雑誌「諸君」4月号で両氏が田母神論文で激突対談を行っています。私はこの両者の対談を興味深く読ませていただきました。西尾幹二氏と私の大東亜戦争史観はほとんど同じです。ところ秦氏の戦争史観が、私にはいま一つわからないとことがありました。特に秦氏が田母神論文批判の先鋒になったからです。 秦氏は、いまはやりの歴史捏造、歪曲の朝日新聞や左翼知識人とは異なり、現在の日本国家に貢献する非常に良い仕事もしておられます。秦氏最大の貢献は、「従軍慰安婦」事件の調査です。「従軍慰安婦」事件の始まりは、元山口県労務報国会下関支部動因部長を自称する吉田清治が、1982年に「私の戦争犯罪――朝鮮人強制連行」という本を出版した時からです。 吉田は何回も韓国へ行き、謝罪したり、土下座したり、慰安婦の碑をたてたりしています。テレビにも日韓両国で出演、朝日新聞は吉田を英雄のように扱い、何度も新聞紙上に大きくとりあげて報道しました。この本の翻訳文が日本人弁護士によって国連人権委員会に証拠として提出されました。また教科書裁判で名を馳せた故家永三郎などが、自分の著作にこの本を参考文献として利用しています。 この本の内容に疑問をもった秦氏は、1992年済州島にわたり裏付け調査をし、吉田の本の内容がでたらめであることがわかりそれを公表しました。吉田はそれを認める発言をしたため、あれほど新聞紙上に何回も登場させていた朝日新聞は、それ以来ぴたりと吉田を登場させず、吉田を語らなくなりました。吉田は、メディアにも登場しなくなりました。秦氏は日本国家の名誉を救ったのです。 秦氏は、沖縄の集団自決問題でも、集団自決の原典ともいうべき沖縄タイムス社の「鉄の暴風」を批判、その「鉄の暴風」を基に書かれた大江健三郎の「沖縄ノート」を批判、秦氏自身も集団自決を否定しています。 その他、秦氏は教科書裁判で名前をうった故家永三郎がまだ生存中現役で活躍していたころの家永を批判していますし、また朝日新聞を反日新聞と批判しています。その秦氏が田母神論文を一刀両断のもとに斬り捨てているのです。だからこそ私は、秦氏が西尾氏にどのような主張をするのか非常に興味があった。 雑誌「諸君」に語られている秦氏の主張をいくつか挙げてみます。 1.東京裁判は、マイナスの面があったが、プラスの面もあった。比較的寛大であった。 その証拠に日本国民の反発がなかった。 2.コミンテルンの陰謀はなかった。 3.ルーズベルトが日本を戦争に追い込んだという陰謀説は成り立たない。 4.ルーズベルト政権の中国援助は、国際政治の駆け引きにすぎない。 5.日本はナチスという「悪魔」の片割れだった。 こういう彼の主張を読んでいると、私はただ驚くばかりです。なぜなら秦氏は、昭和の歴史を細部までよく知っているからです。彼の著書に菊池寛賞を受賞した「昭和史の謎を追う」上下巻(文芸春秋社)があります。上下巻とはいえ、一頁を上段下段に分け細かい字でびっしり書かれています。実質的には一巻から四巻に匹敵する大作です。なにを書いているかと言えば、昭和で話題になった37件の事件を詳細に調べあげて書いています。秦氏の作品は、綿密に調べあげて書くので定評があります。 要するに私が主張したいのは、秦氏のように歴史の細部を知っているからといって、必ずしも歴史観が正しいとは言えないということです。俗にいわれる「木を見て森を見ず」なのです。なぜこういう現象が起きるのかその理由を西尾氏の意見と重複するところもありますが三つあげます。 1.大東亜戦争を昭和史の中で理解しようするからです。そのため自ずと日本国内の動きだけを追いかけ日本批判に陥ってしまうのです。大東亜戦争は幕末の時代から追っていかないと本質をつかめません。 2.私は、60年以上前に起きた大東亜戦争を現在の価値観で裁くなといつも主張しています。西尾幹二氏も本誌で「現在の目で過去を見る専門家の視野では、正しい歴史は見えない」、また「歴史とは過去の事実を知ることではなく、過去の事実について過去の人がどう考えていたかを知るのが歴史だ」とも書いています。全く同感です。 皆さんは特攻隊員の遺書を読んだことがあるでしょう。彼らの遺書を読むと、特攻隊員に共通の認識が理解できます。彼らの共通の認識とは何か。それは大東亜戦争を自衛の戦争と考えていたことです。だからこそ特攻隊に志願したりするのです。自分の死に大義名分があるのです。彼らは、自分の家族や恋人に遺書をのこしましたが、自分の死に対する不満やぐちを書いていたものがありましたか。 もし大東亜戦争が、侵略戦争であるというのが彼らの共通の認識でしたら、特攻隊に志願するでしょうか、家族や恋人への遺書には、自分の死に対する不満や愚痴だらけになっていたのではないでしょうか。 3.大東亜戦争は、日本史上国内で戦われた合戦とは大違いです。