環境、原子力問題の嘘・ホント


当社は再生紙を一切使っておりません。
何故ならあんなものは、一部の政治家・官僚・環境オタク(いわゆる環境マフィア)による馬鹿馬鹿しいパフォーマンスだからです。再生紙なんか、何の意味があるのか?そもそも世界の森林資源の中で、日本の製紙産業が使用する割合はいくらでしょうか?ほんの数%です。日本人が使用する紙の全てを再生紙に切り替えたところで、地球環境保護への寄与率は取るに足りないものです。それよりもっと問題は中国・インド等途上国の経済発展、バイオエタノールというペテンによる森林資源消費なのです。紙は文化です。しかしガソリンは消費に過ぎない。ガソリンに回す木があれば、それを紙に回した方がずっと人類文化の役に立つ。現在の再生紙混入率を政府方針通りにすれば、日本の製紙産業は全て中国に吸い取られ、滅びるでしょう。一刻も早く法律(グリーン購入法)を改正か廃止して日本の紙を守るべきです。食品衛生法やJAS法と同じで、守れもしない基準を安直につくるからこういうことになるのです。以下は環境問題の本音の部分です。


8、原子力発電所は危険か?
環境問題に対しては、何も決められなかった08年サミットで唯一決められたのが、原発建設の推進である。温室効果ガス削減に原子力を持ってくるのは、如何にも安直。今世界で計画されている原発は合計で100基以上に上る。計画するのは勝手だが、その過程で何が起こるか判っているのでしょうか?
1、それだけの原発を維持するだけのウラン資源が確保されているのか?一般に地下資源は偏在性が強いものだが、その中でもウランは特にその傾向が強い。ウラン鉱山の開発は、含有量や開発方式によってはとんでもない環境破壊を作る(日本では人形峠程度のウラン残土で大騒ぎしているが、オーストラリアやカナダやナイジェリアなんかのレベルでは桁がが違うのである)。日本や北朝鮮のウラン開発が大きな環境問題に発展しなかったのは、そもそもウラン含有量が乏しく商用ベースに乗らなかっただけの話である。今、日本は南アフリカに手を出している。南アフリカはウラン産出国だから、それなりに目の付け所は良い(但し投資が回収出来るかどうかは別だが)。もし世界中でのウラン資源量が需要に対し十分で無ければ、下手すれば戦争だ。
2、日本製の原子炉の安全性は、おそらく世界で一番高いだろう。そのかわり値段も一番高い。その隙を狙って、フランスとかロシアとかが、安い原子炉を売り込んでくる可能性がある。これらの国の製品は、特に耐震性に於いて問題がある。このような原子炉が、世界中に広がればどうなるか?日本製原子炉はM6.8の直下型地震には耐えられたが、欧州型はどうか判らない。何故なら欧州型原子炉は地震を経験したことがないからである。もし欧州型原子炉が同じ様な地震に遭遇しておれば、とんでもない環境破壊が発生した可能性がある。
3、今後の原発開発は新興国を中心に回転する。経済発展途上にある新興国の長所は、政策決定が早いことである。しかしものを見る視野が狭く、長期的展望にたたないという欠点がある。新興国は果たして放射性廃棄物処理にどれほど関心をもっているか、疑問なしとしない。金にならない放射性をゴミ同様に扱ったり、最悪海洋投棄を行う可能性だってある。インドなど危ないものだ。08年サミットは環境サミットという歌声とは全く逆に、とんでもない環境破壊サミットになった。
(08/07/10、08/10/05)


 当たり前の話ですが原子力発電所は危険です。危険だからこそ何重にもセーフテ
ーネットを張っている。しかし、そのネットは未だ十分強固とは云えない。だから原発は危険だ、という世間の厳しい眼は和らぐことはない。原発という施設は互いに関連しあうシステムからなる一つの複雑型を形成する。問題はそのシステムの何処までが安全で、どこから先が危険か?その点の区別が曖昧で、しかもその基準が一般社会に明らかにされないまま、やれ安全だ、やれ危険だ、という互いに噛み合うことのない不毛の議論が延々と続くことである。原発の安全性で今一番問題になっているのは地震だろう。地震被害というものは@地下深部の岩盤が破壊し、Aそれで発生した弾性波が地盤を通じて地上に到達し、Bその波が地上の建物や表層を揺らして様々な被害をもたらす、という経緯を辿る。ところが、世間に流布している地震情報では、@地下深部での地震動と、B地上地震動とが直結してしまって、中間のA地盤の問題が無視され、それが様々な誤解を産んでいるのである。
8.1東電柏崎原発の例
 中越沖地震での東京電力柏崎原発の例で見てみよう。東電HPを見れば判るが、原子炉建家は概ね建家の半分ぐらいが地下に埋め込まれている。特に1〜4号炉は建物ベースが地下40m位になる。地山は鮮新統西山層。西山層が堅固な岩盤とは思えないが、東京、大阪中心部の超高層ビルや、永田町霞ヶ関の国会官庁街を支えている地盤よりはましである。まして、建物の半分が地下に埋め込まれているのだから、どんな地震が来てもひっくり返りようがない。地震後、マスコミが発電所に入り様々な映像を流していた。特に衝撃的に写されたのが1号炉脇の変圧器の火災である。ところが筆者はこの映像を暫く見ている内に、こんなものは大丈夫だ、問題は無い、と判定した。そのほか、波打つ道路、地面の亀裂、コンクリート擁壁の破壊、その下の陥没、おまけに傾いた消火器(これはご愛敬)等様々な地変がこれでもかこれでもか写し出され、如何に柏崎原発の地盤が脆弱であるかを強調していたのである。
 さて、柏崎原発が建設されたのは昭和40年代末から50年代にかけて。その頃は40mの高さを垂直に掘削する技術は無く(今ならNATMを使ってやってしまうが)、上半部をオープン掘削、下半部を連壁か親グイで山止めして掘削し、建家本体を構築するのが一般的だろう。オープン掘削部分と建家との間には隙間が出来るが、そこは掘削土で埋め戻すのである。1号炉脇変圧器もそういう埋め戻し部にあった。又、造成前の原発敷地は起伏のある丘陵地で、このままでは施設建設は出来ないから、山を削り谷を埋める事によって平坦地に仕上げる。原発敷地は外から見ると一見一様な地盤に見えるが、その中身は元々の地山(切土地盤)と、谷を埋め立てた盛土地盤とからなる複合地盤になっているのが普通である。そして、一般には切土地盤に原子炉建家とか発電器室などの重要構造物を、その他管理棟とか重要度の低いものは盛土地盤に建設する。中越沖地震で発生した地変はみんな盛土地盤で発生した液状化とか動圧密のような地表面現象。1号炉脇変圧器の炎上も、地盤沈下が原因がで、そこが建家脇の埋め戻し地盤と思えば十分理解出来るでしょう。筆者が「大丈夫、問題はない」と判定した理由はそこにある。問題は東電が地震後、原発敷地の地盤状況を一般に発表しなかったことである。その結果、原発敷地は全て危険という誤解が広まった。おまけに国際原子力委員長が「原子炉だけでなく付属施設も1000galで設計しなければいけない」などというたわけ発言をしたものだから、騒ぎを余計大きくした(その後この発言を撤回)。これもこの委員長が地盤の性質を無視して、目に見える現象面だけに心を奪われたからである(この傾向は物理屋に多い)。 柏崎原発でも発電所全体の造成後の地質平面図とか、発電所全体の地質断面図を作っているはずである。それを公開し、地震被害と地盤との関係を示せば、騒ぎを最小限にくい止められた(非常識なマスコミは別として常識ある市民の理解は得られた)はずである。それすらも作っていないとすれば(作っていない可能性はありますがね)、最早なにをかいわんやである。

