冬の海と友達。 

February 03 [Thu], 2005, 11:27
誘われて夜中、友達4人で海に行くことになった。

初め『海』と聞いて、一瞬身体が引きつった。
海が大好きだったあの人の夢を見たばかりだった。
あまりにタイミングがよくて驚いたと同時に怖かった。

“ウミンチュウ”と言われるほど、海が大好き。
でも、昨年の事件があってから、そこへは行ってない。
色々重なって、肝心のけじめがついてないまま日を過ごしていた。
どこかで避けていたのかもしれない。

何故行く気になったのかわからない。
不思議と無性に行きたくなった。

久々の再会の子もいて、とても嬉しい反面、別に複雑な思いがあって、
いつも通りのテンションで接する事ができてなかったかもしれない。

何度も変だと指摘される。
静かにいると、天然になるらしい。
失礼な。(笑)
そんなこんなありながら、のんびり移動。
目的地へ近づく程、なんとも言えない思いが湧きあがる。
道がすいてたので、予定より早く到着。

まるで私の中まで突き刺さってくるかのような、
針のような風を全身に浴びながら歩いて。
海岸へ近づくほどに、チクチクと感じる痛みが増し、
周りに聞こえるんじゃないかという位、心臓がバクバクする。

嫌でも敏感に反応する身体。
一生懸命平静を装った。それが精一杯だった。
海が見えてきた時、緊張が極限になる。
・・・なんか耳鳴りが酷い。
同時に、一面に開けた空と輝く星々に「わぁ。」
思わず声がもれる。

きれい。
何て開放感なんだろう。
とても気持ちいい。

海辺ではしゃぐ友人達を静かに見守るように、
際限ない広さの漆黒の空と輝く銀の星々は静かに佇む。

海が直視できなかった私は、ただただ、空を見上げる。
ただあるその存在が、私の中の何かを刺激する。
静かに涙が溢れ出る。視界が滲んで前が見えない。
海が、友達が滲み、形を成さない。
自分がよくわからなかった。

メンテナンス。 

January 21 [Fri], 2005, 11:04
懐中時計を二つほど所持している。

一個は自分で分解する為に購入。

久々に懐中時計のメンテナンスをした。
いつ見てもその精巧なつくりに感動する。

毎回メンテナンスごとに違う発見がある。

メンテナンス毎の自分の状態が違うから、
きっと感じ方も見方も変わるに違いない。

『構造』を知ることが好きなので、気になるものは
気になる時に、何かと分解したり解剖したりするのです。

使えなくなるような壊し方はしない。改造はすることはあっても。

あ、でも分解したり、改造する時点で
それ自身の”個”を破壊したことになるか・・・。

様々な”個”を分解したり、解剖したりするたび、
いつも『私』という”個”を分解してみたくなる。

自分自身はできないから。

決して破壊願望があるわけではない。

私は懐中時計ほど精巧なつくりはしていないだろう。

しかし、糸電話のような単純なつくりでもないだろう。

生物は時計のような機械とは違って,決まった役割だけを
単純作業のように動くわけじゃない。

ひととき事に常に変化し続けてる。
一番わかってそうな自分の事も、知らないうちに何気なく変化してて、
気付かない部分や知らない事が多くあるに違いなく、面白そうだから、
分解した状態で動き続けてる自分を客観的視点から見てみたい。

ただ、ただ、純粋な好奇心からくる思い。

hatred. 

December 01 [Wed], 2004, 1:12
憎しみは続かない。

生きて、歩いて、人に会い、誰かを愛せば、
いつか消えてしまうもの。

憎しみは続かない。

憎しみでは何もつくれない。

喪失。 

November 30 [Tue], 2004, 16:58
大切なものを失った世界と、どう折り合いをつけて生きていくか。
『乗り越える』なんていうちゃちな表現でなく。

そんなのわからない。

向き合う方法がわからない。

してきた事は受け入れず、そこを凍結して
ただ、ただ、過ごしてきた。
何もなかったかのように。

大事な親友が、
『哀しいって言う感情は、自分の思い通りにならないという感情を、
あるがままに受け入れるときに湧き上がる。』
「だから、姫はそのときに、感情がなかったのかもしれないね。」と言った。

