感覚の鈍磨
テーマ:モラハラって?あるモラハラのBBSに入ったメッセージ。
「昨夜、夫に胸ぐらをつかまれ揺さぶられ、
近所の姉を呼んでくるよう娘に頼んだら
娘は、ひっくり倒され、失神。
今朝は寝ぼけた夫が私の首を絞めています。
これって、DVですか?」
暴力だよ!
身体的DVだよ!
モラハラBBSに書き込んでる場合じゃないよ!!
『命大事。逃げろ』と書き込んだけれど、
気が付いたかなぁ。。。。
首絞められるなんて、誰が見たって、異常なことだ。
娘さんは、突き倒されて失神?
どれだけの力で突き倒されたのだろう?
打ち所が悪ければ、死んでいる可能性もある。
なのに、「これはDVですか?」
モラハラもそうだけど、
人にはなかなか伝わりにくいけど、
おかしなことを「おかしい」と言えなくなるのがDVの恐ろしい所。
別居して1年半。
私も今頃になって、当時の小さなエピソードを思い出しては、
なんであのオカシサに気が付かなかったんだろう?
と、首をひねってしまうことがある。
「家庭は戦場。生き残るためには、なんでもする。
そして、家庭以外の生きる場所は私にはない」
そう思い込まされてしまう。
そして行き着くところは、上の彼女のように
暴力を暴力と感じられなくなってしまう、感覚の鈍磨。
私もモラハラという言葉に出会って、
あまりにも当てはまり、それでも疑心暗鬼で
DVのセンターへ行き、朦朧としながら聞いたのだ。
「私の受けているのは、モラハラですか?」
この1年半、実家で、母と確執、父と確執しながらも、
おさんどんの全てをこなし、私を休ませてくれた両親。
今でも「どちらとの生活がいいか?」と考えてしまうこともしばしば。
でも、今だからこそ、はっきり言えること。
「私は、精神的DV(モラハラ)に遭っていました。」と。
どんな形にしろ暴力を受けた傷のひとつが、この「感覚の鈍磨」
「自分の存在の危機のセンサーの狂い」が治らない限り、
他の傷も治ってはいかないだろう。
なぜなら、
「自分の身を守る」という生きていく上での
根本的本能が崩されてしまっているのだから。
自分治しの旅は、まだ先が長い。
ゆっくりと行こう。
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