 地震後、TVによって繰り返し報道された被害映像(例えば1号炉脇変圧器の火災や擁壁地盤の陥没、6号炉の使用済み冷却水漏れなど)は、現実には原発の安全性には何の関係もない現象である。しかし、一般市民に「原発は危険だ」という印象を与えるには十分な役割を果たした。実はこれはかつてヒトラーにより考案され、ベッベルスにより芸術的にまで高められたナチ流世論操作法である。まず、真実とは全くかけ離れているが、操作を行おうとする側にとって都合の良い部分だけを切り取り、それを反復報道する。すると読者或いは視聴者の脳はこれを真実と錯覚するようになる。その内、これが一人歩きし、逆に全体を支配するようになる。ヒトラー曰く「嘘も百回繰り返せば真実になる」。これの実態はニュルンベルグ裁判で明らかにされ、それをそっくり踏襲したのが、アメリカ政府とアメリカの広告産業である。
 最近これとそっくりの現象が起こった。それはイタリアフィレンツエ大聖堂での落書き騒ぎである。最初あるTVメデイアが日本人の落書きがあると報道した。おそらくイタリアに旅行したお節介焼きの日本人旅行者(多分定年退職した年寄り)が、何処かの放送局にたれ込んだのだろう。その後、他のTV局やら新聞が報道し、大学が謝罪会見を開く大騒ぎ。その当時の報道姿勢を振り返って見ると、新聞は「日本人学生が世界遺産に落書き!」と大見出し。又TVでは日本語の落書き部分だけ大写しでその周りにぼかしを入れる丁寧さ。あたかも世界遺産に落書きするような大馬鹿ものは日本人だけと云わんばかり。ところが画面が出た瞬間には、日本語落書きの横にハングルやアルファベットの落書きが写っていたのである。しかし、そのことは一切報道しない。こういうのをヤラセ、世論操作というのである。(08/07/09)

8.2何が危険か
 
さて、一般に工業施設という物はその中に何らかの危険性を含んでいる。その危険の始末を施設の中だけでつけられれば、中で何をやっていようが構わない。つまり、工場施設が地震でひっくり返ろうが、爆発を起こして火事になろうが、それが場内で収まれば一般市民には何の関係もない。ところが原発はそうは行かない。何故なら、原子炉が暴走を始めたとき、その影響が発電所敷地内で収まるわけがないからである。
 原発施設は大きく(1)原子炉ータービンー発電器を結ぶ中核施設、(2)管理棟、送電系、燃料タンク等の周辺施設からなる。これらは構造的に分離されているので、(1)の影響が直接(2)に及ぶこともなく、その逆もその通りである。つまり送電鉄塔が倒れたところで、それが(1)の安全性に及ぼす影響は無い。従って、原発の安全性は(1)中核系の安全性を確保すればよい。柏崎の例では、とりあえず中核施設の安全性は護られたと判断出来る。
 では何故1年以上も柏崎原発が停止させられたのか?様々な理由(多くは政治的理由)が考えられるが、一つは建家内部での損傷(といっても窓ガラスが割れたというのも含まれる)が2000箇所以上にのぼっていたからである。但しどの損傷も、原発運転の支障になるような、致命的ダメージではない(少なくともそのような報道はされていない)。何故こんなに沢山の損傷が生じたのか?それは建家が(思った以上に)揺れたからである。このような損傷の発生を防ぐには・・・ゼロでなくても1/3でも1/4でも構わない・・・、当たり前だが建家の揺れを少なくすればよい。処が、現状では建家の揺れを少なくすることが出来ないのである。それは技術的に出来ないのではなく、原子力安全・保安院による「原子力発電所に係わる耐震設計の概要」という指針が原因になっている。これによると建家基礎の設計は、概ね次のような流れになる。
 1)岩盤上に建設すること
 2)原子炉建家は岩盤上に直接支持させる。
 3)建物は剛構造とし、安全上重要な機器・配管系は剛構造の建物に固定する。
 この考えは正しいかどうか(技術的に合理的であるかどうか)は別にして、間違いではないだろう。但し、次のような問題がある。
1)建物を剛構造とする限り、建家の揺れを個々のセグメントで受け止めなくてはならない。
 剛構造は基礎に入って来た地震力をそのまま建家に伝える構造である。原子炉建家の様にスパンの大きい建物では、例えは設計を剛構造としても、実際には揺れの増幅が行われる。この大きくなった(増幅した)揺れが、様々な建家内損傷を起こしたのである。例えば、4号炉排水プールのスロッシングとか、天井照明の落下などである。これなどは剛構造の建家が、柔構造とたいして変わらない挙動を示したと考えられる。又、剛構造では、発生した変位に比例した応力が発生するから、変位が規定値より大きくなれば、応力も規定値を超えるので部材の降伏が生じる。この結果、建物各部に損壊が生じる。これらの現象を防ごうとすれば、(1)部材を剛性の大きい材料に交換するか、(2)断面を大きくするしかない。建築材料の物性には自ずから限界があるので(1)はメインにはなり得ず、(2)による対応となる。処が、この方法では、断面を大きくすれば質量増加となり、返って地震時慣性力が大きく なる。従って変位(各部応力)も同じように増えることになる。結局は変位と応力の追いかけとなって、何時まで経っても結論は得られないことになる。
2)問題は基礎を直接基礎とすることにある。
 直接基礎は最も安定した基礎工法である。しかし、これは基礎地盤に入力してきた地震動を、そのまま建家に伝えてしまう。その結果、1)で述べたような様々な余計な揺れが発生するのである。これを避けるには、要するに建物への入力地震動を小さくすればよい。そのためには、基礎構造を免震構造とすれば、建家入力地震動を大幅に低減することが出来る。免震構造そのものは歴史も古く、実績も多い。工法的に別に目新しいものでも何でもない。むしろ原発がこれを採用してこなかったことに驚かされる。免震を取り入れれば、入力地震動はざっと1/3位になるので、耐震設計はもの凄く楽になる。無論、壁厚や柱の断面も小さく出来るので、電力会社にとってはコスト削減効果が大きい。しかし目的はそんなことより、より高い安全性を確保することにある。建家構造を旧基準のままとし、基礎を免震構造とすれば、安全性は数倍向上する。
 なお、免震工法は剛構造に対応するから、剛構造を前提とする原発建家には相性がよい。
 そこで疑問なのは、何故免震工法を採用してこなかったか、だが、これはやはり保安院指針の「原子炉建家は岩盤上に直接支持させる。」という一文が呪縛となって効いているのではなかろうか?こんな物はさっさと書き直せばそれでよい。
3)今後の新設原発には適用可能かもしれないが、既設原発基礎を免震に改築可能か?
 既設構造物基礎を免震で取り替えるという例はあまり聞いたことはないが、近々行われる東京駅改築工事では、免震工法を取り入れると云うことだから、工法的に目処が立っているということでしょう。