異民族、すなわち白人との戦いです。その白人は、コロンブスがアメリカ大陸発見以来500年間、すなわち20世紀まで有色人種の国家を侵略し続け植民地にしてきた。そのため大東亜戦勃発時、有色人種の国で独立を保っていたのは、日本以外の独立国はタイやエチオピアなどほんのわずかです。従って大東亜戦争は、世界史というわくの中で理解しなければなりません。また敵国民族は白人ですから、白人の文化とか白人の精神構造とかいわゆる白人の民族性まで考慮して大東亜戦争というものを捉えていかないと大東亜戦争を理解できないのです。 秦氏の歴史観の欠陥は、大東亜戦争を世界史の中で全く捉えようとしないことです。だから戦争前からアメリカが日本にいだいていた悪意を全く理解できないのだ。また秦氏は、精神的にナイーブな面もあるのでしょう。裁判所は悪人を裁く所という解釈だけしか理解できないのではないか。勝利国が自己を正当化するために裁判を利用するなどという考えは、秦氏には想像できないのではないか。 秦氏は、西尾氏の面前で田母神氏についてこう語っています。「一部の人々のあいだで、田母神氏が英雄扱いされているのは、論文自体ではなく、恐らく彼のお笑いタレント的な要素が受けたからでしょう。本人も『笑いをとる』の心がけている」と語っています。すかさず西尾氏から「田母神さんを侮辱するのはやめていただきたい」と注意されています。 秦氏は、なぜ田母神氏が多くの人に熱狂的に支持されているかその背景がまったく理解できていません。田母神氏を侮辱することは、彼を支持する私たちを侮辱するのと同じです。私は怒りを感じます。「秦さん、あなたは私の著書、『大東亜戦争は、アメリカが悪い』を読んで勉強しなおしてください。 本誌でも西尾氏が指摘していますが、中西輝政氏が三冊の名著をあげています。その一冊にJ・トーランド「真珠湾攻撃」があります。この翻訳本(文芸春秋社)の246頁にマーシャル参謀総長は、「アメリカ軍人は、日米開戦前、すでにフライング・タイガース社の社員に偽装して中国に行き、戦闘行動に従軍していた」と公言しています。ところが秦氏は、本誌で「この時期フライング・タイガースはまだビルマで訓練していて、真珠湾攻撃の二週間後に日本空軍と初めて空戦したんです」と語っています。 マーシャル参謀総長の発言、「戦闘行動に従軍していた」という意味は、なにも秦氏が主張する日米空軍機どうしの実際の空中戦にかぎらず、シナ事変中米軍機が輸送活動に従事していたら日米開戦前に米軍は参戦していたことになりませんか。 最後に西尾氏と秦氏の人物像をとりあげてみます。1960年代、日米安保騒動華やかなりし頃、日本の多くの知識人は、ほとんど我も我もと言った感じで、反米親ソ派と自虐史観派になりました。そのころでさえ西尾氏(20代)の歴史観は、現在となにも変わっておりません。皆さんは知識人の定義とはなにかと問われれば、なんと答えますか。私の答えは、知識人とは時勢、時流、権威、権力に媚びないことです。日本には時勢、時流、権威、権力に媚びる人知識人が多すぎます。従って日本には真の知識人と呼ばれる知識人が非常に少ない。西尾幹二氏は、その少ない真の知識人の一人です。 秦郁彦氏が、日米安保騒動時代どういう態度をとったのか私は知りません。彼の経歴を見ると、国際認識というか国際感覚というものに鈍感どころか鋭敏であってもおかしくありません。それにしても大東亜戦争を世界史の中で捉えるということが全然理解できていません。全くの自虐史観です。しかし彼は歴史の細部、「従軍慰安婦」事件や沖縄の集団自決などでは反マスコミです。ここでもし秦氏が、自虐史観を改めたら、マスコミに相手にされなくなってしまいます。 マスコミは、自分たちの日頃の歴史捏造や歪曲に批判する秦氏が自虐史観を主張するので余計彼を利用する価値があるのではないでしょうか。従って歴史観に関することには、積極的に秦氏を利用しているように見受けします。秦氏は、ひょっとしてマスコミ受けをねらった器用な生き方をしているのではないでしょうか。 ブログランキングに参加しています。応援クリック御願いします。
