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一記一言

老弁護士の悲願実る

 「憲法に明記された基本的人権の擁護のため国家権力と戦ってきた」と自負する弁護士は多い。だが、その中で事件の被害者や遺族に手をさしのべた弁護士がどれだけいただろうか。「妻を殺され、被害者になって初めて、被害者には何の権利も支援もないことに気づいた」と、自責と痛憤の思いで被害者の権利確立に取り組む老弁護士が、日本の刑事司法制度を変えようとしている。「人権」とは何かを考えるきっかけの一つにしたい。

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 「裏切り者!」

 2003年10月、松山市で開かれた日本弁護士連合会(日弁連)主催の人権擁護大会。全国犯罪被害者の会(あすの会)の代表幹事・岡村勲さんの講演中、会場から声が飛び、思わず取材メモの手を止めた。非難したのは参加した弁護士の1人のようだ。「岡村さんの運動は弁護士の世界では、裏切り行為と言われるのか」と意外な思いを抱いた。

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 「だれが犯罪に巻き込まれるかわからない時代なのに、被害者は放置されてきた。裁判では証拠品にすぎず、加害者の発言に反論もできない」

 「加害者の謝罪や償いは実行されず、家庭崩壊や生活苦の被害者遺族が後を絶たない」

 さまざまな苦しみを抱える被害者遺族が「あすの会」を設立したのは2000年1月23日。代表幹事の岡村さんは弁護士だったが、企業を脅迫してきた男の金銭要求を代理人として拒絶したところ逆恨みされ、1997年10月、留守中の自宅で妻が殺害された。

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 当時すでに68歳。「妻を身代わりにして、どうして私だけが生きていけるのか」と思い詰めたが、加害者の公判が始まり、さらにがく然とした。これまで弁護士として法廷に立ちながら、被害者の扱いに不信を抱いたことはなかったが、傍聴席から裁判に臨む立場になって、被害者がいかに無視されているか、身をもって知らされたからだ。

 遺影の持ち込みは拒否され、公判日程の通知もない。裁判は、裁判官、検察官、被告・弁護人の3者で行われ、被害者は「蚊帳の外」の存在だった。起訴状、冒頭陳述、捜査資料など何ひとつ被害者には渡されない。「家族がなぜ、どのようにして殺されたのかを、遺族が知る必要はない。日本の司法はそう考えているとしか受け取れない仕組みになっていた」のだ。

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 長く弁護士を務め、東京第一弁護士会長や日弁連副会長もしたのに、被害者の実態について何ひとつ知らなかった――。反省と自戒をこめた戦いが、ここから始まった。「妻の死を無駄にしない道は、被害者の権利を確立することだ」と、法律家としての知識と経験をすべて注ぎ込み、まっしぐらに走り出す。功成り名遂げた長老弁護士が病身を押して、一被害者として陳情や講演に奔走する姿には、悲壮感が漂っていた。

 だが、拷問や自白強要で冤罪(えんざい)を生んだ戦前の司法システムに対する反動で、〈加害者(被告・被疑者)の人権〉を守ることに体を張ってきた弁護士仲間の受け止め方は冷ややかだった。あすの会の活動にも「積み上げてきた加害者の権利を損ない、厳罰化をもたらすのではないか」と警戒心が先行していた。それらが冒頭の「裏切り者」発言

につながったと、私は理解した。

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 岡村さんと遺族らの必死の訴えは、しかし、心ある人々に届いた。04年12月、犯罪被害者等基本法が成立。被害者の裁判参加についても、岡村さんは新設に慎重な日弁連会長への公開討論の申し入れ、国会での意見陳述などで奮闘。今月1日に悲願の法案が衆院を通過した。妻への償いに邁進(まいしん)する老弁護士の戦いがまた一つ、大きな実を結んだ。

編集委員 小川直人

           6月6日読売新聞(西部本社版)掲載の「反射角」より

2007年6月7日  読売新聞)
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