何も感じなかった。
何も感じたくなかったのかわからないけど。

受け入れられなかったのかもしれない・・・。
それが適切な表現なのか、今でもわからない。

ただ、わかってることは、変わることなく
あの時のあの時間は未だ止まったままだということだけ。

生と死のdistance 

November 29 [Mon], 2004, 0:29
『死ぬってあっけない。』
意識が一瞬戻った救急車の中で、ただ一つ思ったこと。

不思議と周りの雑音などなく、とても静かだった。
痛みは殆んど感じない。ただ、あちこちの傷の所がひたすら熱くて。
誰かの声が遠くの方でかすかに聞こえる。

目を明けると、真っ青で涙目の添乗員と真剣な顔の救急隊員が、
必死で口を動かしている。何を言ってるのかよく聞こえない。
何故か徐々に熱さも微かな痛みもなくなっていくのに、
段々体身体の芯が冷たくなり、今度はただひたすら寒くて。

何度も遠のく意識の中で、状況はよくわからなかったけど、
不思議と怖くなかったのは、おぼろげに覚えている。

後々医者が、あのまま意識を失い続けたら危なかったと教えてくれた。
そうだったのかぁ。と他人事のような感覚。
確かに、今思えば、味わったことのない感覚だった。
あれは向こうの世界に一瞬足を踏み入れたんかなとも思う。

社会の喧噪から遮断された真っ白な病室のベットの上で、
『死』ってなんだろう?・・・何度も考えた。
死は見えないから、その時は突然来るように感じるけれど、
本当に常に背中合わせに在って、静かにたたずんでいる所に
足を踏みいれただけのことなんだろう。

表現の仕方は様々だろうけど、もし認識の上で境界線を引くとするなら、
『死』=『あらゆるモノに触れられなくなること。』だと思った。
意識的・無意識的に関わらず無条件に。
触れないとわからないもの。
触れないと感じられないもの。
触れないと繋がらないもの。
それが全部無くなること、出来なくなることなんだなと思った。

生きている今、出来なくなる事を考えると、
とても寂しく、恐ろしく感じるけれど、
その時は、頭で考えるより、ずっとあっけない。
あらゆるものから解放される時。
時に死は何よりも優しいものなのかもしれない。
とても自然な存在で。
それを凄く身近に感じる経験をした交通事故だった。

こんぺいとう。 

October 08 [Fri], 2004, 19:56
凄い雨が降っているのに、なんだか久々に
急に食べたくなって駄菓子屋さんへ行った。

昔とは違って、今では色とりどりの『それ』がある。
かわいい小瓶に色々な味の『それ』をたくさん買った。

口にするとなんだか落ち着いて温かい気持ちに
なるから好きで、幼い頃からよく食べている『それ』。

いつの頃から食べるようになったっけ?
ぽりぽり食べつつ歩きながら、ふと思い出す。

・・・・あぁ、そうだった。

好きなお菓子を弟に食べられ、すねていた私の機嫌直しに
母に連れられて行った駄菓子屋さんの店頭で見つけた『それ』。

小さなお星さまの大群?というかヒトデ?というのか・・・。
数あるお菓子の中で目について離れない、
綺麗な瓶に沢山入ったなんとも奇妙な形の『それ』。

気になってジッと見てると、母が
「こんぺいとうじゃない。おいしいよ。食べてみる?」
と言って買ってくれた。

「こ・こんぺいとう?」
初めて見聞きする名前と、奇妙な形におそるおそる口に入れてみる。
刺々しい外観からは想像できない、ほのかに柔らかく広がる甘味。

「おいしい・・。」

優しい甘さが口の中で溶け広がり、憂鬱な気持ちは一瞬でふっ飛んだ。
一粒、一粒口に頬張るたび、心がふんわりじわーーっと温かくなって、
不思議と落ち着いて、でも嬉しくなって笑顔が自然と溢れ出た。

