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滝沢正光氏 第2の怪物育成へ

滝沢正光氏 第2の怪物育成へ

48歳新米教官・滝沢正光氏 勉強の日々

ローラー練習する生徒を指導する滝沢正光・日本競輪学校名誉教官
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 競輪のトップレーサーとして活躍した滝沢正光氏(48)が、日本競輪学校(静岡・修善寺)の教官として第二の人生を歩み始めた。昨年6月、バンクに別れを告げてから8カ月余。競輪界の“怪物”と呼ばれた男の指導者ぶりを見たくて修善寺を訪ねた。(小野 祐一)

「勉強中」の毎日 講義後に反省も

97期生を前に講義を行う滝沢正光・日本競輪学校名誉教官
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 紺色の地味なジャージーに身を包み、滝沢先生が教壇に立つ。生徒たちの背筋がピンと伸び、視点が一点に集中する。威厳に満ちた声で静寂を破ると、現役時代とは違うオーラが醸し出された。

 「今は生徒に教えているというよりも、話をして触れ合っている段階です。学校に入って日が浅いので僕自身の雰囲気もまだ硬いし…。生徒たちが自然と近寄ってきてくれるようにならないと」

 講義を終えると、意外にも反省ばかりが口をつく。新たな道を歩み出した48歳の新米教師は「勉強中」の毎日だ。

 07年10月、競輪に対する誠実な姿勢が認められ、現役選手のまま日本競輪学校の名誉教官となった。昨年6月末に29年間の選手生活にピリオドを打つと、その約3カ月後から常勤。現在は千葉の自宅を離れ、三島にマンションを借り多賀子夫人と2人暮らし。第2の人生は、学校まで40分ほど車を走らせることから始まる。

 史上3人しかいない特別競輪全冠制覇(グランドスラム)、13場所連続優勝、歴代2位の通算獲得賞金(17億円余)など、現役時代は大記録を次々と打ち立てた。だが、自転車エリートではなかった。千葉県八千代市立勝田台中、県立八千代高時代はバレーボール部で、高3時に自転車の競技経験がない者を対象にした適性試験で競輪学校に合格。「筋力には自信があったが、ペダルにパワーを伝えるのが難しかった。競技用自転車に慣れるのに時間がかかった」。在校成績は下位に甘んじ、デビューから初優勝まで4カ月を要した。強さを求め自問自答を繰り返した結果、導き出した答えはただ一つ。

 「普通に考えて弱い選手が強くなるには、人より多く練習するしか他に方法がない。練習の質の高さは考えず、とにかく乗った。自転車漬けの毎日。僕は練習に耐えられる体力を親から授かっただけです」。朝から夕方まで150〜200キロ近い距離を乗り込み、夜はウエートトレーニングもこなした。「練習量だけは誰にも負けない」。この不断の努力が“怪物・滝沢”の原点だった。

第2の怪物育成へ 「練習しろ!先行しろ!」

ローラー練習する生徒を見る滝沢正光・日本競輪学校名誉教官
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 どん底からはい上がってきた競輪人生だからこそ、教育理念には芯が通っている。「才能のない人間でも努力さえすれば誰にでもチャンスがある。それが競輪」。常日ごろから生徒には「練習しろ!先行しろ!」と、口酸っぱく言い聞かせているという。

 「競輪学校の競走訓練において、先行して逃げ切るのは至難の業です。それでも、生徒たちには先行して1着をとる難しさを経験し高い壁にぶち当たってほしい。ハードルの高い方へ立ち向かっていく心を育てたいのです。努力は決して裏切りません。練習する才能さえあれば、必ず登っていける階段です」