7、マイ箸、マイバッグのインチキ
 一部のマスコミ報道により昨年、「マイ箸」とか、「マイバッグ」というキャンペーンが行われ、それに類する商品が売り出された。これらは二酸化炭素吸収及び二酸化炭素発生を抑える目的で行われたはずである。果たしてそのとおりになるだろうか?
1)「マイ箸」
 これは森林資源を保護し森林の二酸化炭素吸収能力維持を目的としたキャンペーンだろう。これにも箸の消費という現象の傍らで、主にNHK画面で流された、東南アジア熱帯雨林伐採という映像が大きなプロパガンダの役割を果たしたことは云う迄もない。これ以後、民放報道でも「マイ箸」や「マイバッグ」報道が続いたのである。果たして日本での箸の消費が、熱帯雨林の二酸化炭素能力に影響を及ぼすレベルのものだろうか?
 そもそも、日本では箸はメインの材料ではない。主に間伐材又は端材(幹から主要部を切り取ったあとの残り)から生産されてきた物である。もし、日本で箸の生産が行われなくなったら、間伐が行われず、端材は投棄される。端材は廃棄されるとバクテリアに分解されるが、そのバクテリアの死骸から端材の成長に要したのと同じ二酸化炭素が排出される。つまり、箸の生産は木材生産の二次生産に過ぎないのであって、これの消費を抑えたところで、二酸化炭素排出量には全く関与しない。まして、TV映像に出てくる熱帯雨林の伐採は、箸の生産とは全く関係がない。東南アジア産木材の消費先は、主に紙パルプ・建材・合板用チップで箸などには使われない。第一、日本の箸のために森林伐採などする暇人は居ない。
2)「マイバッグ」
 
スーパーのレジ袋をもらう代わりに、マイバッグを使おうというキャンペーンが、TVメデイアを中心に始まって、それに乗るアホ女が首都圏・関西を中心に増えた。レジ袋の原料は石油二次製品であるエチレンである。エチレンの消費を抑えることが出来れば、石油消費が減り、結果として二酸化炭素排出量を低減出来るというのが建前だろう。しかし、これは石油高騰が顕著になった一昨年辺りから始まったので、この裏には石油消費を抑えようと云う意図が裏に働いていたのは顕かである。ではレジ袋を減らしただけで石油消費量や二酸化炭素排出量が減るでしょうか?全く関係はありません。それどころか新たにマイバッグを作るために、返って二酸化炭素排出量が増えかねないのです。
 そもそも現在の石油精製の最終目標はガソリンです。エチレンは石油精製過程で産出する副産物の一部です。エチレンを原材料にして様々な石油化学工業製品が作られるわけです。では石油精製過程でエチレンを作らなくなるとどうなるでしょうか?石油の地表における原物質は原油ですが、これには硫黄を始めとする様々な不純物が含まれる。これらの不純物が再利用されずに、そのまま投棄されると大変なゴミ問題になる。しかしこれは一部の産油国の問題に過ぎない。それから遙かに離れたヨーロッパや日本では、知らぬ顔の半兵衛で済まされると思っているかもしれないが、それだけでは済まされない。投棄された廃油はいずれバクテリアで分解されるが、バクテリアの死骸から、分解したと同じだけの温室効果ガスが排出されるのである。第一、エチレンまして「マイバッグ」などを作るために石油を掘る暇人などいない。
 従って、「マイバッグ」などやったところで、二酸化炭素減少にも、石油価格高騰防止にも何の役にも立たない。そんなことをやっていると、返って二酸化炭素を増やすことになりかねない。

6、環境省が温暖化対策具体案を発表
 06/17に環境省が温暖化に対する具体策を発表した。この中には4、で紹介した「あきれた対策案」と、質的にはあんまり変わりが無い。
1)首都圏で今後おおよそ2億トンの水不足が生じるから、そのためのダムを整備する必要がある。
2)海面上昇による浸水地区の住民を強制移住させる。
3)雪の蒸発散によるロスを減少させるために、ダイナマイトで雪を暗い谷間に落とす。
 国土交通省がこういうことを考え出すのなら判らないでもないが、環境省が言い出すことに、この役所は何を考えているのか?と思ってしまうのである。
1)について
 首都圏で水不足が生じる大きな原因は首都圏での人口増である。この前の国勢調査速報では、人口が増加しているのは首都圏・愛知県と沖縄だけ。他は概ね減少か現状維持。近畿圏では大阪府と滋賀県だけが微増という程度。首都圏・愛知県の人口増はコイズミカイカク以来の一極集中と輸出政策による政策増、沖縄県は高齢者の移住結果である。ということは、こういう人口動態は、政権・政策が変われば変化する可能性があるということだ。今は将来水不足になると云っているが、人口動態が変化すれば(人口が減少に転ずれば)、せっかく作ったダムが無駄になるケースは十分にあり得る。ダム整備に要する費用と将来の需要との関係を十分に吟味する必要がある。環境省にそれに対応出来るノウハウがあるとは思えない。大丈夫ですか?なお貯水量2億トンというのは大したダムではない。今、国交省は北関東での既設ダムの集約を計っている。なにかそれに合わせた数字のような気がしないでもない。
2)について
 いわゆる海抜0m地帯を対象に、の話だろう。強制移住といって、何処へ移住させるのか?日本にはそんなに土地は余っていない。東京なら、千葉当たりにつぶれかけのゴルフ場が一杯余っているから、そこへ移住させるのか?それならゴルフ場経営者は大助かりである。
 下の図は様々なモデルによる気候変動の予測である。変動モデルによって予測値は大違いだが、比較的穏当なところで、2100年(おおよそ100年後)時点で2〜3゜Cの上昇となる。ではこの気温上昇でどれぐらい海面上昇があるかというと、実はまともな計算結果はない。せいぜい数10pという説もある(よくテレビに出てくる太平洋ツバル島の潮位上昇映像は、完全なマスコミによるヤラセ。あんなものに引っかかるのだから、今の東京都知事の知能指数がおおよそ推し量れる)。それどころか温暖化が叫ばれる様になって50年ぐらいになる。その間で0.7゜C位の気温上昇になるが、具体的な(科学的根拠を持った)海水面上昇は、未だに報告されていないのである。

ツバルの潮位上昇現象は海水面上昇だけに起因するものでしょうか?ツバル島はマーシャル諸島の南に連なる島嶼列の一つです。殆ど起伏のない弓形の島嶼とコーラルリーフ。それらに囲まれる浅いラグーンからなります。ラグーンの水深は7〜8mに過ぎませんが、その外側は急斜面になって6000m下の大洋底に続きます。これを海山と云う。この島嶼列は太平洋プレートに乗って西北西に移動しいずれはマリアナ海溝でプレートの下に沈み込んでしまう。その間にいろいろな事があるわけで、プレートが局所的に少し歪んだだけでその上の海山も僅かに傾く(と思う)。それだけで見かけの潮位上昇に繋がる。ツバルの潮位上昇が本当に海水面上昇に繋がるかどうか、ツバルの標高をGPSで精密観測するか何かで検証しなければならないでしょう。


