自己(SAM) (復元記事)
テーマ:心の理論下に書いた、目に紙を擦り付けるのも、唯独り体操で逆の動きをするのも、
相手の指さしをすぐ理解出来ないのも、他の生徒が、運動会当日の服の相談をしてるのにも気付かないのも、
すべて、自己(SAM)の目覚めが来ない事に由来する。
だから、18ヶ月以前の幼児が、手のひらを、自分の方に向けて、バイバイするのは、何の問題も無いが、
22ヶ月を大幅に過ぎているのに、未だ手のひらを、自分の方に向けてバイバイするのは、怪しいのである。
では、何故自閉症の子供は、自分に手のひらを向けて、バイバイするのか。
それは、誰もが自分の方に、手のひらを向けて振るから、自分も他の人と同じ様に、
自分にてのひらが見える様に、手を振るのである。
自閉症の子供が、他人を見ないと言うのは、余りにも狭義に囚われた解釈であり、彼らもきちんと、他の人が
どの様にしているかを、観察しているのである。
只、私の体操の向きと同じ様に、それぞれの「主語」の在るところ(捉え方)が、自己を確立している、
「定形発達」の人と、違うのである。
この違いは、理論的に理解しなければ、理解不可能であり、自閉症を「観念論」で語ろうとする自閉症関係者には
理解出来ない。(専門家を公言してして憚らない連中が、理解出来ているとは到底思えない)
つまり、「元々自己を持たない状態」を「元々自己が自動的に作動し、有る事自体を意識出来ない人間が考える」
これは、ロジック、脳の構造、プログラム、として考えると、論理的に理解する事自体が不可能であると思われるのだが、とにかく、「自閉症」の勉強をするのであれば、如何に困難であろうとも、理解出来なければ、その資格が無いと言う事なのだ。
私達は、元々「自己」が無い所から、自己とは何か、自己が自動的に働くと言う事は何か、を考えている。
論理的、ロジックから考えると、こちらの方が、「不可能ではなく、可能である」と思われるのだ。
自閉症の事を考えている皆さんは、此ぐらい困難な、NASAの連中が研究している以上に難しい事を、
やっているのです。 本当にご苦労様です。 ハイ。
2007/6/10(日)のブログ 復元記事
1 ■逆さ絵
おそらく4歳前後からだったと思いますが、私は上下逆さまの絵を描いていました。
母にきいてみたところ、文字も逆さまに書いていたそうです。
年齢は2歳と2か月差ですが、学年でいうと3年離れた上の兄弟がいるのですが、母はその頃就学前になんとかその子にひらがなを教え込もうとしていたそうです。
幼稚園に入ると座り机の前にその子と母が並んで座り、その子に絵を描かせたりしていましたが、就学間近になるとひらがなや時計の読み方をおしえるようになっていたそうです。
座り机の前に座った二人の反対側に座って見ていた私は、二人の様子を何でも真似するようになっていました。
母がその子に絵を描かせれば、私も絵を描きました。
私の絵は人の顔もチューリップの花もいつも上下逆さまでした。
母がその子にひらがなをおしえている時は、私もひらがなを書きましたが、上下逆さまの文字になっていたそうです。
自分では逆さまに絵を描いていたという記憶はあるのですが、文字のことは記憶していませんでした。
母も私の兄弟も私の書く絵や文字を、わざわざ自分達の方を向けて描いてくれてるんだな、サービス精神旺盛なんだな、くらいに思っていたそうです。
(通常は4歳前後というと、そういうサービス精神が芽生えているものなのですか?私はこの解釈を最近聞いてかなりぶっとびましたが。)
私は見える通りに書いて(描いて)いただけで、絵や文字とはそうしたものだ、すら自覚しないで書いていたように記憶しています。
復元記事を読んでいて、これは逆さバイバイに近いものがあるような気がして、書いてみました。