裁きのあと 刑罰を考える
《1》矯正 生きて償う意味知る 命日に遺族へ謝罪文
14枚の便せんに鉛筆でびっしりと書かれていた。「死刑にならずに生きていることに申し訳なく思う」「どこまでいっても償えない罪をしっかり背負って生きていくしかありません」。反省と遺族に対する謝罪の言葉が何度も出てくる。
差出人は岡山刑務所に服役中の男性受刑者(40)。裁判の過程で知り合った弁護人関係者の友との往復書簡はファイル3冊分に上る。
名古屋アベック殺人事件―。男性は暴力団事務所に出入りしていた1988年2月、仲間5人と名古屋市内の公園で、車でデート中の男女を遊び金欲しさに襲った。車を壊し、車外に引きずり出し、鉄パイプや木刀で殴打。仲間は女性を強姦(ごうかん)した。さらに保身のため、命ごいする2人を車で連れ回してロープで絞殺、山中に捨てた。
19歳の未成年だったが主犯だった。このときは真の反省もなかった。一審の名古屋地裁は「少年に対する極刑適用は慎重であるべきことを考慮しても死刑以外にない」と、死刑判決を言い渡した。
死と直面し、控訴審では自暴自棄になりかけた。だが、面会に来た母親に「あなたが頑張れないというなら、あなたより先に死なせてもらう」と言われ、初めて生きて償うことの意味に気付いたという。
96年12月、名古屋高裁は「矯正可能性がある」として無期懲役に減刑、確定した。
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友への手紙によると、今は刑務所内でトラクターや自動車などの部品を加工する機械作業に従事している。毎年、被害者2人の命日を前に作業報奨金から出した数万円と謝罪文を遺族に送っている。「憎まれても、怒られても、自分の一生をかけてご遺族と向き合う努力をしていく」
死刑を強く望んでいた被害者側にも心の変化が訪れたのは、事件から17年もたった後だった。
2005年3月、男性のもとに被害女性の父親(74)から初めて送金に対する手紙が届いた。翌年12月には「大変だなと思いますが、罪は罪として向き合うよう願っています」とも書かれていた。
被害男性の遺族からの返信はないが、手紙を受け取ってもらえていることは分かっている。
無期懲役について「まるで出口の見えないトンネル」と友に書いたこともある男性だが「罪を償う時間を与えられたことに感謝し、明日からもがんばりたい」と誓う。
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返事を書いた被害女性の父親は、名古屋市近郊のアパートで一人で暮らしている。長い年月はたっても、娘を残酷な手段で奪われた悲しみは消えるはずもなく、男性への思いは複雑だ。
「千枚通しで刺し殺そうと思ったこともある」「許したわけではない」。怒りに声を震わせたかと思えば「あいつも刑務所できつい生活をしている」「分からないわけではない」。
「それにな」と父親は言った。「あいつもいずれ社会に出てくる。改心してもらわんと困る」
矯正可能性を否定した一審、肯定した二審。どちらが正しかったのか。今は父親にも分からない。
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裁判員裁判では市民も刑事事件の審理に加わる。裁きの後も、被告や被害者、遺族に、それぞれの時間と試練が待ち受ける。受刑者や遺族、更生に携わる人たちを通じて罪と罰を考える。
▼無期懲役
法務省によると、受刑者は2007年末時点で1670人。法律上は10年をすぎて改悛(かいしゅん)の情が認められれば仮釈放の対象になるが、07年に新規に仮釈放になったのは1人だけ。厳罰化を背景に、ここ数年は仮釈放までの平均服役期間が25~30年に長期化している。1998年からの10年で無期懲役の受刑者120人が仮釈放されずに死亡しており、結果的に「終身刑」となるケースも少なくない。
=2009/07/06付 西日本新聞朝刊=
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