 過去から遡るのも一法である。今から約1万年前には気温は今から約5〜6゜C低く、海面は25〜30m下にあった。6000年前には気温は今から約1.5〜2゜C高くなり、海面は5〜6m上昇した。つまり、6.5〜8゜Cの気温上昇に対し、30〜35mの海面上昇で反応したわけである。気温上昇と海面上昇が仮にリニアーに変化するとすると、気温1゜Cの上昇に対する海面上昇率は平均4.5m/゜Cとなる。ではこの値が常にそうかというとそうではない。今から2500年ほど前の弥生小氷期では、今から約2.5゜Cの気温低下に対し、海水面は約2.5mほど低下した。このケースでは、海水面上昇率は約1m/゜Cである。先の例と大きな差がある。この理由は海水面上昇の主たる原因である氷河、氷山、氷床の縮小が挙げられる。2500年前にはこれら氷資源は1万年前の数分の一以下になっていたからだろう。今では氷資源は2500年前の半分ぐらいになってしまった。ということは今後の海水面上昇率は、これまでの1/2〜1/3以下と考えて差し支えない。今後100年間での気温上昇を2〜3゜Cと見積もると、海水面上昇は1〜1.5mかそれ以下ということになる。上に挙げた数10pという数字はあながち嘘とはいえない。 
 この程度ではとても住民の強制移住という話にはならない。実際東京でも大阪でも、オーダーではこれに近い地盤沈下(現象としては海面上昇)を経験している。1〜1.5m程度の海面上昇なら、高層〜超高層ビルならジャッキアップ、一般市街地なら区画整理で高層化を計り盛り土するか、ベニスのような水上都市を計画するなど、幾らでも対策は考えられる。環境変化に応じた都市計画コンセプトの構築が必要である。日本にまともな建築屋はいないのか?昔、黒川紀章が環東京運河案というものを出したことがあった。筆者は黒川というのはキザで大嫌いなのだが、この案は面白いと思った。環東京運河は東京の都市問題だけでなく、環境、防災に大きく寄与し得ると考えられるからである。
 無論温暖化に伴い低気圧の勢力が強くなるから、高潮被害の増大というケースはあるが、日本列島では高潮は過去
何千回と経験している。しかしそれで住民が移住したケースは少なくとも歴史時代にはない。高潮など、二重防潮堤とか地下貯水槽など現在の土木技術で十分対応できる。住民の強制移住など、技術の進歩を全く無視した文系的発想。環境省は最早不動産業(地上げ屋)の下請けに堕した感がある。
 日本では確かにそうだが、南太平洋の島国や、バングラデシュなどの低地帯では、水没してしまうので人は住めなくなるのではないか?という疑問があるでしょう。南太平洋の島国では確かにそういうこともあるかもしれない。一方、オランダは営々と堤防を築いて国土を拡張してきた。国土の殆どは海抜以下である。しかし、国土を放棄して逃げ出そうなんてオランダ人はいない。バングラデシュなんかはこれを見習って海岸防潮に力をそそぐべきである。サイクロンの勢力増大を考えれば、これも二重堤防とし、中間を遊水池にした方がよいかもしれない。
3、について
 一番判らないのがこれである。何のためにこんなことを環境省が言い出したのか、真意が掴めない。多分発想の原点は、温暖化で雪が減り、春先の融雪が減って農業用水が不足するため、山に積もっている雪を先に戴こうという算段から出たのだろう。或いは北アルプスなんかでは夏でも雪渓が残っている。これと似たようなものを作れば残雪の有効利用が計れる位のことか。さてよく判らないのが、全体の水収支をどう計算をしているか?だ。冬、山に降った雪の行き先は(1)地表水、(2)蒸発散、(3)地下浸透の三者である。通常、降水観測をして水収支を計算すると、収支は合わない。降った量に対し出てくる量(地表湧出量+蒸発散量)が少ないのである。不足分が地下浸透量である。環境省の計算は、この地下浸透量を無視しているか過小評価している疑いがある。
 まず、この対策の難点は北陸、東北、北海道など豪雪地帯でしか意味を持たないことだ。関東、東海近畿、山陽地方など、もともと雪の少ない地方には全くピンと来ない。つまり、手法として一般性を持たない。ということは政策として成り立たない。
 次に具体的に手法を吟味してみよう。
1)まずダイナマイトで雪を落とすというのは、冬季に降った雪をそのままにしないで、谷に落としてしまおうということだろう。一番雪の多いのは標高で2000m位から下の森林帯である。ここでは雪の下は森林で、雪はその上を薄く覆っているだけ。例えば積雪量が仮に20mあったとしても、その下の10数mは森林帯だから爆破の対象にはならない。その下の雪も爆破しようとすれば、森林そのものを爆破しなければならなくなる。とんでもない環境破壊になる。2000mから上はハイマツ帯から岩石帯になり、3000m級になれば氷と岩だらけ。雪は風で吹き飛ばされて、積雪量は激減するからこの方法は全く意味を持たない。環境省の人は一度でもそういう状況を見たことがあるでしょうか?
2)尾根で落とされた雪は一時暗い谷に貯蔵される。その結果、蒸発散が妨げられ、春先での雪解けが遅れ、農業用水が確保出来る、というのが目玉だろう。尾根にあっても谷にあっても雪に変わりはないし、谷の方が融けにくいから残雪は長持ちする。だから水の利用効率が図れる。ウーン!何となくそんな気はするが、それで大丈夫でしょうか?一般に、風化の加減で地山の貯留係数は尾根の方が谷より大きいと考えられる。尾根の残雪量が減るということは、全体の降水量から地下に廻る分が減る・・・地下の貯留量が減少する・・・ということである。この状態が長く続けば尾根の地下水位は次第に低下し、樹木が立ち枯れを起こしかねない。その結果は大変な環境破壊に繋がる。
 大阪の古典大衆芸能に「人形振り」というのがある。一人が文楽の人形にふして客に向き合い、一人が背後で人形を操るのである。横で太夫が浄瑠璃を語る。この環境対策案を見たとき、なんとなく経済産業省が太夫で筋をかたり、国土交通省が背後の人形遣い、環境省がそれに操られて芝居をする「人形振り」を思い出してしまった。「人形振り」でも今は無き「三人奴」の様な名人なら、当に文楽を思い出させる名人芸だったが、どうも今回の三人芸は、下手な寄席芸人が余興でやるレベル。もっと勉強しろ、だ。
(08/06/25)

5、京都議定書は切り札になるか?
 環境問題となると直ぐに出てくるのが京都議定書。人によってはこれを環境問題の切り札のように云うが、本当にそうでしょうか?むしろ、これすら守れないようでは環境問題の解決など遠い夢物語。しかし、これも現実性があるでしょうか?京都議定書には大きく次の二点が問題と筆者は考えている。
1)その前のブラジル会議の決定を受け、持続ある成長を認めた。その結果、先進国には厳しい温室効果ガス排出規制を、逆に発展途上国に排出権を認めた。
2)先進国との妥協として排出権取引を認めた。