保守の知識人の中に「大東亜戦争」という言葉を使わずに平然と「太平洋戦争」という言葉を使う人がかなりいます。東京裁判史観を否定しているくせに太平洋戦争という言葉を平然と使っているのです。私にとっては実に腹立たしい。大東亜戦争という言葉は、真珠湾攻撃四日後の昭和16(1941)年12月12日に当時の内閣が、 「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」 と正式に大東亜戦争と命名したのです。 ところが敗戦の年の昭和20(1945)年12月15日にアメリカ日本占領軍(GHQ)は、 「公文書ニ於テ『大東亜戦争』『八紘一宇』ナル用語乃致ソノホカノ用語ニシテ日本語トシテソノ意味ノ連想ガ国家神道、軍国主義、過激ナル国家主義ト切リ離シ得ザルモノハ之ヲ使用スルコトヲ禁止スル、而シテカカル用語ノ即刻停止ヲ命令スル」として「大東亜戦争」という言葉の使用を一切禁止し、彼らの使用している「太平洋戦争」という言葉を押し付けた。 なぜアメリカ日本占領軍(GHQ)は、大東亜戦争という言葉の使用を禁止したか。それは大東亜戦争というと東アジアの解放という意味が込められているからです。この言葉の使用を禁止することによって大東亜戦争史観を抹殺し、GHQは、検閲、焚書、東京裁判などあらゆる方法を用いて日本国民を洗脳し、太平洋戦争史観を押し付けたのです。 こんなこと百も承知の保守知識人の中に平気で太平洋戦争という言葉を使う人が大勢います。使う理由は、ほとんどが太平洋戦争という戦争名がもう世界語だという主張です。 平川祐弘氏、東大名誉教授は、自著「米国大統領への手紙」ではこう書いています。「日本が戦った第二次大戦を大東亜戦争という歴史が臭う言葉で呼ばずに太平洋戦争というアメリカ側の言葉を私が用いたことに不満を覚える向きもいるかもしれない。しかし敗れた戦さである」 まるで戦争で敗れたから太平洋戦争と言ってもしょうがないと言わんばかりです。 さらに平川氏はこう書いています。 「私たちはグアム島をもはや大宮島とは呼ばない。シンガポールを昭南とは呼ばない。日本以外の土地でthe Great East Asia War という語が通用しない以上、そう言い張ってみたところで所詮、井の中の蛙ではあるまいか。 この前の戦争について太平洋戦争というよりも大東亜戦争という呼び名の方がよく似合う点もありはしたが、私はその部分を拡大して全体をおおうようなことはしたくない」 平川氏は地名と戦争名を一緒しています。地名など征服者によっていろいろ変えられます。このことよりも私が疑問を呈するのは、「日本以外の土地で通用しない以上、そう言い張ったところで所詮、井の中の蛙ではあるまいか」という彼の考え方です。 平川氏に伺いますが、ヴェトナム戦争、これ世界語でしょう。なぜヴェトナム人は、ヴェトナム戦争と言わず、アメリカ戦争(American War)というのでしょうか。日清戦争、これも世界語でしょう。しかし中国は日清戦争などと言いません。中国では中国の甲午の年に起きた日中間の戦争だから甲午中日戦争と呼びます。 アヘン戦争。これも世界語です。しかしイギリスでは、第一次英清戦争と呼んでいます。「セポイの反乱」歴史辞書では、この言葉で載せられています。しかしインドでは、「セポイの反乱」などの言葉は使われていません。第一次インド独立戦争と呼ばれています。中国人は、太平洋戦争と言う言葉も使わないし、大東亜戦争という言葉も使いません。使用している言葉は、抗日戦争です。 これらの民族は、なぜ世界語になっているような一般的呼び名の戦争名より彼ら独自の呼び方に固守するのでしょうか。その理由は、民族としての意地とか、こだわりとか、誇りのようなものが混在しているからではないのですか。太平洋戦争という呼び名を平気で使用する保守知識人の方々、あなたがたは、日本民族としての意地とかこだわりがないのですか。これは誇りの問題でもあるのです。 私は、なにもアメリカ人や中国人に大東亜戦争という呼び名を使えと主張しているわけではありません、日本人が先の戦争と言えば、大東亜戦争という呼び名しかないと主張しているのです。私の父の代の日本軍人は、大東亜戦争という名のもとに戦場で戦ってきたのであって、敵国が呼ぶ太平洋戦争あるいは日本の左翼の一部が主張している十五年戦争の名のもとで戦ったのではありません。 私は子供の時、防空壕に入った経験があるが、私が防空壕にもぐったのは、大東亜戦争の下に防空壕にもぐったのであり、太平洋戦争の下に防空壕にもぐったのではありませ。それを太平洋戦争などあっさり読んで、日本民族としてのこだわりはないのですか。 大東亜戦争のことは英語でなんというか、先ほど引き合いにだした東大名誉教授、平川祐弘氏は、the Great East Asia War と言っていましたが、この表現も悪くないが、直訳しすぎてなんとなく長たらしくぎこちない。 映画にもなった有名な小説、「ケイン号の反乱」を書いたアメリカのピューリッツァー賞受賞作家、ハーマン・ウォーク氏が自著の中で使っていた The Great Asian War, これは簡潔で使いやすい表現だと私は思います。 従って先の戦争と日本人が言えば、それは絶対に大東亜戦争のことでわり、英語で表せば、the Great Asian Warのことです。この二語に統一して世界に向けて堂々と使用することです。 世界に通用しようが、しまいが、これが日本人のこだわりであることを示せ。保守の知識人ばかりでなく、日本人よ、もっと自分の主張を前面に出して世界に向けて自己主張せよ、したり顔してよく考えもせずすぐに迎合、妥協ばかりするなと言うのです。 ブログランキングに参加しています。応援クリック御願いします。
