arisa
2009年09月05日(土) 10時28分56秒

感覚の鈍磨

テーマ:モラハラって?

あるモラハラのBBSに入ったメッセージ。


「昨夜、夫に胸ぐらをつかまれ揺さぶられ、

近所の姉を呼んでくるよう娘に頼んだら

娘は、ひっくり倒され、失神。

今朝は寝ぼけた夫が私の首を絞めています。

これって、DVですか?


暴力だよ!

身体的DVだよ!

モラハラBBSに書き込んでる場合じゃないよ!!


『命大事。逃げろ』と書き込んだけれど、

気が付いたかなぁ。。。。


首絞められるなんて、誰が見たって、異常なことだ。

娘さんは、突き倒されて失神?

どれだけの力で突き倒されたのだろう?

打ち所が悪ければ、死んでいる可能性もある。


なのに、「これはDVですか?」


モラハラもそうだけど、

人にはなかなか伝わりにくいけど、

おかしなことを「おかしい」と言えなくなるのがDVの恐ろしい所


別居して1年半。

私も今頃になって、当時の小さなエピソードを思い出しては、

なんであのオカシサに気が付かなかったんだろう?

と、首をひねってしまうことがある。


「家庭は戦場。生き残るためには、なんでもする。

そして、家庭以外の生きる場所は私にはない」


そう思い込まされてしまう。

そして行き着くところは、上の彼女のように

暴力を暴力と感じられなくなってしまう、感覚の鈍磨。


私もモラハラという言葉に出会って、

あまりにも当てはまり、それでも疑心暗鬼で

DVのセンターへ行き、朦朧としながら聞いたのだ。


「私の受けているのは、モラハラですか?」


この1年半、実家で、母と確執、父と確執しながらも、

おさんどんの全てをこなし、私を休ませてくれた両親。


今でも「どちらとの生活がいいか?」と考えてしまうこともしばしば。


でも、今だからこそ、はっきり言えること。


「私は、精神的DV(モラハラ)に遭っていました。」と。


どんな形にしろ暴力を受けた傷のひとつが、この「感覚の鈍磨」


「自分の存在の危機のセンサーの狂い」が治らない限り、

他の傷も治ってはいかないだろう。


なぜなら、

「自分の身を守る」という生きていく上での

根本的本能が崩されてしまっているのだから。


自分治しの旅は、まだ先が長い。


ゆっくりと行こう。

同じテーマの最新記事
2009年09月04日(金) 19時52分00秒

コントロール

テーマ:モラハラって?

『俺をコントロールしようとするな!』

『それは、私をコントロールしようとしていることよ!』


上は、モラ夫、下はモラ母の言葉です。

両方とも、口論となり相手を追い詰めたときに出てきた言葉です。


モラ夫に言われた時は『DV』も『モラルハラスメント』も知らない時のことでした。

『へっ?なんのこと???』っていう感じでした。

単に、モラ夫が言っていることが間違っていると感じたので、

それを順序立てて説明し、『間違っているよ』と説得している時のことです。

コミュニケーションの方法としては、当たり前のことだと感じていました。

けれども、それが『コントロールするな!』という言葉で帰ってくるとは、

思ってもないことでした。

でもやはり、『説得』しようとはしていたので、

『コントロール』なのかな?と少しドキッとしました。



母に言われた時は、すでに『DV』とは、『モラハラ』とは、

どういうもので、どういう心理状況に陥るものか、学んでいました。

『やっぱり、そうか』と感じました。


この『コントロールするな!』という言葉を発する人はどういう人なのか、

皆さんはわかりますか?


はい、その通り。

『コントロールする方法を知っている人』の言葉なんです。

・・・というか、そういう人の言葉と思います。


言葉どおりに取っていれば、

コミュニケーションのボールは、

行ったり来たり、そのまま素直に直球で帰ってきます。

ところが、彼らは、『コントロールするな!』と

コミュニケーションを遮断して、防御の姿勢をとりました。


すでに知っているんです。

コントロールされることを。コントロールすることを。


そして、私も今では知っています。

どうすれば、コントロールすることができるかを。


母から、夫から学んでしまっているのです。


こうやって、暴力は世代を超えて、引き継がれていくのです。


だから、知ってしまった今は。。。。

気持ちの余裕が必要なんです。

優しさを保つために。

暴力をふるわないようにするために。


この恐ろしさ、わかってもらえますか?



2009年09月04日(金) 12時24分36秒

習慣性??

テーマ:病気の事

相変わらず、モラ夫の事柄を記事に出来ずにいるarisaです。

当時を思い出したり、当時の事柄に似ている状況にぶつかるなどすると

とたんに落ちますダウン


かと思うと、無性に腹が立って、

その怒りをどこかにぶつけたくなります。

でも、ぶつける場所も方法もないので

我慢をしていると、さらに落ちますダウン


その時にほんの少し、怒りを外に出して、それが受け入れられると

とたんに元気なります。

そして、頑張りすぎて、力果てます。

そして、すぐに嫌な経験が頭をかすめ、また、落ちるのです。


その繰り返しです。


************************************


現在、私は「ウツ病」です。


でも、正確の病名は聞いていません。

でも、正式の病名が『ウツ病』でないことは、わかっています。


精神医学的に本当に『ウツ病』と呼べるのは、『大うつ病』という病名で

『脳内のセロトニン』の分泌が、少なくなってしまったために起こる病気です。

・・・というか、現在はそう考えられています。

原因はあくまで、『セロトニン分泌の減少による』ので

その中には『心因』、つまり悩みやストレスで発症する病気ではないわけです。

とくに原因がなく、起こるのが本当の『ウツ病』です。


心因性で抑うつ状態になる場合には、なんと呼ばれるのか?

よくわかりません(爆)

少なくとも離婚裁判に提出されている診断書には、

『神経症的抑うつ状態』という

病名にもなっていない病名が書かれています。


医師からは、

『あなたの場合、薬は、手助けにはなるけど病気を治すものではない』

と言われています。


でも、出されているお薬は、ウツ病と同じSSRIです。


だから、「ウツ病」と言っていいんじゃないかって、思っています。



フッと、私の病気は、糖尿病を代表とする『生活習慣病』と同じじゃない?って、思いました。


色々なこと、我慢させられていました。

生きていくうえで、我慢が必要となることがあることは、もちろんわかっています。

でもその我慢は、自己否定を強いられる我慢ではないはずです。

しかもその我慢が、慢性的に積み重なって、無症状のままキャパシティを超えちゃったら?


それって、生活習慣からくる糖尿病Ⅱ型と同じじゃない?

糖尿病は、膵臓がインシュリンを作れなくなってしまった。

私は、セロトニンを作れなくなってしまった??


先は長いなぁ。。。って感じてしまう、

やっぱり『病気』です。私。。。



powered by Ameba by CyberAgent