1)発展途上国の排出権
 温室効果ガス排出権は発展途上国の方に有利に働くことは誰でも判る。だから、京都会議時点での発展途上国は・・・その後の経済発展を無視して・・・、何処も発展途上国であることを辞めようとしない。みんな敢えて先進国になるより、発展途上国でいることの方が得だ、ということを知ってしまったのである。従って、いつまで経ってもこの問題は解決しない。問題は先進国と発展途上国の定義の仕方にある。京都議定書の発展途上国の定義はOECDの定義に従って、国民の年間平均所得が1000ドル未満ということである。ところで発展途上国の通貨は大抵がドルにリンクしている。ドルは機軸通貨の中では最も弱い通貨であり、しばしばアメリカ政府によりドル安方向に誘導される。ドルが下がれば発展途上国通貨も下がるから、先進国であるかどうかの定義をドル立てでやっていれば、この問題はいつまで経っても解決しない。従って必要なことは、先進国か発展途上国かの定義を思い切って変えることである。例えば次のようなものが考えられる。
 (1)債務国か債権国か。但し、これは債務と債権の差がプラスかマイナスか、という話ではない。債権が少しでもあれば債権国と見なす。
 (2)軍事費が国家予算或いは国内GDPの一定割合を超えた場合。
 (3)核兵器を保有しているか、又は保有する能力もしくは意図を持っている場合。
 上記の何れか一つに該当すれば先進国と見なし、温室効果ガス排出規制の義務を負わせる。
 これで行くと、中国・インド・パキスタンは明らかに先進国である。ベネズエラは豊富なオイルマネーを元に近隣に経済援助を行っているから先進国である。北朝鮮も核兵器の問題から先進国である。この様に筆者案で行けば、現在の京都議定書のような現実と建前との乖離はなくなる。
2)排出権取引
 一番わかりにくいのがこの排出権取引というヤツ。これで本当に温室効果ガスの排出が抑えられるでしょうか?バイオエタノールと同じで、経済屋が現実を無視し頭の中だけでモデルを作り、出来る出来ると騒いでいるだけではないでしょうか?例えば、先進国のA社が途上国のB社から排出権を取得したとする。B社の設備が改善目標に達するまで、A社は温室効果ガスを排出続ける。もし、目標に達した時、A社はどうするのか?又何処かの国から排出権を買って、温室効果ガスを排出し続けるのだ。又、B社が先進国から金だけ取って、途中で倒産したらどうなるのか?と言うようなことは単なる言いがかりで大した話ではない。一番の問題は先進国企業も、途上国企業も、温室効果ガス排出規制に真剣にならなくなることである。先進国側にとっては、云ってみれば金を出しているから責任は逃れているという安心感が得られる。途上国側にとっては、金が天から降って来るようなものである。例えば、先進国側の資金で設備改善を行うが、それで浮いた資金を新たな設備増強に使える。そこから又温室効果ガスが排出される。そのため、トータルとしての温室効果ガスは一向に減らないというケースだってあり得るのである。
 地球温暖化は純粋に物理的な問題である。温暖化対策は目標に向かって直線的に進められなければならない。ところが取引というのは市場経済システム上の概念である。市場経済と言うものは、取引される対象が恒久的に供給されるという前提(或いは幻想)に基づいている。ところが温暖化対策は、最終的には温室効果ガスの排出をゼロにしてしまうことが目標になる。いずれ無くなってしまうものに投資する馬鹿がこの世にいるでしょうか?このように排出権取引には、そもそも目的と手段が矛盾している。筆者がこの方法が多分うまくいかなくなるだろうと予測するのは、その所為である。
 しかし、素性の怪しいこの市場に投資する人は馬鹿ではありません。これをチャンスに一儲けを企てている秀才達です。ものを作らない市場に過大な資金が流入したとき、発生するのはバブルである。今の原油バブルが弾けた時、次に発生するのは炭素バブルだろう。つまり、排出権取引とはそもそもの温暖化防止の目的を外れ、単なる投機手段に変身してしまうおそれが非常に強いと考えられるのです。

 経産省が今後20年間でCO2を32%削減するのに、52兆円、1世帯当たり50万円の負担と試算。日本のCO2排出量は世界全体のたった4%。52兆円かけて減るのはたったの1.2%。殆ど貢献しないと云って良い。経産省のねらいは環境ブームに乗ってエコバブルを作ること。気が付いたら返ってCO2が増えていたりして。十分あり得ることです。あの役所の考えることなど底が割れている。(08/03/21)
 この風潮に乗って、今度は経団連のトイレ会長が、エコ商品への買い換えを提言。 見かけは経団連もCO2排出削減に協力しているように見えるが、実態は買い換え需要を作り出して(業界ではこれを需要創出という)、売り上げを増やそうという魂胆。では買い換えで出てきた中古商品はどうなるのか?再利用とかきれい事を並べるが、実際に再利用されるのは極一部。大部分は産廃(それも闇産廃)として投棄され、環境を破壊するのである。経済界はこれによって景気が良くなると主張するだろう。確かに見かけのGDPは上昇するかもしれない。しかし、実態はどうか?エコ商品の生産は中国やベトナムで行われる。儲けるのはメーカーや中間の商社・ブローカー、中国ベトナム企業だけ。かつての小渕・宮沢の経済刺激策も、肝心の日本メーカーが鉄鋼の生産を止めて自動車用薄板に転換しているのに、相変わらず80年代のやり方を踏襲したから失敗したのである。あれで儲けたの韓国と中国だけ。日本メーカーには何の恩恵も無かった。エコ消費も、結局は雇用拡大や給与の増加など、一般市民への恩恵は一切なく、経済格差はますます広がる。蟹工船状態は変わらないのだ。従って、エコ生活を送ろうとすれば、経産省や経団連の口車に乗らず
   @テレビはなるべく見ない。
   Aエアコンも必要最小限しかつけない。
   B冬は窓を閉め切り、夏は開けっ放しにしておく。この方が硫化水素に対しても安全。
 というように生活態度から改めなければならない。又、そうした方がトータルとしての省エネ効果が上がるのだ。なお、たかが経団連会長如きが、国民に対し居丈高にああしろこうしろと云うべきではない。下郎下がりおれだ。商売人という物は、カタギの国民に対しては頭を下げてお願いするのである。
(08/06/19)