西尾先生から私のブログの間違いを指摘されましたので訂正させていただきます。 Sさんが個人的に没収本を集めておられるのは事実ですが、西尾先生の今回の本とSさんとの関りは一切ございません。私の独断的な思いこみでした。
西尾先生はかねて日本文化チャンネル、水島総社長自ら蒐集された焚書約千五百冊を用いて没収本の紹介番組を放映しておりました。平成20年5月末で23回分を放映しています。 この放送内容を基本に出版されたのがこの本です。
再度強調しますが、この本は、Sさんとは一切関係なく、それどころか日本文化チャンネルの放映がなければ本書は生まれなかったでしょう。このことは本書の332,333頁で述べられています。
私の独断的思い込みのために作者の西尾先生、と読者の皆様に大変な迷惑をかけてしまいました。どうぞお許しのほど御願いします。
日本保守界の大御所ともいうべき西尾幹二氏が今年五冊の本を出版した。「年に五冊も出版したのは、生まれて初めて」と本人は言っています。著述業のまねごとみたいなことをしている私にとって、年に五冊の本を出版するなどとても想像もつかないことをやってのけています。西尾氏は、その他毎月のようにどこかの月刊誌に投稿、その他テレビ出演、講演などと73歳とはとてもおもえないほど精力的に活躍しています。 その五冊の本の中で「GHQ焚書図書開封」(徳間書店)は、日本国民必読の本ではないかと思っています。焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)と言う言葉があります。昔の中国、秦の始皇帝が儒教の書物を焼き捨て儒者たちを穴の中に埋めて殺してしまった有名な事件がありました。この事件から「焚書」と言う言葉が生まれました。要するに出版されている書物を廃棄して国民に読ませなくしてしまうことです。 日本の敗戦後、GHQ(アメリカの日本占領軍)は、日本人学者を殺してはいませんが、この焚書を行っています。GHQが徹底した検閲を行ったことはよく知られています。拙著「逆境に生きた日本人」(展転社)の中でその検閲の実態の概略を述べています。ところが焚書についてはあまりよく知られていません。 検閲と焚書を実行するということは、民主主義政治では絶対に行ってはならない政策です。独裁者や共産主義政治制度で初めて行える政策です。そのうえGHQは、占領中には占領国の憲法を作ってはいけないという国際条約に違反して憲法まで作っているのです。GHQは、日本に民主主義制度を根付かせたなどと主張していますが、実際にはGHQは、やりたいほうだい政策を実行したのです。 焚書には膨大な作業が必要です。焚書のことをGHQは、英語でConfiscation、没収という言葉を使用しています。没収本の対象期間は、昭和3年1月1日から昭和20年9月2日までです。その間に出版された全刊行物は、221,723冊もあります。 この中からGHQは、日本国民に読ませたくない本を選び廃棄したのです。その選別作業は膨大です。どこがやったか。東大文学部が行っていたのです。西尾氏は、自分が学んだ東大文学部の大先輩の教授たち行っていたことを知って愕然としています。 この20万冊以上の本の中から9、288点の書物が選ばれました。さらに厳選され最終的に7、769点が没収指定対象本になりました。初めのうちは日本の警察が本の没収を行っていましたが、昭和23年6月を境に文部省にこの件の業務が受けつがれた。文部省次官通達が知事に対し警察と協力して行うことを指導し、知事は教育に関係のある市町村の有識者を選んで「没収官」に任命。ただしその際、現場の教師を任命からはずし、学校の図書からの没収を慎むよう細かい指示を出しています。 GHQのこの焚書行為について西尾氏は、本書の中でこう書いています。 「それにしても不思議なのは、個人の家庭や図書館からは没収してはいけない、学校の現場教師には知らせてはいけない、担当の関係者はあったことを第三者にいっさい口にしてはいけない、と書面で規定していますが、ただそれだけで、この秘密厳守に関して格別の罰則はありません。人の口に戸は立てられないはずです。それなのに日本社会は麻酔薬でしびれたように動かなくなり、60年間、自分の過去を封じる「焚書行為」の存在すらすっかり忘れてしまったのです。 人間性の不思議のせいでしょうか。日本の敗北感情が特殊であるせいでしょうか。