ずっと1人で耐え続けてたらしい

それで、高校を出たら絶対自立する!って決めて家を出て
ナースと美容師の、やりたかった仕事の内、自分に向いてそうな美容師を選んで
バイトをしながら通信で資格取って、その時に旦那と知り合って
(俺の本当のお父さん)

お互い支え合いながら将来を考えていた時、
ちょうど、今の自分ぐらいの年齢の時に子供が出来た

それが俺

あの人は、自分のやりたい仕事をずっと追い求めた

でも自分の夢や、やりたい事を諦めてまで俺を生んで育てると決めてくれた

父親も、身重の母親と俺を養う為にアルバイトを頑張って必死にやりくりしてくれて

俺を生んでしばらくは幸せな家庭だったって

でも、最初は優しかった父親も、だんだん暴力を振るうようになって
我慢し続けてたけど、やがて離婚して、別れて

当時は俺の親権巡ってかなり揉めたみたいだけど
必死に俺を自分の手で育てようと頑張ってくれたらしい

当時はバブル崩壊したばかりの就職難で、しかもバツイチ子持ちのシングルマザーなんて、
子供が熱出したりした時は休むし、夜も残業出来ず夕方に上がる人が多いのが原因で、社員として雇ってくれる所なんてどこも雇ってくれる所がなくて

深夜までやっている託児所に俺を預けながら、自分の欲しい物や、やりたい事をずっと我慢して、俺の為にずっと頑張ってくれてたんだ、あの人

クビになったら、すぐにまた必死に職を探して
色々な仕事を転々として

小学校に上がって、PTAのおばちゃん達に後ろ指刺されながらもずっと俺を養ってくれて

夏には海
冬にはスキー
貧しくても、色々な事を経験させてくれて

普通の家庭の子供以上の幸せを与えてくれて

母親が小学校から続けていたソフトボールにちなんで、俺を野球少年に育てて、甲子園球児やプロ野球選手になってほしい、と自分の夢を託そうとしても、
昔から何に関しても無気力で、まったく興味が湧かない俺を見て

そんな俺の意思を尊重して、やりたい事をやらせてやろう、と静かに子供に託した夢を諦めて

俺がやりたい習い事やゲームも、自分の食費切り詰めてまで頑張ってくれて


中学に上がって、再婚した父親も最初は優しかったけど、俺に暴力を振るう人で

生活の安定や世間体を捨ててでも、俺を守る為にまた離婚して

バツニのレッテル貼られてまで頑張って

受験の時には、高い塾や予備校に通わせてくれて



俺を高校にも行かせてくれて、義務教育を終えたら学費も高くなるから、それも含めて男でもキツいバイク便の仕事を頑張ってくれて

早朝から夜中まで
半年に一度は事故起こして骨折して、死ぬような想いをしても、治ったらまたすぐに復帰して

ぜんぶぜんぶ俺の為に

あの人は、俺にただ人並みの人生を歩んで欲しいと

シングルマザーの貧しい劣悪な環境だったけど
それを感じさせないぐらい愛情を注いで、普通に有意義な人生を送れるようにしてくれた

それなのに俺は高校すら満足に卒業できなくて
定時制に移って5年も賭けて卒業しても、ずっとニートやフリーターで

あの人は、今までずっと俺の為に必死に必死に、自分の人生捨ててまで俺を育ててくれたのに

俺は何度も何度も、あの人に苦労や迷惑掛けっぱなしで
泣かせてばっかりで

それでも、今でも頑張ってくれてて



この歳になって初めて母親の前で泣いた

本気で泣いた

親の心子知らずとは、まさにこの事

…CLANNADの智也とお父さんじゃないけれど
こんな馬鹿な俺でも、やっと、母親の大切さがわかったんだよ

気がついたら、もう50だよこの人
昔は綺麗で、今もまだ若々しいけど、気がついたらシワが目立ってきてて

いつも仕事から帰ってきてビール飲んで大口空けて疲れて眠る毎日で
どんなに俺が掃除しても、気がついたら毎回ゴミ屋敷だし

昔から色々な男を家に連れ込んだり、
仕事をしてない時期に、俺の貯金を使われたりした事もあって
ここ数年は、あまり親として見ていなくて、多少憎んでいた部分もあったけど

きっと、もうやり終えて疲れていたんだろうな
休みたかったんだろうな

それでも必死に頑張り続けて、ついには過労とストレスで、今後一生再発し続けるような喉の病気を患って



…苦労を掛け続けてきたね
一体、何度、俺に失望や絶望を繰り返して悲しんできたんだろう

それでもずっと見捨てないでくれて
大切にしてくれて

大変だったり過酷で辛い人生だったろうに、それでも、俺と一緒に過ごしてきた20年間を
「幸せだった」と言ってくれて


俺はやっぱり母親が大好き
すごく愛おしい



早く、早く俺が自立して大人になって
自律して一人でなんでも出来るようになって



安心させてやりたい

楽させてやりたい



前までは、ただ漠然と「いつかは楽させてやりたい」ぐらいにしか思ってなかったけど

30までは遊んでたい、なんて馬鹿げた事考えていたけど



今は守りたい人もできた

無気力で、やりたい事や夢や目標もなかった今までの自分自身から、
成長したい
必死に変われるようになりたい

そう思えるようになった

明確に、自分にできる事を精一杯こなし、必死に頑張って
その中で、自分にしかできない事を成し遂げたい

これからのやりたい事

自分の道を探していきたい



その後で、自分の大切な人達を幸せにしたい



その為にも、今は目の前の事を必死にやりこなそう





…何もない人生だと思っていたけど、そんな自分でもそんな感情を抱けるようになったのは、
そう思えるようになったのは、


常に隣にいてくれて支えてきた、他の誰でもない彼女のお陰かもしれません


P R
プロフィール
名前:Kyo
2009年08月
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