4、あきれたトンデモ温暖化対策
 以前テレビを見ていると、NASAが募集している地球温暖化対策に対する技術提案が放送されていた。それらの概要を紹介しましょう
1)地球と太陽との中間軌道に鏡付き衛星を多数打ち上げ、それにより太陽からの放射熱を反射する。
2)大気圏高層に二酸化硫黄の微粒子を拡散し、それにより太陽熱を吸収する。いつぞやのピナツボ火山噴火後の一時的寒冷化にヒントを得たらしい。
3)大洋から海水を噴水状に巻き上げ、大気圏内に人工的に雲を作り、太陽熱をそれに吸収する。
 笑ってはいけません。これらはどれも、アメリカでは名のある物理学者が、真面目に考えて作ったプロポーザルなのです。これらに共通しているのは、驚くべき単純な線形思考である。地球はそもそも複雑系であり、何かインパクトが加わった場合、その影響は非線形的に伝播していくのである。
 まず、上記プロポーザルには、地球温暖化の元凶は太陽からの放射熱である、という前提があることだ。これ自身は正しいのだが、この熱は赤外線で伝達されると云うことを忘れている。赤外線は電磁波の一種である。上記のプロポーザルには、その赤外線を反射或いはカットするというアイデアしかない。太陽からは常時大量の電磁波が放出されているが、赤外線はその中の一つに過ぎない。地球の生命活動にとって、より重要な電磁波は光である。上記プロポーザルでは、赤外線と同時に光もカットされてしまう。光が減少したり、到達しなくなったりすればどうなるか?全体として薄暗い、夕方か夜のような状態になる。植物による光合成は弱化し、酸素の供給は少なくなる。地球は全体として酸素欠乏状態になる。むしろ二酸化炭素が増えるのだ。結果として、酸素を燃料として活発に動く生物(その代表が我々人類)は絶滅し、バクテリアや苔、菌糸のような微生物だけが生き延びる・・・ダンテが描く・・・地獄のような世界が生まれるのである。
 皆さん、このような世界を望みますか?そこで問題です。このような世界はかつて地球上に無かったのでしょうか?実は何度もそういう目にあっているのです。それどころか、数10万年後には地球は確実にそういう世界に突入します。それは、我々太陽系が属する銀河の中心から発生しているガス放出帯に、数10万年後には太陽系が突入するからです。こういうことを考えると、現在の地球温暖化問題など、コップの中の嵐。馬鹿馬鹿しくてやっていられなくなります。

3、自然エネルギー
 これに似たようなのが、風力発電を始めとする自然エネルギー利用理論である。これも又、まやかしの多い分野である。ある時、毎日新聞に「この間ヨーロッパに行ったら、風力発電の風車が立っていて、8年で採算が採れるそうだ。素晴らしい・・・」とノーテンキな感想。殆どの環境主義者はこのような楽観主義に汚染されているのではないでしょうか?
 そもそも、北海に面するドイツと、温帯モンスーン地帯にある日本を同列に論ずることが間違っている。自然エネルギー利用法には、風車文明と水車文明の2種類がある。ヨーロッパで風車が発達したことで有名なのは、スペイン、オランダである。スペインは元々乾燥地帯で雨が少ない。だから水車は発達しなかった。しかし太西洋からの季節風が吹き寄せるのでこれを利用した風車が発達した。オランダはライン河口に発達した農業地帯である。水は豊富だが、地形に起伏が無いため、水に落差が生じない。だから水エネルギーは利用したくても出来ない。一方北海からは強い季節風が吹き込んでくる。これを利用した風車が発達した。もう一つ、近世以後、オランダはスペインの植民地になったため、スペインから風車が持ち込まれた可能性もある。逆に水車が発達したのはイギリスとスイス、オーストリアである。イギリスは西及び北側をメキシコ湾流が流れるため、気候は温暖で強い季節風が吹かない。又、雨が多く水は豊富である。一方、そこそこ地形に起伏があるため、風車よりは水車が発達した。イギリスの風景で水車はあっても、風車を見たことがありますか?ヨーロッパアルプスを控えるスイス、オーストリアで、水車が発達した理由は言うまでもない。
 では日本はどうか?日本では古来より風車は発達せず、水車が発達してきた。これは日本が、ユーラシア大陸と太平洋との境界にある温帯モンスーン地帯にあるため雨が多いことと、険しい地形により水の落差を利用しやすい歴史的、自然環境的必然である。風車発電など、日本の自然環境、歴史民俗・文化を無視したケトウ猿まね行為の1典型に過ぎない。一度、日本でにょきにょきと出来た風力発電施設の中で、単独で採算を確保しているモノがどれだけあるのか、聞いてみたいものだ。殆どは事業単独では赤字、国や自治体の補助を受けてやっととんとんなのだ。これも太陽光発電と同じで、やっと採算が採れそうになったと思うと、設備が故障して作り替え、再び赤字転落が関の山。つまりメーカーを儲けさせているだけ。第一、風力発電設備を作るのに、どれだけ二酸化炭素を排出したり、森林を荒廃させているか、上に挙げたオバアサンは勘定したことがあるのでしょうか?
 日本で風力発電をやって採算が合うと考えられるのは、北海道から東北・北陸にかけての日本海沿岸、やはり北海道から東北、北関東、中部山岳地帯の標高1000m以上の山稜部しかない。このうち後者の大部分は国立公園地帯であり、事実上立地不能。強引に隙間を見つけて開発しようとしても、結果は莫大な環境破壊である。これら以外の地域での風力発電開発の多くは、経産省補助金を狙った怪しい事業。メーカー主導で、そこに議員や地元有力者が介在したペテン事業と云ってよい。補助金あるところ、疑惑あり。そしてその結果は何の利益ももたらさない環境破壊なのである。
 別に風力をやっていけないと言うのではない。風力で採算が合うところならやっても構わない。しかし、到底採算が合わない神戸や淡路島に風力施設を作ることが問題なのである。むしろ、日本なら水力を中心に考えるべきである。以前は山間部に行けば、渓流を利用した水車小屋に毛の生えたような、小規模水力発電所が幾らでも見られた。それがコイズミ構造カイカクですっかり姿を消してしまった。むしろこういう小規模水力発電施設を復活すべきである。1000〜2000Kwhレベルとすれば、1箇所で村一つ位の電力は十分まかなえる。建設費はせいぜい1〜2億。風力なら、ン億かかるタワー一基で、発電量はせいぜい400Kwh・・・・こんないい加減な風力発電に入れあげる風力オタクの頭の中は、スカスカカラッポで風が通っているのだろう。最近、関電と大阪ガスが共同で南港に太陽光発電所(面積20ha)を作る計画を発表したが、出力はたったの2500Kwh。 建設費にン100億はかかる。これに比べれば、小規模水力が如何に安上がりか、よく判るだろう。風力タワーのような巨大な構造物は不要だから環境負荷も低い。又、電力会社の負担は施設整備までとし、維持管理を地元の村に委託すれば新たな雇用を産み、限界集落対策にもなる。小規模水力開発で最も重要な点は、後背山地の保水力を如何に高めるかにある。従来の森林行政を見直すきっかけにもなるだろう。

最近、関西電力という関西ローカル電力会社が、南太平洋のツバルに太陽光発電施設を寄付しているというテレビコマーシャルを盛んに流している。関電という会社はただの電気屋で馬鹿の集まりだから、まあこういうことやらかす可能性も無いとは云えないが、読者は関電のやっていることが、如何に本末転倒でナンセンスの塊ということは判っていると思います。当たり前ですが、ツバルに太陽光発電装置を設置したところで、温室効果ガスは減らないし、仮に温暖化で海水面が上昇するとしても、これを防ぐには何の役にも立ちません。ツバルに寄付するなら海水の淡水化装置とか、家屋の嵩上げとか実戦的なものにすべきでしょう。又、太陽光発電装置の寄付は、当たり前ですが温室効果ガス大量発生地域を対象にすべきです。その程度のことが判らない連中が温暖化防止、防止と叫んでいるのです。しかも、その陰でこの会社は舞鶴で石炭火力を運転しているのです。おまけに神戸製鋼の灘浜石炭火力から買電している。云うことと、やることが全く一致しない。動機は自己の売名とアリバイ造りだけです。これでは、温暖化防止など出来るはずがないでしょう。

