ルポ アメリカ陪審制度
《1》伝統 市民の決定 信頼厚く
12人の真剣なまなざしが質疑を交わす証人と弁護士、検察官の間を慌ただしく行き来する。人種も性別も年齢もさまざまな陪審員が証人の表情を食い入るように見つめ、メモを取る。
1月中旬、最低気温が氷点下20度を下回る厳寒のイリノイ州シカゴ。クック郡刑事裁判所602号法廷で初めて陪審裁判を傍聴した。ギャングが絡んだ殺人事件の公判。若い黒人の男性被告は無罪を主張し、拳銃の鑑定人や警察官の尋問が行われていた。
尋問が終わり、陪審員が退廷しようとすると、裁判官を除く人たちが一斉に立った。陪審員が入退廷する度に起立して敬意を表すのだという。
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「あなたたちは事件の関係者ですか」。審理が一段落すると、突然、裁判官席のスタンリー・サックス判事から声をかけられた。鋭い目つきに高い鼻、映画で見るような威厳たっぷりの裁判官。日本から陪審制度を学びに来たと伝えると、奥の裁判官室に招かれた。
「日本に陪審制度はないのか」「裁判官は何人で判断するのか」。サックス判事は日本の裁判にも興味津々の様子。
5月にスタートする日本の裁判員制度は刑事裁判で市民と裁判官が一緒に判決を決めるが、「素人に人を裁くのは無理」と考える人も少なくない。米国の陪審制度では有罪・無罪は市民だけで決める。そのことを米国の判事はどう思っているのか。サックス判事に尋ねると、こう言い切った。
「陪審員の結論と私の考えが違うこともあります。でも私の方が正しいとは思わない。ここで求められているのは陪審員の判断であり、私もそれを信頼しているから」
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「陪審制度は大昔に生まれた。判事が身勝手な青年を独断で絞首刑にしないようにな!」。陪審員の選任で、つまらない理由を挙げて辞退を申し出る若者を裁判官が一喝する。陪審裁判の裏側を描いた米国の映画「ニューオーリンズ・トライアル」の一場面だ。
米国の陪審制度誕生は18世紀の建国以前にさかのぼる。植民地時代には本国・英国側から任命される裁判官の横暴を防ぐ役割もあったという。民主主義を支える重要な制度として現代に根付く。
「陪審は憲法で保障された市民の権利。廃止の世論が盛り上がったことは一度もない」。アメリカン大学ワシントンロースクールのロバート・バーン教授が言う。今回の旅で会った数十人の司法関係者も、「市民は感情に流されすぎる」などと課題は指摘しても、「陪審制度の廃止」を口にすることはなかった。
北イリノイ地区連邦裁判所(シカゴ)のジェームス・ホルダーマン所長に、裁判員制度では評議に裁判官が加わることを知らせると、「裁判官は法律の顧問として振る舞い、事実認定は市民の意見を尊重すべきだ。裁判官が市民に意見を押し付ければ制度の利益は失われると思う」と強調した。200年以上にもわたる歴史で培われた市民への信頼。その厚みを感じた。
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裁判員制度の開始が間近に迫っているが、国民の参加意識は盛り上がらず、課題も少なくない。陪審の国、米国では市民の司法参加が抱える問題とどう向き合っているのか。米国の司法制度を学ぶ国務省の交流プログラムに参加した記者が実情を報告する。(東京報道部・伊藤完司)
<メモ>
米国の司法制度 民事・刑事両方の裁判で陪審制度を採用。制度は州によっても異なるが、刑事裁判では選挙人名簿などから選ばれた通常?人の市民が有罪・無罪を決める。量刑は裁判官が決め、死刑判断は陪審に委ねる州が多い。被告は裁判官による裁判も選択できる。被告の9割前後は司法取引で裁判を経ることなく罪が確定するという。日本の裁判員制度は刑事裁判で実施。殺人罪などの対象事件について原則として裁判官3人と市民6人が有罪・無罪から量刑までを決める。
=2009/03/02付 西日本新聞朝刊=