 昨今の競輪界は年齢制限の撤廃、適性試験枠の拡大により以前にも増して他競技からの転身者が増えている。スピードスケート、プロ野球、陸上競技など多方面にわたり「競輪界の血が濃くなり活性化につながる」と言う滝沢氏は人材発掘の可能性を広げる活動も積極的に行っている。昨年11月には、横須賀、広島へ足を運びプロ野球の12球団合同トライアウトを視察した。ただ、「選手への生き残りを懸けた場で、声をかけるのは失礼」と考え、直接に勧誘することはなかったという。「心の片隅に競輪選手に進む道があるということだけでも知ってもらえたら…の思いです」

 選手としての全盛時代は競輪の全盛時代でもあった。滝沢氏の走りを見るためにファンが競輪場に駆けつけ声援を飛ばした。だが時は流れ、91年をピークに競輪の売り上げ、入場者数は低迷の一途をたどっている。再び、人気復活へ――。自らに課された使命を強く自覚している。

 「石川遼君の出現で男子ゴルフ界の人気が復活したように、競輪も魅力ある選手が現れれば局面はガラッと変わります。魅力ある選手がデビューすれば、ファンは競輪場に集まる、そして僕がそうだったように、ファンの声援で選手はさらに強く育っていくのです。学校の先生方とチームワークを組んで集結した力を生徒に送り込み、いい選手を輩出させたい」

 自転車にぶつけた情熱は、競輪選手を育てる情熱へと変わっている。“滝沢イズム”を継承した原石たちが、きょうもペダルを懸命にこいでいる。

滝沢正光とは

笑顔で生徒を指導する滝沢正光・日本競輪学校名誉教官
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 ▼滝沢 正光(たきざわ・まさみつ)1960年(昭35)3月21日、千葉県生まれ。43期として79年4月デビュー。通算成績は2457戦787勝。通算獲得賞金は17億5644万(歴代2位)。主な優勝はグランプリ2回、G1・12回。85年イタリア世界選手権ケイリン種目で銅メダル獲得。

競輪学校とは

審判室でコースを見る滝沢正光・日本競輪学校名誉教官
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 ▽競輪学校 競輪選手としての技能、知識、社会人として必要な人格と良識を養成する施設。入学試験は年に2回。06年に年齢制限(それまでは受験時に満24歳未満)が撤廃された。実技試験は技能試験(自転車競技経験がある者を対象に200メートル、1000メートルの独走試験)と、適性試験(自転車競技経験がない者を対象に運動能力の測定)のどちらかを選択。全寮制で飲酒、喫煙、携帯電話の使用禁止など厳しい規則がある。在学期間は約1年。

元プロ野球組を激励

元ヤクルトの96回生・松谷秀幸生徒(左)、元広島の97回生・兵動秀治生徒(右)とバンクを前にポーズをとる滝沢正光・日本競輪学校名誉教官
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 滝沢氏と同じ適性試験に合格した選手候補生の中で、注目を集めているのが松谷秀幸(26=96期生、00年ドラフト3位でヤクルト入団)と、兵動秀治(29=97期生、97年ドラフト2位で広島入団)の元プロ野球組。「滝沢先生には乗車フォームや先行の仕方を教えてもらっている。いつも声をかけてくれるし指導にとても熱心」と2人は口をそろえる。滝沢は「プロ野球生活で足りなかった点を再確認して、これからの競輪人生に挑むことが大事。プロ野球で一生懸命やってきた情熱をもう一度、自転車にぶつけてほしい」とエールを送った。

CMで久々に力走「きつかった…」

昨年の10月から常勤で日本競輪学校の教官を務める滝沢正光・日本競輪学校名誉教官
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 現在放送されている競輪のテレビCM「9ways」では、滝沢氏が唯一、現役レーサーに交じり酪農家の役柄で出演している。「農耕民族のような顔立ちですからね」。自他共に認める絶好のはまり役となっているが、「実は引退してからは、ひそかに牧場経営にあこがれていた」とのこと。CMでは現役時代そのままの豪快なフォームでバンクを駆け抜けているが「久しぶりに自転車に乗ったら、きつくて…。また現役に復帰したいとは思わなかった」と苦笑いを浮かべた。

 

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