2009-08-17 「南京 引き裂かれた記憶」
■[映画]「南京 引き裂かれた記憶」
8月13日に、九条シネ・ヌーヴォXにて「南京 引き裂かれた記憶」を見てきました。
南京には、七月の初め頃、ちょうどこのブログをお休みしている頃に行って来ました。
映画の冒頭で、現代の南京の街の風景が映っていたのですが、それを見たわたしは、にわかに旅先での南京の記憶を思い出し、懐かしさと親しみを感じていました。南京では、新街口(シンガイコウ)という駅の近くのホテルに泊まりました。新街口は、たくさんのビルや建物が並んだ、とても大きな街でした。日本の大都市でしか見られないような広い道路の上を、排気ガスを煙々と撒き散らしながら、車やバイク、モーター付きの自転車が大量に走り去っていきます。さらに、その車やバイクの数に負けないくらいの、自転車と人の多さ。わたしは、新街口の地下鉄の駅から顔を出した途端、街にもうもうと立ち込める、この排気ガスと埃を含んだ目がチカチカするような、お世辞にも深呼吸をしたいとは思わない空気に触れ、ああ、ここは中国で、わたしは今、南京に来ているのだなあ、ということを実感したのでした。
広い南京の街は、どこに行っても車と自転車と人がたくさんいて、わたしは、生まれて初めて、世界にはこんなにもたくさんの人がいて、みんな一生懸命に生きているのだなあということを感じました。日本の都市にも人はたくさんいますけれど、なんというか、一生懸命に生きている人が、たくさんいるという感じは、あまりしないように思います。もちろん、みんな一生懸命に生きていると思うのですが、でも、生きているというよりは、何かを消費して、何かに消費されているような、そんなもっぱら消費社会で生きている感じが強いように思います。でも、南京で生きている人たちは、消費というよりは、排気ガスや埃を大量に撒き散らしながらも、そのすさまじい街の人いきれの空気を吸い込んでは吐き出し、街の空気を絶えず循環させながらうごめいている、そのようなダイナミズムとエネルギーを感じました。どこに行っても、半分瓦礫になったような建物を見かける南京の街を歩きながら、わたしは、この街はいったい、壊そうとしているのか、作りかけているのか、どっちなんやろう、と解体と建設が同時に行われつつある街の風景に、わたしもまた、ノスタルジーと新鮮さを同時に覚えてもいたのでした。「長江エレジー」や「長江に生きる〜秉愛(ビンアイ)の物語〜」の映画の中で、絶えず鳴り響いていた「カーン、カーン」というコンクリートを響かせるような音、それが、南京の街でも遠くに近くに、ずっと聞こえていました。
そして、南京の街は、日本軍に侵略された1937年の頃も、そうやって、たくさんの人がたちが、一生懸命に生きて暮らしていた、そんな街だったのだろうと、決して遠くにしてはいけない南京大虐殺という歴史を、もっと近くに知るため、わたしは「南京大虐殺紀念館(正式には、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館)を訪れることにしたのでした。
南京大虐殺紀念館には、朝早くに起きて、開館時間ぴったりに行ったのですが、紀念館の入口のゲートには、もうたくさんの人が並んでいて、門の中に入るのを待っていました。わたしも炎天下のもと、20分くらい門の前で待った後、ようやく紀念館や様々な記念碑を含んだ広大な敷地に、足を踏み入れることができました。紀念館を訪れている人たちは、ほぼ中国各地から来ている中国人観光客のようで、日本人の知人たちと、入館を待っている間、わたしは、同じ日帝の植民地支配を受けた被支配民族を祖先に持つ「在日」でありながらも、日本語を話していたら日本人にしか見えないやろうなあと、わたしの周りにいた中国の人々の目にドキドキしながら、そして、そんな風にしか見えない自分を情けなーく思っていたりしました。
南京大虐殺紀念館は、様々な物品や資料が展示されていて、その一つずつに丁寧な解説が添えられていました。解説は、中国語と英語、そして日本語の三か国で表示されていることから、日本人観光客への配慮が施されていることを感じました。また、当時の日本軍や、日本のメディア、日本で使われていた、資料や物品もたくさん展示されているので、日本人にとっては、視覚的、言語的にはより分かりやすいところが多いと思います。ただ、そのような配慮に対して、実際に紀念館を訪れる日本人はとても少ないように思えたことが残念です。
済州島の「四・三平和記念館」に行った時、平和公園や記念館を訪れる人が、ほとんどいなくて、とても寂しく悲しい思いをしたことを覚えています。わたしたちを案内してくださった済州島生まれのガイドさんが、「こんな風に、日本から日本人の方々が四・三のことを知るために、済州島に来てくださることはうれしいのですが、でも、本当に、四・三の、済州島の歴史を知ってもらいたいのは、(朝鮮半島)本土の人たちなのです」と、悔しそうな悲しそうな顔で、おっしゃられていました。その言葉と表情にわたしは、韓国政府が四・三のことを正式に認めたとはいえ、まだまだ四・三の悲劇をきちんと知ったり学ぼうとする人は少なく、加害の歴史に目を向けようとしない韓国人や韓国社会の中で、済州島の人々は、今もずっと悲しい思いをされているのだということを、改めて感じました。
南京大虐殺の犠牲者や被害者の方々も、同じだと思います。本当に、歴史を事実を、犠牲者や被害者の人々の苦しみや悲しみを知ってもらいたいのは、加害者である日本人なのだと思います。「南京 引き裂かれた記憶」の中で、八歳で日本軍によって強姦され、その後ずっと、その記憶と後遺症に苦しみ続けてこられた、中国人女性の証言者の方がおっしゃられていました。「日本人が憎くて仕方がない」と、涙を流しながら話されていました。なぜ、直接関わったわけではない過去の加害行為の責任を、日本人であるというだけで、引き受けなくてはいけないのか、歴史に向き合わなければいけない場に出会うたびに、現在を生きる日本人は、そのような疑問を持つかも知れません。でも、その犠牲になられた中国人の人々というのは、まさに、その時に、南京にいた「中国人」だったということで、殺されたり、強姦をされたり、傷つけられたりしたのです。ただ「中国人」だったという属性によって、そのような被害に遭い、ずっと苦しみ続けなければならなかった、そのことを思うと、歴史や事実を知り、その人たちの苦しみや悲しみに向き合い、加害の責任を引き受けるべきなのは、やはり「日本人」という属性を持って生きている人々しかいないのではないかと思います。そしてそれが、歴史の中の犠牲者や被害者に対して、加害者である日本人が唯一、主体的になし得ることなのではないかと、日本人という「主体」を生きることはできないわたしはそう思うのですが、余計なお節介に過ぎないかも知れません。
あまり、映画の紹介になってなくて申し訳ないのですが、実際に南京や紀念館へは、遠くて中々行けないとは思うので、この映画を見ることなどによって、日本にいても、共に歴史と向き合っていけるのではないかと思います。九条シネ・ヌーヴォXで公開中です。
「南京 引き裂かれた記憶」公式サイトはコチラです→ http://nanking-hikisakaretakioku.com/
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