アメリカ占領軍の心理的な罠のかけかたが巧みであったせいでしょうか。集団殺戮のようなことではなくたかが焚書行為だからでしょうか。軍国主義の本は悪魔の本だという逆宣伝に乗せられ、日本人自らが自分で自分を過剰にしばる自己規制に走ったからでしょうか。それが心の中に「禁忌」(タブー)をつくって、知らぬ間に、自分の歴史は自分の頭で屈託なく伸び伸び考えるという自由を失ってしまったのでしょうか」といろいろとその理由を詮索しています。 私は拙著「逆境に生きた日本人」で語っていますように、日本人は権力に極端に弱い。戦後の日本人は、この「焚書」だけでなくGHQのあらゆる政策に積極的に、卑屈なまでに従順に協力しています。 それでは没収された7、769点の本はどうなったかというと、そのほとんどパルプにされて日本の学童用の教科書に再生され、残りの一部がワシントン文書センター(Washington Document Center)に送られたと言われています。 実はこの本が出版される2、3ヶ月前に西尾氏が「GHQ焚書図書について」の講演を行いました。そこで私は大変興味ある話を聞かされました。 7、769点の本が処分されたわけですが、この中に一体どういう本があったのか、日本人として気になるところです。文部省に気骨ある日本人がいたのでしょう。文部省は、7、769点の明細、すなわち本のタイトル、作者名、出版社名を網羅しただけの本を発行しました。勿論GHQには、秘密だったと思います。もしGHQがこの本の出版を知っていたら間違いなく中止させたでしょう。彼らは日本国民に気づかれずに本を処分するのが目的だったからです。 西尾氏は、講演の途中で鎌倉市に住む一市井の人、Sさんを演台に呼び私たちに紹介しました。Sさんは、この7、769点のリストを網羅した本を手にいれました。それ以来Sさんは、10年以上という年月かけて私費でこれらの本を探しまわりました。神田の古本屋はむろんどこかへ出かける度にその近辺の古本屋や本屋を訪ねまわり没収された本を探しまわりました。 没収本も個人所有や図書館所有のものは没収を免れていますし、没収本ですから販売網に乗っている本は、お金が払われることなく無料で没収されます。本屋によってはただで没収されては叶わないと隠す書店もあったでしょう。従って時間とお金さえかければある程度集められるだろうとSさんは考えていました。 Sさんは、7、769点のうちなんと半分近く3千数百点の本を集め、自宅の書庫で保管しているのです。国会図書館にも数十冊ありますので、現在没収本、7、769点のうちおよそ半分近くの4千点弱の本が日本国内に現存していることになります。このSさんの日本に対する貢献は大変なものがあります。ある日本人学者がSさんと西尾氏との仲をとりもちこの本、「GHQ焚書図書開封」が生まれるきっかけになったのです。 西尾氏は、鎌倉のSさん宅に通いつめることになりました。Sさんが本の貸し出しをしないからです。Sさんに言わせると、全部の本がすべて70年前後前の本ですから完全に古本です。本の保存に気をくばっているSさんにしてみれば、とても貸し出しなどできません。その気持ちをわかってほしいと言っていました。 西尾氏は、これらの没収本に目を通し、その中で興味のあるものを読者に紹介してくれているのがこの本です。これは初巻目で3巻まで出版される予定です。2巻も今週ぐらいに発売予定です。初巻目のこの本は、初回なので全体の三分の一が焚書についての説明で後の三分の二が抜粋本の紹介です。いやぁー実に面白い。なぜGHQがこれらの本を没収したかわかるからです。 初巻の圧巻は、最終章で米国人、ブレーク・クラークという人が書いた「真珠湾」という本の紹介です。真珠湾攻撃が行われたのが昭和16年12月8日です。それが昭和18年4月に海軍大佐、広瀬彦太と言う人に翻訳された本が出版されているのです。翻訳ですから、アメリカ側の出版は当然それより前です。真珠湾攻撃後、わずか一年半ぐらいの期間で原作の出版と翻訳本が出版されたという驚きです。しかも戦争たけなわの時です。それだけ書いた方はすぐ出版したかったし、攻撃した日本側も早く翻訳本が欲しかったのでしょう。このアメリカ人が書いた「真珠湾」という本は、つぎのことを明快に示しています。 1.真珠湾攻撃をアメリカ側は、必ずしも奇襲と考えていなかった。 2.日本軍が海上に浮かぶ軍艦と飛行場を徹底的に叩いただけで民間人を襲撃していない。 3.日本軍隊の技術の高さ、訓練の見事さをほめている。 4.アメリカ人は、日本人を完全になめていた。 10数年前まだ私が現役で働いていた頃、私はアメリカ映画、「パールハーバー」を見た。その時日本機は、逃げ惑う一般市民に機銃操作を浴びせていました。