■狼になりたい - 第11回  ≪ムカツキの連鎖≫

第11回  ≪ムカツキの連鎖≫

カテゴリ : 
狼になりたい
執筆 : 
芦田豊雄 2009-3-29 20:21
 人が人に怒りを持つ時、そこには強い被害者意識がある。
 制作進行の井荻君(24)は、私鉄西武線にある所沢さんの家より、最後の原画1cutを回収して杉並区の会社に戻り、演出の田無さんの机に置き、その足で背景の打ち合わせに走った。
 三日間、会社泊りで風呂にも入れない。
 夢を持ち業界に入ったが、納得のいかないコトばかりである。
 特に、アニメーター達のいい加減さにはムカツキ通しで「自分の精神バランス」に危機を感じている。(笑)
 いや、(笑)どころじゃない。
 「何が時給540円だ。俺なんか時給150円くらいだ。計算したことないけど」
 制作進行の仕事は出来高という訳にはいかないので、固定給になっている。
 井荻君は手取りで17万円程である。

 さて、原画の所沢さん、演出の田無さん、作画監督の清瀬さん三者にはムカツキの連鎖がある。
 まず、演出の田無さんは原画の所沢さんにムカツイている。
 ミスだらけの雑なタイムシート。
 うまい筈なのに、あきらかに手抜きされた作画。
 毎回、狙った様にドタン場で届けられる仕事。リテーク期間がまったく無いのだ。
 「わざとやってる」
 「全カットにシートミスがある。ボケ始まってんじゃねーのか」
 そして、所沢さんの文字にまでハラが立ち、拒否反応が起こって来る。
 「所沢はいつか切ってやる!」

 作画監督の清瀬さんは他社の仕事を抜け出し、疲れた体で机に着く。
 夜中の2時である。
 机の上には、田無さんの演出チェックの済んだカット袋が分厚く積まれている。
 疲れているとカット袋から原画を抜き出す事すら“おっくう”になってくる。
 「“作カン様よろしく”ばかりじゃねーか」
 「何でも俺に頼るなよ。この監ヨロ演出が」
 「オマエが自分で直せ。いやその前に原画にリテーク出せよなー」
 「何で中4枚のくり返しなんだよ。割れねぇだろ。しかも3Kウチだし」
 所沢さんの原画の上に、演出の田無さんが描いた青い紙が重ねられている。
 「絵がヘッタクソなのはしょーがない。だけど透視図法(パース)くらい勉強しろよなー」

 “ヘッタクソな絵”
 作画から演出に移っていった人を別にして、コンテ、演出にはまったく絵の教育、又は勉強をしていない人が多い。
 そんな人がプロの原画をいじるのだ。
 演出が原画マンより絵などがヘッタクソなのは当然である。(もちろん、ウマイ人もいるが)
 絵がヘタなのは「技術」の問題であり、これはしょうがない。
 しかし「知識」となると別である。

 例えば「江古田ちゃん(笑)」というキャラがあるとする。
 彼女は深夜ひとりタクシーを待っている。
 江古田ちゃんの背中は「怒りに満ち、そして寂しそう」である。
 この「怒りに満ち寂しそう」のイメージは一万人いれば一万人違う。
 感性の問題だからだ。

 現在のアニメーションの「絵」の完成までは

 絵コンテ→作画打ち合わせ→原画マンによるレイアウト→演出チェック→作画監督による修正とチェック→原画マンが原画を完成→演出チェック→作画監督チェック→動画→動画チェック→仕上げ
 平行して美術背景作成、という流れになる。

 各パートの人達が協力し合って、ひとつのカットを完成させて行くのである。
 感性、情緒の共有は元々有り得ない話なので、ここで数値的なモノが必要になってくる。
 それが透視図法である。
 これは数学的なモノなので、絵コンテから演出、原動画、背景、仕上げ、そして場合により撮影までが同じ情報を共有できる訳である。
 5×5=25と同じで、誰が計算しても答えは25という訳だ。
 透視図法は技術ではない。
 「知識」なのだ。

