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聴覚障害“萌ちゃん”の大学生活 葛藤そして涙のワケは・・・ |
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生まれつき耳が聞こえない中、幼い頃から卓球に打ち込んできた19歳、上田萌さん。今月5日から台湾で開かれる聴覚障害者のオリンピック「デフリンピック」に日本代表として出場します。自らが生きてきた「音のない世界」を知ってほしいと、世界一を目指す19歳の思いです
去年12月・東京。上田萌(19)が家族の元を離れ、東京の大学に入学してから、8ヶ月が過ぎていました。
彼女が選んだ、卓球の道。東京富士大学は全日本王者3人を輩出した学生卓球界の名門です。指揮をとるのは、アテネオリンピックで日本代表チームを率いた西村卓二監督。萌は、日本きっての名将が初めて受け入れた音の聞こえない選手です。 
「ほかの子には“なにやってんだバカヤロー”で済むんですけど、それが使えないわけですから、上田には。だからもどかしくなったり、めんどくさくなったりすることは事実あるんです」(西村監督)
日本一を目指し、全国各地から選手たちが集まっています。高校時代はチームのエースだった萌ですが、大学ではレギュラーとして試合に出ることもできません
「言われてることは分かってるんですけど、それを自分の中で整理して取り組むことができない自分が悔しい」(萌)
唇の動きを読み取れなければ、言葉を理解することはできません。たったひとりで飛び込んだ聞こえる人たちの世界。彼女は仲間たちに、支えられています。
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年末、萌は京都府舞鶴市の実家に帰省しました。18年間萌の成長を見守ってきた家族は、いつも変わらない暖かさで、包み込んでくれます。
その夜、母・由美子さんが萌に語りかけました。
「困ってることはないの?西村先生に対して、なんでも言えるようになった?」(母)
「困ったことがあっても、そのままにする」(萌)
「なんで?迷惑かけたくないから?迷惑だなって思われるのが嫌だから?」(母)
「うん」(萌)
「どうしたいの?萌はどうするのが一番いいの?」(母)
言葉につまり、涙を流す萌。大学では見せることができない本音でした。
「あんまり私に仕事を・・・“私がやるからいいよ”みたいな」(萌)
「みんなね、友達がね。でもみんなは、本当に優しい気持ちでそうしてくれているのかもしれないよ。いじわるされたことに文句は言えるけど、優しくされることに文句は言えないでしょ。でもその優しくされることが辛いときもあるでしょ。それは言わないと分からない。言いやすい友達から言ってみたら?」(母)
母娘の会話を、じっと見つめる兄・大輔。彼もまた、音が聞こえません。
「大輔も、24歳になってヒゲを生やしてても泣くんだよ」(母)
少し笑顔を浮かべながら、涙を拭い去ることができないまま、2008年が終わりました。
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今年5月、年度が変わり、下級生が入ってきました。萌はまだ、試合に出ることはできません。デフリンピックが9月に迫り、焦る気持ちも隠せません。それでも裏方の仕事に徹する彼女の姿からは、変わろうとする確かな意思が見え始めていました。
「心を閉ざしていた部分もあったんですけど、仲間たちも私のことを一生懸命理解しようとしてくれていることが、最近分かってきた」(萌)
きっかけをくれたのは、チームメイトの一言でした。
「“腹が立つ”と言ったと思います。分からないことは素直に分からないと言ってほしい。もし仕事のこととか何回も聞いて、教えるのがめんどくさそうにしている人はいないから。もしそういう人がいたら怒るからと、話しました。そしたら“分かった”と言ってくれた」(チームメイト・西東由美)
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もがき、苦しみながら、全力で生き抜いてきた音のない世界。きっと分かり合えると信じて、萌は卓球と向き合っています。
「(以前は)かわいそうだとか、聞こえないから負けてもいいとか、ハンディキャップがあるから・・・。でもよくよく考えたら、聞こえないというハンデがありながらくるということは、覚悟している。だったらこっちも覚悟して、聞こえる人と同じような付き合いをしなけりゃいけない」(西村監督)
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7月、デフリンピックの壮行会が開かれました。兄・大輔も代表に選ばれました。全種目の中で最もメダルに近い選手として、日本選手団のキャプテンに指名された萌。
目標はただひとつ、世界一になることです。
「(世界一になることで)聞こえなくても、やればできるんだっていうことを伝えたいです」(萌)
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2009年9月2日放送 |
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