そんなことはなかったと本で読んでいたので癪に障ったことを覚えています。ここにアメリカ側の記述でも一般市民への攻撃がなかったことが実証された。徹底的に無差別空爆を日本本土でくりかえしたアメリカ軍とは違うのです。 もうじき2巻目が出版されます。その予告目次をみますと、 一. 従軍作家の見たフィリピン戦場最前線 二. 「バターン死の行進」直前の状況証言 三. オランダのインドネシア侵略史(1) 四. オランダのインドネシア侵略史(2) 五. 日本軍仏印進駐の実際の情景 六. 日本軍仏印進駐下の狡猾惰弱なフランス人 七. 人権国家フランスの無慈悲なる人権侵害 八. アジア侵略の一全体像(1) 九. アジア侵略の一全体像(2) 十. 「太平洋侵略史」という六冊本シリーズ 十一. 大川周明「米英東亜侵略史」を読む 十二. 「米本土空襲」という本 目次だけでなぜGHQが没収本にしたか想像がつく本ばかりです。拙著「大東亜戦争は、アメリカが悪い」は日本国民必読の本と自負していますが、この西尾幹二氏の「GHQ焚書図書開封」もまさに日本国民必読の本だと思います。 ブログランキングに参加しています。応援クリック御願いします。
私は個人的にこの本には因縁があります。半藤の「昭和史」は、昭和の初めから大東亜戦争敗戦で終わっています。従ってこの「昭和史」は大東亜戦争史です。この「昭和史」は、初版が2004年2月に出版されています。私の大作「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の初版が出版されたのが2004年7月です。 すなわちほぼ同じ時期に出版されたのです。だから多少因縁があるのだ。しかも両書の内容は、半藤の自虐史観と私の大東亜戦争肯定論だからです。
半藤一利は有名な作家、平凡社が出版し、本は全国の書店で売られています。私の初版は完全な自費出版、自分で書いて、自分で1000部の出版費用を出し、自分で都内及び神奈川県の大型書店に売り込みました。しかし私には全く予期せぬことが起こりました。 私の大作の初版1000部が1年以内で売り切れてしまったのです。すぐに2版目の1000部出版。一面識もない人が私に賛辞の投稿、初版三ヶ月目の10月には、生まれて初めての2時間の講演をするまでになったのです。
私の定年後の人生を変えた本になりました。2版目の1000部も売り切れ3版目の1000部を出版しました。私は有頂天になりました。ひょっとして全国的に広がるかもしれないと希望を抱いたのです。ところが2006年の3月出版社が突然破産。
「大東亜戦争は、アメリカが悪い」は絶版になってしまったのです。私の夢と希望が打ち砕かれてしまいました。しかしその後西尾幹二氏の目にとまり絶賛されたのは、不幸中の幸いでした。在庫が400冊あまり、全量私が引き取りました。現在東京八重洲ブックセンターと神奈川県、有隣堂各店で在庫がきれるまでという条件で限定販売されています。
一方、半藤一利著、「昭和史」は売れています。初版から現在では13版になって、毎日文芸賞受賞して歴史書のベストセラーになっています。私としては私の本と出版時期が同じでまた自虐史観本だけにじつに癪に障る本です。そこで今回は、自虐史観本の共通の欠陥をあげてみました。
1.道徳論で戦争になることは絶対にありません。国益が必ずからむから戦争になるのです。そのため戦争になるには必ず相手国がいります。大東亜戦争の相手国は、数カ国にのぼりますが、特に米英中国の三カ国は重要です。この三カ国の動向は、因果関係となって日本の国内政治に反映されます。ところ自虐史観本は外国、特に敵国の動向をあまり語らず、日本国内の政治的、軍事的動向だけを語って日本批判を繰りかえす本がほとんどです。
2.大東亜戦争は、昭和16年に始まり昭和20年で終わっています。大東亜戦争へつきすすむ原因にもなった満州事変は、昭和6年に起きています。従って自虐史観の持ち主は、大東亜戦争を昭和史として語るのをほとんど常としています。その方が自虐史観を主張しやすいからです。
しかし大東亜戦争は、昭和史だけで語れるものではありません。大東亜戦争の終結を持って現在の私たちの生活にいたる現代史の始まりになるからです。大東亜戦争は、私たちの現代史の始まる総決算の戦争です。 そのため大東亜戦争の本質をさぐるには、幕末ペリーの来航によって結ばれた1854年日米和親条約から1941年の大東亜戦争勃発までの87年間の歴史を学ぶ必要があるのです。 自虐史観の持ち主の学者や評論家は、自分が大東亜戦争の本を書く時、87年間の歴史をひもとくことはほとんどしません。