 作画打ち合わせの時、コンテに理解不可能な“騙し絵”みたいな絵があるとする。
 原画などから「この絵の消失点はどことどこに?」「アイレベルはどのあたりに?」という質問がある。
 演出は勉強をしていないので何が何だか判らず「絵コンテの感じで」と曖昧にして先を急ぐ。
 1cutごとに質問、解決していったら2時間で終る作画打ち合わせが10時間かかってしまう。
 参加しているスタッフは皆、他にも仕事をかかえてあせっているし疲れている。
 ベテランの原画マンは「はいはい、絵コンテの感じね」と流し、レイアウト時に変な絵を修正しようと思っている。
 演出もベテランさんのレイアウトには、そう反論できない。
 しかし新人や若いアニメーター達は、そうはいかない。
 「コンテの感じで」という要求と“騙し絵”をなんとか再現しようと苦しむ。
 今まで受けて来た教育と違う要求をされてるのだ。
 新人達にとって、絵コンテや演出の存在は絶対だ。
 演出はたとえ“能力が無くても権力はある”。
 リテークやOKを出す権力である。
 新人はそれがコワイ。(いやベテランもコワイか(苦笑))
 その結果、誰が見ても明らかに“コマッちゃうレイアウト”が当の演出の手元に届くのだ。
 「このレイアウトはやっぱりすごく変だ」
 変なのは判る。しかし、なぜ変なのか、理論的に数値的に説明できない。
 アニメーションは絵作りから始まるのに、教育されてない、又は勉強していないのだから当然である。
 そして、この原画は何度も何度も、演出と原画の新人君の間を行き来するのだ。
 もちろん、進行の井荻君はその度に両者間を車で往復するのであった。
 スケジュールとエネルギーの浪費である。
 新人君は地獄に落ちる様なストレスを受け、混乱し、もう“辞めたくなってくる”。
 「いいや。言う通りにしてOKをもらおう」
 「アニメにはフツーと違った透視図法があるんだ」

 無い。
 フツーと違った透視図法など無い。
 図法を充分に理解した上「計算上でコワす」ならある。
 演出は能力が無くても権力はある。
 私を含め、我々はそれを自覚しなければならない。
 透視図法は御飯を食べる時の“箸の持ち方”に似ている。
 箸の持ち方が変でも、メシはガンガン食える。
 本人は何も困らない。
 メシの途中で、それを指摘され邪魔されると大いに怒る。
 箸の持ち方が変でも、業界で長い間通用している。
 だからそこを指摘されると、とても腹が立つのだ。

 業界では作画も演出も透視図法を“知っている”事になっている。
 が、かなりの人は実は知らない。
 正しく描かれたモノ、変なモノは経験で判る。
 しかし数学的に証明出来ないのだ。
 数学的だから検算出来る筈だ。

 以前、某所で業界横断的に作画と演出のための「今更、親にも聞けないパースの悩み=サルでも判るパース君講座」というのを2回程やった。(竹熊さんスミません。「サルまん」のパロです)
 そのうちの1回は某社の会議室でやったのだが、聴講の中にかなりの進行や制作デスクや制作Pの人達で混じっていた。(爆笑)
 肝心の作画や演出の出席は少なく、「多忙なのに」と「今更箸の持ち方」「なぜアシダが」などの反発だと思われる。
 私を気遣い席を埋めてくれたに違いない制作の方々に今更ながら感謝したい。
 「あの時は有難うございました!」(苦笑)

 話が図法の方へ走って来てしまった。
 私がこれにこだわるのは、これこそがスケジュール(予算)の無駄を生み、各パートのアツレキと不信、そして人材の流出、“ムカツキ”を生む、元凶のひとつになっていると思っているからだ。
 透視図法は“技術”ではなく“知識”である。
 集中すれば数日間で修得することが可能だし、長い間の疑問が一挙に解決するハズである。
 JAniCAは業界横断的に、知識や技術の交換、教育をやって行くつもりである。
 勉強をすべきは業界志望者だけではなく、私を含めた“現役”達なのである。

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