「命」というものは掛け替えのないものだと思う。
計り知れない大切なもの。
代用の利かない唯一無二。
中学の時に最愛の犬を目の前で失っているから
これでも命の重み、大切さは知っているつもりです。
身近な人間の死に直面した事がない分、自分は幸せ者かもしれない。
「死」というものに敏感なのは、そのトラウマが根っこにあるからかもしれない。
だから私は殺人、自殺だけは許せない。
病気や怪我や事故など、仕方のない事があっても
人為的な死は許せない。
だから私は「死ね」「死ねばいいのに」という言葉が嫌いだ。
例え冗談であっても、ネタであっても相手の死を直接的にぶつける言葉が嫌いだ。
軽々しく「死ねよw」「死ねばいいのにw」と言う人間も俺は許せない。
そんな事を平気で言う人間は、どんなに偉くても、すごい人間でも、クズだと思ってる。
例えそれが大切な親友や友人、どんなに大好きな恋人であっても、その言葉を言ったら冷める。
自分だって小さい頃は平気で言ってきたが、それに気付いて以来、自分はその言葉だけは絶対に使わなかった。
確かに憎い相手に殺意を抱く事はあるだろう。
殺したいと思う事は、仕方ないかもしれないし、自分にだって誰かに殺意を抱いてしまう事は、悔しいが稀にある。
だけど、それを口にしてしまったり、実際にやってしまっては駄目だ。
ましてや、赤の他人ではなく、家族や自分を殺す事なんてもってのほか。
自分には幼なじみが一応存在する。
兄妹で、今では何年も会ってないけど、昔は小〜中学校の頃から
土曜の夜はお互いにお気に入りのゲームを持ってお泊まりしたし
家族ぐるみの付き合いがあったから毎年
春は花見
夏は潮干狩りや海
冬はスキー、スノボ。
色々な思い出を一緒に過ごしてきた。
野球もサッカーもバスケも
勉強もゲームも
何をやらせても俺より上手くて
年は2歳ぐらい下だったけど自分にとって自慢の弟みたいなもんだった。
妹の方も俺に懐いてくれたし可愛い子だった。
中学から学校は違ったけど、お互いの学校生活の話をしたり
少しずつ自分の世界観が出来上がる年齢だから色々な事を語り合った。
妹の初恋の相談にも乗っていた。
高校に上がってから少しずつ会う機会が減り、疎遠になりつつあったけど
たまに連絡を取ったり遊んだりもしてた。
弟の方は俺と違って足立区の中でも頭の良い高校に進学していて
妹の方も東京都立の中では有数の進学高に行って
俺にとって血は繋がっていないけど自慢の弟と妹だった。
風の噂で、確か俺と同じように留年していた時期があったと聞いた。
でも「一年余分に学費払わせて親や家族に迷惑掛けたから、頑張って国家公務員を目指して、家族に恩返しをする!」と言っていた。
それが、あいつに会った最期。
この前母親と海へ行った時、道中の車の中で久しぶりに色々な事を語った。
去年海へ行って以来の、和民にいた頃〜今の仕事の話や考え。
これからの事。
嫁との恋愛事や悩み事。
親友や友人達の話題。
その中に「昔はよくあそこの家とたくさん旅行行ってたよね」と、幼なじみ家族の話題が出た。
懐かしいね、今元気かな?と話をしていて
海から帰ってきた後、母親が数年ぶりに幼なじみ母に電話をしたらしい。
そこで聞いたのは
幼なじみの兄の方
俺にとっての弟が
3年前に自殺をしていた事だった。
高校で留年していたのも、実は当時壮絶な虐めにあっていて不登校を続けていたらしい。
そして公務員に合格し、就職するも、適応障害だった為に仕事を辞め、それからというもの、自殺未遂を繰り返し、緊急入院を何度もしていて
4度目の緊急入院でそのまま意識が戻らず、帰らぬ人となった。
それからというもの、あの綺麗だった幼なじみ母は、入院をする程の鬱になり
いつも面倒を見てもらっていた幼なじみ父は、息子の死のショックから酒に溺れて、他に女を作って別居
幼なじみ家族は崩壊していた。
妹だけはしっかりしていて、悲しみを引きずりながらも母親を支える為、生活を支える為に身体を売る風俗の仕事をしているらしい。
あんなに可愛くて、中学の頃から胸が大きくて、
正直にカミングアウトをすると
思春期当時の俺も、妄想上で一番お世話になっていたが(笑えない
俺が、幼なじみ属性+妹属性である根っこの部分の、幼なじみの妹が、今では家計の為にボロボロになりながら風俗嬢をしている。
母親からその話を聞いた時は頭が真っ白になった。
涙が止まらなかった。
どうして気付いてやれなかったのか。
疎遠になっていた俺にそんな事を言う資格はないかもしれないが。
俺も、随分遠回りしてきた人生だ。
いつまでも定職に就かず、いつまでも甘えて母親のスネをかじって24になっても親元にいて
高校だって留年と編入を繰り返して卒業するまでに5年掛かった
それからもバイトを転々として、ネットやネトゲにハマって
現実から目を背けてバーチャルな世界に逃げてきた。
引きこもりの鬱ニートになっていた時期もある。
社会復帰してからも、登録制の契約アルバイトで食いつなぎながら、メイド喫茶にハマっていた時期もある(今もだけど)
気がついたら24
俺の人生なんて、社会人の平均年齢で言えば底辺のクズだ。
大学や専門に進んで就職した人達と比べたら単なるフリーター。
社会的にも最下位のクズ野郎だ。
俺の人生エラーだらけ。
無駄な人生ばっかりだよ。
だけど、どんなになっても
色々問題を起こして、周囲から見放される時期があっても
孤独と苦悩に苛まれても
どんなに腐っても、自分から死を選ぶ事だけは絶対しなかった。
うつ病やメンヘラー
病気や障害を持ってる人だってたくさんいる。
それに甘えるのだって構わない。
逃げ道を確保して自分を保っていられるならそれでもいいと思ってる。
自分がそんな人間だったから。
「死にたい」と言っている内はまだいい。
それは「生きたい」と叫ぶのと同義であると俺は思うし、
実際、「死にたい」と言ってる人程、辛くても生きようと頑張ってる人が多いから。
だけど本当に自殺してしまうのは許せない。
所詮、他人の俺に自殺する人間の気持ちはわからないかもしれない。
そこまで追い詰められて、絶望して生きる希望をなくすかもしれない。
自殺しか考えられなくなるかもしれない。
だけど自殺だけは絶対に駄目だと思う。
ただの綺麗事で偽善かもしれないけど、もし、死ぬ前のあいつに会えていれば、俺は本気でそいつを殴って蹴り飛ばしていた。
どんなに底辺な人生でも、どんなに格好悪くて惨めでも、こんな俺ですら生きてるんだぞ!
人よりぜんぜん頑張っていないかもしれないけど、それでも生きてんだぞ!
皮肉にも、先日母親からその話を聞かされた8月5日。
ちょうど3年前の8月5日に死んだという。
あいつの命日に知る事ができたのは、運命かもしれない。
数え切れないたくさんの思い出が蘇る。
ご冥福を、お祈りします。
俺は、生きるよ
お前の分まで
お前との思い出もぜんぶ背負って、俺は生き抜くよ
見ててくれ
今度、線香あげに行くよ
俺の大切な弟の翔へ