裁きのあと 刑罰を考える
《3》償い 死刑でも癒やされぬ心
「遺族が加害者に求めるのは刑でも罰でもない。償いなんです」。6月18日、京都市の同志社大学。裁判員制度が始まったのを機に人を罰する意味を考えようというシンポジウムに招かれた愛知県春日井市の原田正治さん(62)は、学生たちに語りかけた。
1983年1月、運送会社に勤めていた弟=当時(30)=のトラックが京都府内で河原に転落した。当初は事故死と判断されたが、翌年5月、弟に2000万円の保険金をかけて殺害したとして、勤務先の社長と同僚が逮捕された。
社長は母親に「(弟に)貸した金を返してほしい」とうそをついて数百万円をだまし取ってもいた。
原田さんは怒りが収まらず、法廷で「極刑しかない」と訴えた。社長は共犯者とほかにも2人を殺していた。一、二審とも判決は死刑。社長は上告した。
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ある日、拘置中の社長から手紙が届いた。それまでにも100通を超す手紙が来て読まずに破り捨てていたが、たまたま読んだこの手紙に「(弟の)墓参りに代理の者を行かせてほしい」と書いてあった。
会って怒りをぶつけてやると意を決し、拘置所に向かった。社長は面会室に姿を現すと感謝し、両手をついて「ごめんなさい」と謝罪した。憎しみは消えなかったが、話すうちに「もう一度面会したい。ずっと謝罪を続けてほしい」と思うようになった。上告は棄却され、最高裁で死刑確定後も3回面会した。2001年には法務大臣に死刑の執行停止も求めた。
「生きて罪を償うことを切にお望みくださった正治様には、ご期待にこたえることができなくて申し訳ありません」。同年末に死刑になった社長は、原田さんに遺書を残していた。
原田さんは遺族が極刑を望むのは間違っていないと考える。死刑の廃止論者でもない。ただ「社長が死刑になり、怒りをぶつける対象を失った」と感じた。
被害者と加害者の距離を縮め、本当の癒やしを考えたい-。原田さんは07年に「OCEAN 被害者と加害者との出会いを考える会」をつくった。
シンポではこう訴えた。「被害者の感情にもいろいろある。裁判官や裁判員は『遺族が望むのは厳罰』と型にはめて裁くのだけはやめてほしい」
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福岡市のエステ店で04年5月、石材会社を営む息子=当時(44)=を中国人留学生に殺害された佐藤泰彦さん(74)=長崎県長与町=は、中国で捕まった男の死刑回避を求め、中国の裁判所に嘆願書を出した。
当初は死刑を望んでいたが、男の初公判が1カ月後に迫った時、妻と「優しかった息子は死刑を望むだろうか」と話し合った。
悩んだ末の結論が「死刑になっても息子は帰らない。彼が死刑になれば、彼の両親も悲しむ」だった。
判決は死刑を回避した。男は十数年後に社会に戻る可能性がある。佐藤さんにとっての償いは、男の「親孝行」という。
=2009/07/08付 西日本新聞朝刊=
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