2、バイオ燃料は地球温暖化の救い手になるか?
 ブッシュがいきなり地球温暖化防止とバイオ燃料の採用を言い出して、世界中の農産物市場が大混乱。ブッシュの本音が温暖化対策ではないのは顕か。イラク戦争が泥沼化し、その間にロシア・ベネズエラなどの新興産油国が力を持ち出した。OPEC主導の石油市場を牽制し、世界エネルギー市場の主導権をアメリカに取り戻すことが狙い。アメリカもなめられたものだが、原油価格が低下すれば、又元に戻るのは当たり前。そのために、世界中の農産物が値上がりし、飢餓が世界中に広がろうと、アメリカはしったことじゃないというのが本音なのだ。
 さて、このバイオ燃料理論には、そもそも始めから怪しい前提がある。それはバイオ燃料が排出した二酸化炭素を、再生した植物がそっくり吸収するというまやかしである。そんな上手い話があると思いますか?あるエネルギーE0が別のエネルギーE1に転換するときには、必ずロスが発生する。E1/E0が効率である。効率が1.0という機械は理論上も実際上も存在し得ない。ところが、このバイオ燃料理論は、エネルギー転換効率が1.0になるというまか不思議な前提(という決めつけ)から出発しているのである。まずバイオ原料をエタノールに転換するには、発酵という過程を通らなければならない。この過程で熱と二酸化炭素が発生する。酒やビールを醸造しているところを見ればよく判る。原料野菜を採取しても、その全てが燃料原料になるわけではない。この過程で又ロス(廃棄物)が生じる。廃棄物は焼却するか、肥料として土に戻す必要が生じる。焼却すれば勿論のこと、肥料になるためにもバクテリアによる分解が必要である。ここでも二酸化炭素が発生する。植物による炭酸同化作用では、物質不滅の原理により、その前後で二酸化炭素量は変化しない。つまり、ある植物が二酸化炭素を吸収したところで、その植物が死滅(バイオ燃料化による人工的死滅もあれば、枯死のような自然死もある)すれば、吸収した二酸化炭素は・・・形を変えて・・・そっくり排出される。一方バイオ燃料は植物エネルギーの一部しかエネルギーに転換出来ない(エネルギー転換効率<1.0故)から、ガソリンへの添加率を一定にすれば、燃料を確保するためには原料をどんどん増やしていかなければならない。従って、バイオ燃料化によって二酸化炭素は蓄積されることになる。逆にバイオ燃料製造過程での二酸化炭素排出量を植物による吸収量以下に抑えようとすれば、ガソリンへの添加量を下げて行かなければならないから、バイオ燃料理論はいずれ破綻するのである。
 更に問題は、バイオ燃料化による森林伐採、特に熱帯雨林の伐採である。後者は既にアマゾンで始まっており、現在はインドネシア、さらには他の東南アジアやアフリカに及ぶだろう。熱帯雨林を伐採すれば、その環境回復には数10年を要する。一方燃料としての消費はあっと言うまである。この間のバイオ燃料補給を確保しようとすれば、次々と伐採・開発を継続しなければならない。その間にも二酸化炭素は蓄積されるのである。
 更に続く問題は、森林が回復するまでの環境破壊である。森林が伐採され草地やトウモロコシ畑になったとき、豪雨がくれば、これらの植物は森林に比べ保水能力が低いから、表土浸食が生じ、数年から10数年後には荒れ地となって、いずれ砂漠化するだろう。砂漠化した大地をもとに戻すには、莫大なエネルギーの集中が必要になる。これが又、二酸化炭素の増大・蓄積をもたらすのである。ドイツのシュワルツヴァルト森は三十年戦争による荒廃と、産業革命による木炭需要のため19世紀初頭には殆ど禿げ山状態になっていた。これが現在のような森林に復元されたのは、ドイツ第二帝国と第三帝国による森林回復事業によるものである。ナチは環境事業で大変な貢献をしていたわけだ。六甲山は港町神戸のシンボルで、みんな六甲山は昔からの森林地帯と思っているに違いない。とんでもない、六甲は一時禿げ山状態になったのである。幕末、オランダより堆肥農法という農法が輸入された。その原料は森林に蓄積された腐葉土である。そこで農民はみんな山中に入って腐葉土を持ち去った。その結果、土地の養分が減少し、木が立ち枯れを起こし、それは更に落ち葉を減らして土地の保水能力を減らしてしまった。明治37年当時には六甲山は殆ど禿げ山となり、明治末に大災害を起こし、それ以降数10 年に及ぶ植林治山事業が始まったのである。ドイツも神戸もみんな人工造林なのだ。それに費やすエネルギーを考えると、バイオ燃料が二酸化炭素の軽減に寄与することはあり得ない。これもブッシュとカーギルなどの食料資本との野合の産物に過ぎない。

 この問題について、小池百合子がバイオ燃料反対論を展開。筆者はこのオンナは大嫌いなのだが、妙なところで意見が一致してしまった。迷惑千万。(08/03/11)

1、地球温暖化で生物は死滅するか?
 昨年ゴアが「不都合な真実」という著作でノーベル賞を取って以来、世の中は地球温暖化と、その果てにあるこの世の破滅というイメージが定着しつつあります。本当でしょうか?これは現象のある一面を、無責任に拡大して作り上げられた一つのおとぎ話である。かといって地球温暖化がないと云うのではない。
 かつて京都議定書を無視したブッシュが、昨年になって急に環境派になって、云うことやることが変わって来ている。尤もあの猿並みに頭の悪いブッシュのことだから、やることがピント外れで方向違い。バイオエタノールなんて環境破壊の元凶を始めるのだから全く話しが判っていない。そもそも、環境問題に冷淡だった米議会を動かしたのは、NASAにいたハンセンという物理学者の議会証言である。彼はこの議会証言で@温室効果ガスが濃密になると、金星のように地球表面はドロドロに溶ける、A海水面が上昇し、地球の大部分は海面下に没する、B多くの生物が絶滅する、などの自説を述べた。これを受けたのかどうか知らないが、「地球は破滅する」、「地球は病んでいる、苦しんでいる」、「地球を救わなくては」、等々連日マスコミ特にテレビメデイアで発せられるのは、この手の感情的かつ安直なフレーズである。このようなフレーズを作った人たちがどれだけ地球を理解しているのか、はなはだ疑わしい。地球史を見ると明らかなのだが、地球は過去に何度も遙かに過酷な状態を経験している。ある時は全球凍結という極寒だったり、ある時は夏冬の区別もない位猛暑の時代もあった。数10億年前までの地球大気は当に温室効果ガスの塊だった。それで地球は破滅したり壊れたりしただろうか?今考えられている100年で数度や10数度の温暖化など、地球全史における環境変化に比べれば取るに足らないものである。問題はこの変化に対し、人類が理性的に対応出来るかどうかなのである。つまり、地球温暖化とは地球の問題ではなく、人類特に先進国と称する消費文明国の問題に過ぎない。