3.半藤一利は、大東亜戦争の日本人死者、軍人民間人あわせて310万人としています。彼らは無駄死にで、これほど馬鹿げたアホな戦争はないと主張しています。そして大東亜戦争の意義など眼中にないのでしょう全く語っていません。 確かに日本軍の無謀な作戦で多くの軍人を無駄死にさせたケースもありました。しかし大東亜戦争そのものに意義がなかったなどと、とても同意することはできません。拙著「大東亜戦争は、アメリカが悪い」の終章は、「大東亜戦争の意義」について書いています。
4.半藤一利の「昭和史」などのような自虐史観本では、ほとんど絶対と言っていいほど語らないことがあります。それは国際経済情勢です。戦前の国際経済情勢がどうであったか、ここで少し詳しく書いてみましょう。
(1)日本は貿易で生きていかなければならない国です。幕末日本は欧米諸国と不平等条約を結ばされました。不平等条約の一つが関税自主権の喪失です。欧米諸国から色々な物資が日本に輸出されてきますが、輸入する日本は、その輸入税をいくらにするか自分で決めることができないのです。
輸入税は日本の国庫に直結します。ただ同然で輸入しているわけですから、どんなに輸入が増えても日本の国庫が潤うことはありません。日本はなんとか不平等条約を改正しようと涙ぐましい努力しています。後世、非難の的になる鹿鳴館も涙ぐましい努力の一つです。
(2)その不平等条約が撤廃されたのが明治44年です。日露戦争が終わったのが明治38年です。日露戦争勝利の6年後のことです。不平等条約を結ばされてから撤廃までほぼ50年かかっています。日露戦争に勝ったから欧米諸国は、日本を一人前の国と認めてくれたのです。 これで戦争に負けていたらいつ不平等条約が撤廃になったか想像がつきません。こうして日本は大正時代から、輸出入という国際経済、欧米諸国主体の国際経済活動の仲間入りができたわけです。
(3)ここで皆さんに前置きとして知ってもらいたいことがあります。大東亜戦争終結8年後の1948年にGATT(ガット)(関税及び貿易に関する一般協定)が国際間で締結されました。それが現在のWTO(世界貿易機関)に繋がっています。1948年にガットができたというのも大東亜戦争の意義の一つです。 なぜなら戦前には、国際間の貿易に関する取り決めなどなにもなかったのです。
例えば時計を輸入しても輸入国は、自分かってにまちまちの輸入関税をかけていたのです。そういうような無秩序とも言える国際経済の中で日本は、欧米先進国の追いつこうとする当時たった一つの発展途上国でした。当時日本は、最近の中国と同じように低賃金を武器に輸出攻勢をかけていました。
(4)当然欧米諸国にとって日本製品は脅威の的です。当然のごとく日本製品差別が始まりました。大東亜戦争は、人種戦争とも言われ、人種差別はよく語られますが、日本製品差別はあまり語られません。どのようにして日本製品差別をしたかというと日本製品だけに高関税をかけるのです。 当時発展途上国が数カ国あれば日本は共同で欧米先進国に対抗できたでしょう。しかしながら戦前の日本はたった一国の発展途上国だった。それだけに日本の孤独な戦いが強いられたわけです。
(5)日本は東南アジア諸国に輸出しようとします。東南アジア諸国はほとんど欧米の植民地です。植民地の宗主国は、安い日本製品には高関税をかけて、高いヨーロッパ製品を植民地国に買わせようとするのです。こういう日本製品差別が極端にあからさまになったのが、1929年の世界恐慌からです。
(6)1929年のニューヨークの株式市場の大暴落をかわきり世界恐慌が始まりました。この時アメリカは、なにをしたか。アメリカは自国の企業や農民を守るために1000品目にもわたる製品に高関税障壁を設けました。ペリー提督が日本に開国を迫った時、自由貿易を提唱しました。
そのアメリカが自由貿易を捨て外国品を締め出すために高関税をかけ、そのくせカナダやラテンアメリカには、高関税を適用しませんでした。これをブロック経済化といいます。現在の日本もアメリカは日本の重要な輸出先ですが、当時もアメリカは日本で一番重要な輸出先でした。アメリカのこの高関税適用で、日本のアメリカ向け輸出が激減しました。
(7)ブロック経済化に連鎖反応が出ました。1932年カナダのオタワでイギリス帝国経済会議が開かれました。参加国はイギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦、アイルランド、インド、南ローデシアでした。これ等のイギリス連邦とアジアやアフリカにあるイギリスの植民地は、一つの経済圏を作り、域内同士の商品に対して無税ないし低い関税にし、日本製のような外国商品には高関税をかけることにしたのです。 フランスもアフリカや中近東に植民地を持ち、アジアにもラオス、カンボディア、ベトナムなどの植民地があります。フランスもブロック経済圏を確立したのです。それでなくてさえ日本製品は安いがために差別されていたのに、このように世界がブロック経済化してしまっては、日本は、ほとんど輸出できません、生きていくためには日本どうしたらいいのでしょうか。