「お母さん、もっと欲しい!!」気が付くと、
他のお菓子など目もくれず、たくさんたくさん買っていました。

「こんぺいとうばかりで他のお菓子はいらなかったの?」
『うん!弟の分も買ったの。教えてあげるの。』
「そう、優しいお姉ちゃんね。えらいえらい。」

と優しい笑顔で頭をなでて、繋いだ母の手は凄く温かかった。その時、
"こんぺいとうってお母さんみたいだなぁ。"
そう思ったのを覚えている。

それは幼い頃のある日の思い出。
あの日から色とりどりのかわいらしい『それ』は私にとって大事な宝物。

心配。 

October 04 [Mon], 2004, 0:59
あの日はちょっと暑い位、天気のいい日だった。
京都の竹林で散歩したのを覚えてる?
そう、あれは夢に向かって走り出して間もない時だった。
進む道筋が違えど、『目指すもの』は同じでよく話し合ったね。
楽しそうにとっても綺麗な優しい目でよく笑っていた。

あれから時間は過ぎて、今も変わらずひたむきに走り続けてる君。
どんどん、形にしていく。見ていて凄いなぁといつも尊敬している。
それに負けないよう、精一杯生きて、毎日一歩一歩確実に進んでる。

でも、最近気になることがある。
夢を形にしていってる筈なのに、楽しそうじゃないね。
凄く疲れてるように見える。どうしたのかな。
集中することはいいことだけど、息抜きはしてますか?

研究という凄く閉鎖的な世界と自己との戦いの日々に生きる中で、
今でも、きちんと前後や横を見て進んでる?
目の前の事をこなして進むことだけに追われてない?
きちんと後ろ横も見てる?見れてる?
始めの頃の思いと意志と一緒の志を持って共に進んでる仲間が
いること忘れてない?余裕持ててる?

未来に見てるものは何だった?今見ているものは何?

忘れないで。一人じゃない。横も見てよ?皆心配してる。
また、散歩に行こうよ。綺麗に色づいた紅葉を見に。
選択した道は本当に棘の道。楽なことなんて何一つない。

だけど、それを笑い飛ばす強さを持っていたいから。
一人で持てなくても、みんなとならできるでしょう?

あの頃の緑の葉の季節とは違って、色々に染まりだした紅葉のように
私たちも時と共に染まっていくけれど・・でも根本は何も変わらない。

だから、たまには振り返ってね。

放置と時間。 

October 02 [Sat], 2004, 2:52
このブログを更新するまで、一ヶ月も放置。
ここは止まったまま、違う所では時間は知らぬ間に流れていた。

気分は浦島太郎。

自分の人生の時間軸は一つであり、しかし、生活の時間軸は多でもある。
数ある中の時間軸には止まっているのもあれば、進み続けているのもある。

更新をサボったわけでも、忘れてたわけでもないけど
進むというのは早い。

時間は過ぎると戻らない。
何かを創り出しきっかけとなるやもしれないこの場とわかっていながら、
そんな稀少な時間を・モノを放置するのは愚かな行為だな。 
ふと、思った。

反省。

抱負。 

August 25 [Wed], 2004, 21:52
あるところから『抱負』の提出指示。

負を抱えると書いて”抱負”。
・・・心に抱いている考えや決意の事。

30字という字数制限。
シンプルな言葉で、自分の核を表現せねばならない。

様々な思いや決意がある。
全てを含めた言葉・・・・。表現とは難しいものです。

にしても・・言葉って面白い。
同じような意味の表現でも、言葉で全然雰囲気が変わるから。

色々考えてるうちに気がつくと、抱負の内容よりも、
言葉の不思議な力に虜になっている自分がいた。

無音の世界。 

August 24 [Tue], 2004, 23:24
夜、家族が寝静まった家は本当に静かで、
自分の部屋も自分で音を立てない限り無音の空間と化す。

時には無音すら一つの音楽にすら感じるほど心地よいものだが、
それは普段音のある世界にいるからであって

ずっとこんな環境が続くのは考えられない。
孤独で恐ろしい。

周りは動くのに音だけない。
音がいかに、自分にとって重要な存在かを思い知る。

こんな事を言い出すと、視覚も嗅覚も、
あらゆるコトやもモノにあてはめられる。

つまり、当たり前にあるように感じてることは
決して当たり前ではないんだということ。

これはよく考えるけど、満たされている自分の環境に
感謝を忘れることがないよう自分に言い聞かせた、今日。
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