2004年11月21日

【高野山】女人禁制の聖域。

苅萱堂は、高野聖によって全国津々浦々に語られた『石童丸物語』所縁の建物である。

石童丸は出家した父親を追って麓の学文路まで来るが、女人禁制のために母を残し、石童丸だけが入山。父である苅萱道心に『父の死』を告げられ、学文路に戻るがすでに母は他界。石童丸は高野山に戻り、実の父とは知らずに苅萱道心について厳しい修行を積んだという。その修行の地に建てられたのが苅萱堂で、堂内には、この父子の物語を絵にした額が飾ってあり、一巡するとあらすじがわかるようになっている。どういうつながりなのかは知らないが、人魚のミイラも展示されている。かなり嘘っぽい。

041121-29苅萱堂
人魚のミイラは眉唾であることを確信しているティーフォートゥーさん



041121-30不動坂口バスの時間と折り合いがつかず、歩いて駅のほうに向かう。とはいえ、歩行者禁止の区間があるので、歩けるのは女人堂あたりまでだ。

霊山にはありがちな話なんだけど、高野山は女人禁制だった。7つある登山口にある女人堂までしか入れず、このお堂で真言を唱えることしかできなかった。なんで男は入れて女はダメだったのか。修験の世界は男社会で、煩悩のうちでも最も克服しがたい色欲を絶つために排除されたという説と、女には生理があって、それを『穢れ』とみなして聖地には入れないという説と。まあ他にも諸説あるようだ。

高野山は1904年に女人禁制が解かれたようだが、大峰山はまだ女人禁制のままらしい。私はフェミニストではないので、そういうのがあってもかまわない。相撲の土俵とか、お神輿の上とか、女人禁制でいいんじゃないの。

041121-31女人堂
女人堂は男子立入禁止だったのか気になるティーフォートゥーさん

041121-32お竹地蔵それにしてもバスが来ない。女人堂は閉まっているし、このあたりでウロウロしようと思っても、何もないから困ったものだ。大きなお地蔵さんがいてはるけど、江戸期の女性・お竹さんによって建立された『お竹地蔵』さんらしい。それ以上の説明がないのでどうにも時間がつぶせない。山に入ることを許されなかった女人たちが巡ったという古道・女人道で下山するには時間が遅い。ヘタすりゃ遭難だ。

041121-33陀羅尼錠なんとかバスに乗って、高野山駅に到着。母に土産でも購入しよか・・・と選んだのが『大師陀羅尼錠』である。いわゆる下痢の薬なんだけど、うちは母も私も下痢はしないのよね。下痢するのは親父くらいだ。だから、どっちかっていうと、胃弱、胸やけ、食欲不振、胃部・腹部膨張感に効く『大師陀羅尼助』を選ぶべきだった。

『陀羅尼錠』も『陀羅尼助』も、弘法大師が高野山を開いたときから製法が伝えられ、現在に至っているといわれている。弘法大師も服用してたのかな。

tripper0512 at 18:27│Comments(0)TrackBack(0)clip!日本 |  └ 和歌山

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