1、ハンセンの主張1・・・・・温室効果ガスの蓄積が継続すれば、地球もいずれ金星と同じような灼熱惑星になる。
 DrハンセンはNASAが送り込んだ金星探査船マゼランによる映像を見て、灼熱の金星表面が濃密な温室効果ガス(二酸化炭素、メタン等)によるものと考えた。地球でも温室効果ガスが蓄積すれば、いずれ金星と同じようになるだろう、と。惑星表面が高温化するためは、温室効果ガスも必要だが、それ以上に熱源が必要である。熱源として考えられるものは太陽輻射熱と惑星内部からの熱放射である。
1)太陽輻射熱
 金星の太陽輻射熱量は地球の約1.91倍である。これでは地球より暑くなって当たり前。
2)内部放射
 金星は同じ岩石惑星である火星と違って、今も活発な火山活動が続いている。地震(金震というべきか?)も観測されている。つまり内部の熱量は十分あり、これが表面に伝達されていると考えられる。
 金星の現状は温暖化の結果ではなく、そもそもそういう環境下にあったというべきである。従って、Drハンセンは原因と結果を取り違えていると思われる。現在の地球の熱環境を見ると、幾ら温室効果ガスが蓄積しても金星のようになるとは考えられない。何故なら、地球には金星にない水や植物があるからである。又、主な温室効果ガス排出源である人類の生産活動にも限界がある。石油を始めとする化石資源の埋蔵量に限界があるなら、生産活動にも限界があり、必然的に温室効果ガスの排出も頭打ちになるのだ。尤も、それまで人類がまともに生きていられるかどうかは別問題だが。
 
2、ハンセンの主張2・・・・温暖化で地球の大部分は水没するか?
 これはノアの箱船の話に似ていて、キリスト教原理主義者であるブッシュなど、これにコロリと騙されたのだろう。無論、ハンセンもその効果を狙っていたフシはあるが現実にはあり得ない。水面が数m程度は上昇して、その結果太平洋地域のある国や海岸沿いの低地帯が広く広がる国には大きな影響を与えるだろうが、地球全体で影響を受けるのは全陸地面積の数%に過ぎない。

 しばしばテレビで繰り返し放映されるのは、氷河の末端が崩壊し、氷が海になだれ落ちるシーンである。何も知らない人は、これを温暖化の所為と思うかもしれない。しかし、そんな事はない。このような氷河末端での崩壊は、何100万年以上も昔から繰り返し行われてきたことなのである。


 この問題を考えるには、まず何故氷河が出来るかを理解する必要がある。氷河の素は雪である。何故雪がふるか?それは大気と海水との温度差が原因である。熱は高い方から低い方へ移動する。例えば冬の日本海を例に取ると、氷河期で気温が低下すると、大陸からやってくるシベリア寒気団などは十分冷えているが、海はそれほど冷えていない。寒気団が上空を通過すると、暖かい海面から冷たい上空寒気団へ熱が移動する。それにつれて、海水面付近の湿った空気が上空に移動する。この空気は海の水分を十分に含んでいる。これが東北や北関東の脊梁山脈(これをハイリョウサンミャクと読んだ国土交通大臣がいましたが、皆さんはそんなことはないでしょうねえ)に衝突し、大量の雪を降らす。気候が温暖化になって降雪量と融雪量のバランスがとれておれば何の問題もありません。しかし氷河期ではそんなことは起こらない。雪が融けない、従って雪が幾らでも溜まる。これが自重で圧密し固結し、個体になったものが氷河なのだ。これが4万年前から2万年間続いて、とうとう海水面は現在から200mほど下がってしまった。それがその後の2万年間で、大体今の水準に戻ったのである。と言うことは、2万年前の氷河の量がどれほどすさまじかったか、よく判ると思う。
 では温暖化するとどうなるかというと、これとそっくり逆の現象が起こる。大気と海水温との温度差が少なくなるから、寒気団に持って行かれる水分量が減り、降雪量がすくなくなる。又、夏期の融雪量が増えるので、氷河は後退し、海水面は上昇する。2万年間の温暖化で、大陸を覆っていた氷河の大部分は融解し、200mも水位が回復してしまった。今地球表面に残っているのは、2 万年前の氷河の極一部分に過ぎないのである。

3、ハンセンの主張3・・・・気候変動は生物の死をもたらす
 これは、言葉通りなら正しいが、気候変動を温暖化に結びつけた場合誤りである。生物が自律的に活発に活動を始めたカンブリア紀(約6.5億年前)以降、大きな生物絶滅事件は5回あった。その内特に規模の大きかったものが、古生代ペルム紀末から中生代トリアス紀に起こった生物絶滅(いわゆるP/T事件)、中生代白亜紀末から古代三紀にかけて起こった生物絶滅(いわゆるC/T事件)である。ところでこれらの大規模生物絶滅が起こったのは、みんな急速な寒冷化期である。その後、気候が温暖化に向かえば、生物は爆発的に勢力を回復し、様々な新しい生物種が生まれ新しい時代を作っていった。我々人類の例で云えば、今から約4万年前に始まったウルム氷河期で、それまで棲んでいた旧人はあらかた絶滅した。この氷河期は2万年前当たりから急速に温暖化し、1万年前に我々現代人の直接の祖先である新人が現れ、最も気温が高くなった6000年前には4大文明を始めとする人類文明が現れたのである。その後、人類個体数は爆発的に増加した。現代の気候はこの延長であり、温度もこの当時から少し低下したに過ぎない。
 これまでの地球史から言えることは、温暖化は生物の活動を活発化させ、多様化を増進させる、ということだ。但し、人類にとって活発化してほしくない生物もいる。それは極北地方や高山地方の永久凍土中で眠っているバクテリアなどの細菌類、或いは未知のウイルスである。しかし彼らだって生物には違いない。従って、Drハンセンの云う「気候変動が生物の死をもたらす」というのは正しくない。よくメデイアでは、ある場所での生き物がいなくなり、新しい生き物が増えてきたという事件が報道される。これこそ温暖化による生物絶滅の証拠と云わんばかりである。しかし、これは気候変動により生物種が、その生存コロニーを移動させているに過ぎない。現在の日本近海での珊瑚の自生は、沖縄本島当たりが北限であるが、1500万年前の中新世には東京湾の当たりまでコロニーがあった。それがその後の寒冷化で、沖縄まで移動したに過ぎないのである。現在日本近海での天然河豚の北限は東シナ海だが、縄文時代には津軽海峡まで河豚が捕れた。それは三内丸山遺跡から大量の河豚の骨が出土していることから証明される。このまま温暖化が続けば、河豚は今のような高級魚ではなくて、サンマ並みの大衆魚になるかもしれません。無論珊瑚のコロニーが伊豆や紀伊半島に出現するかもしれない。しかしそれで吃驚してはならない。こんなこと地球数10億年の歴史の中では、ほんの誤差の範囲に過ぎないのである。



RETURN 
一覧へ
TOPへ