現在の日本経済は、強力です。欧米諸国がいくら日本経済の存在がねたましくても、日本経済を潰すことはできません。日本をつぶしたら世界恐慌になるからです。しかし戦前の日本経済は、発展途上国、日本経済を潰してもなんの影響もありません。 日本経済を潰した方が、競争相手がいなくなって白人の繁栄が謳歌されて好都合です。それだけに露骨に日本製品を差別したのです。
(8)世界のブロック経済化で日本の輸出がほとんど不可能になれば、生きていくために日本国民の目が余計に満州に向かうのは当然のことです。大東亜戦争勃発後半年間の快進撃で、東南アジアから白人を追っ払い戦中戦後に独立国が続々と誕生しました。独立国誕生が、戦後の日本経済発展に大変寄与することになったのです。
戦前、植民地国では安い日本製品がやってきても宗主国の命令で高関税をかけ、高いヨーロッパ製品を買わされていました。独立国になったため、宗主国に気兼ねせず自由に安い日本製品を買うことができるのです。戦後、日本製品が東南アジアにどっと輸出できたのも独立国誕生のお陰なのです。
戦争で同じ負けるにしても植民地状態を残したまま負けてしまったら、戦後の日本経済が急速に発展できたでしょうか。輸出しようにもまた高関税をかけられるだけです。開戦半年間で欧米人を東南アジアから追っ払ったことが、どれだけ大東亜戦争を意義あるものにしたかはかりしれないものがあります。
半藤一利の著書は、このような国際経済情勢について一言も語っていません。最後にもう一つ自虐史観本ではとりあげないものを紹介します。
5.日本に有利な史実は絶対といっていいほど取り上げず、無視することです。いくつかの史実無視の中で代表的なものが、マッカーサー発言の無視です。マッカーさー元帥は、日本占領軍最高司令官退任後帰国します。帰国後、アメリカ議会の軍事外交合同委員会で「日本の戦争は、自衛戦争だった」と公式発言をしています。彼は、大東亜戦争当時、敵軍の最高司令官でした。その彼の発言ですから非常に重みがはるはずです。
彼は英語でどう表現したのか、これは重要ですからぜひ憶えてください。 Their purpose, their とは日本人のことです。「Their purpose, therefore, in going toWar was largely dictated by security。」
マッカーサーは大東亜戦争で指揮をとり、戦後は朝鮮戦争で指揮をとりました。その体験から彼は日本の戦争は自衛戦争であったと判断したのだ。半藤一利よ、日本は自衛のために戦ったのだ。馬鹿げた戦争したわけではないし、兵士は無駄死にではないのです。同じ負けるにしても植民地状態を残したまま負けてしまったら、あるいは戦争せずにアメリカの主張を全面的に受け入れたら、その後の世界や日本は戦争前よりよくなったとでも主張するのですか。
歴史に興味ない人、歴史を知らない人が、自虐史観を主張しても私は怒りを感じません。彼らはそのように教え込まれているからです。しかし半藤一利のように歴史を知っている知識人や、歴史家が自虐史観を主張すると私は猛烈な怒りを感じるのです。自虐史観は、日本民族の侮辱以外のなにものでもないからです。
最後に私の大作のこぼれ話を二つ披露しましょう。私の大作は、400字づめ原稿用紙で1100枚です。ちなみに「源氏物語」は、400字づめの原稿用紙で2300枚と言われています。私の著書のちょうど2倍の厚さになります。「源氏物語」が大変な大作であることがわかります。 私の筆記用具は、パソコン、紫式部は筆。暑い夏をふくめて一年中十二単の着物を着て座って原稿を書いたにしても、彼女の足の座りだこは、大変大きなものではなかったかと想像してしまいます。
私の本の定価は、1500円。大作のわりには低く設定してあります。1500円という安いこの本が、アマゾンでは現在29,000円という値がついています。その理由はわかりませんが、私は著者の特権で、かってに本の内容がすばらしいからだと解釈しています。「大東亜戦争は、アメリカが悪い」は、日本民族必読の本と私は自負しています。
幸いまだ在庫が少しあります。マイミクの皆さんの中でぜひ読んでみたいと思われる方がおりましたら、住所を教えていただければ贈呈させていただきます。但し最後まで読んでいただくということで御願いします。送料も私負担で送ります。もうすでにマイミクさんの何人かに贈呈しています。
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