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モーゼとイエス・キリストはどう違う。そして関連することは・・?
sgsg23さん
モーゼとイエス・キリストはどう違う。そして関連することは・・?
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hakuseiunさん
モーゼは、ユダヤ民族に「聖霊」による規律、十戒を文字で生み出した指導者です。
この始まりで、旧約聖書が脈々と引き継がれ、書き足されて、信仰心が育ちました。
イエスは、繁栄し拡大した、「聖霊」での区別を、「愛」で消そうと叫んだ革命児です。
新約聖書は、信仰の大切さを引き継ぎ、人が人である拠り所として、編集されました。
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syuushigakuさん
モーゼ(申す贋)もイエス(比喩)も通訳(アロンとヨハネ)を必要とする、これが最も重要な共通点です。
つまり。旧約も新約も通訳、翻訳を必要とする、そして
●この通訳者は晩秋(物主文明の開花の後)でなければ現れない、
真理の解明は神が許さない(ヨハネ黙示11-9)とあり、米国の初代大統領は木の入れ歯をしていて演説が困難なために二期目を断念したという近代史に通じています。
彼ら(火水の燭台=カミの光り)はエジプトに例えられる都の大通りで殺され、彼らの師もこの都で十字架にかけられたのである。これが911テロによる神示です。
エジプト(エッジプット=枠を置く=アルファのベッドの枠を置く=埃及=ドライ心で魂に埃をかける)
この枠作り=産業革命の開花は仮の偽座(ギザ)であり、これを利用して実魂作りをする本役は日本の48音がする、弗の二本矢の迷いを翻訳(二津翻(にっぽん)→一本に丸める=ドライな蛇邪のパン(種無しの固いパン=腹の肉欲心=肉の血)をパンと打って、柔らかくするジャパン(義風、ギフ=ニイ高山ノボレ=真珠の湾曲を攻撃して修正する)登れの働きが現れる、これは神人不二夫婦で不死となる主和は諏訪することによってなる。日本の言霊の48音(ヨハネ)を知るこtによって、外撥ね(殻を割る=埃を払う)して預羽して天に飛び帰る霊性革命に入ることである、ということです。
イエスは少年時代をエジプトで過ごし、イスラエルに出ました。モーゼは民衆をエジプトから救い出しました。つまり
●人間は門(肉体=殻田)に捕らわれている日であり、ここから抜けだすことが幸に育つことで天命である、
この天命を教える真理の第一段階、魁のメシアとして、モーゼもイエスも、ワシントン(産業革命=米国=腰の働き)も遣わさたということです。
で、殻田は仮の人の自由の教えで育てられる、その後に本当の自由の実魂の建設の為に、アロン=ヨハネ=日本があらわれるというのが神の二段、夏と秋、夜と昼の巡りによる、世界と個人の完成の計画なのです。
●これを神の経綸といいます。
翻訳=番、羽、言、尺=釋;
番=ノ米日=日本の智恵を台にして米国が法(ノ理=右回転=殻ナす=クチナ=蛇)を考える(反省する=日米は男女、火水、霊物のペアーで左右で天に飛ぶ両輪、両羽根(ケルビムの箱と光り)
番=釋=ノ米+罒幸;幸=土ソ(腹の虫の粗氣=穢場=エバ=母=助=女氣)を干す=男になって罒(盲目)を昇華(開眼)させる。
釋=睾=魂を金の玉(真珠)とする霊性、精神、頭の勃起(月代を照らす丁髷)をする=腰(腹黒い働き)を治めて武士道(侍=神身意を照らして人、霊止となる)に生きる
モーゼとイエスは同じ主から魂のパンを与えにきたのだとヨハネ福音書6章、31~71に述べられています。これはカベナウムの会堂での教えです。カベナウム=壁汝は膿む=殻(エッジプット=ドッグ=犬性)に閉じ篭るべからず
「私達の先祖はモーゼから荒野でマナという天からのパンをもらいました、あなたは私達になにを与える事が出来ますか?」
イエス「私の肉がそのパンであり、私の肉を食べ、私の血を飲むものは永遠に生きるのである」
弟子たちの多くは「これはひどい言葉だ」と言って、立ち去った。例えを理解できなかったのです。
エホバの証人はこの箇所をどう理解しているのでしょうか?
イエス(天)の命の血と、肉(犬)の命の血のたてわけが理解されていれば、肉は血を絞ってから食べるとか、輸血拒否等は、聖書とは何の関係も無い、イエスはそんなことは要求していない誤読であることは明白です。この酷い誤解ではイエスの肉を食べ(行動に倣う)、イエスの血を飲んで(智の確立)永遠の命を得るという創造主の置き手は達成されない、王国に迎えられることは決して出来ないと断言できます。
イエスの十字架刑によって、モーゼの十戒は消えた、とあるのは、荊冠(角のある思考)のイエスが十字架を背にして、「自分は渇く=ドライであった」と反省して、人生の運命(人々の差し出す酢意葡萄酒)を逃げないで受けていく、即ち十戒の実践をした、ゆえに天国に迎えられたとあるのです。これをエホバの証人は、イエスの十字架刑によってモーゼの律法は護らなくてもよいことになった、と呆れた(あ切れて、んしない)解釈をしています。
アロン=あ路ん=あ~ん=天開~運=アイオーンの全てを輝かす光る雲=48音=ヨハネ=外撥ねて預羽する日本の言霊=「あ、ん」の神人のキャッチボールで真理は開く(イエスの母マリアはヨハネに託された)
↓岩窟の聖母子;機械文明の開花の後の晩秋にイエスに栄光を与えるヨハネ
http://blogs.yahoo.co.jp/syuushigaku/51241986.html
秀思學
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samba_e_salsaさん
モーゼもイエスもマホメッドも同一神の預言者です。 ユダヤ教の聖典は 旧約聖書で モーゼは ユダヤ教の預言者です。
キリスト教の聖典は 旧約聖書と新約聖書です。 イエスはモーゼと同様 神の言葉の預言者で 本人もそのつもりでしたが 確か彼の死から数百年も経ったニケーア会議(?)にて 神の子であり 神でもあり、聖霊でもあるとする三位一体説で 神に祀り上げられました。しかし本人は自分がユダヤ教徒であるつもりだったようです。
イスラム教の聖典は 旧約聖書 新約聖書 それに コーランで、特に コーランが重要視されています。モーゼ、イエス、マホメットは 神の言葉の預言者であり マホメットは 最終預言者だそうです。
この三者の宗教の神は 同一で 神の名は、YHWH とか ヤーウェ とか エホバ とか 国の言葉によって呼び名 発音は違いますが、ソロモン宮殿跡の 嘆きの壁で 同じ神に向かって祈ります。
参考までに アラーは 神という意味で 英語の GOD です。 アラーの神と 日本では言ったりするので、アラーとは 特殊な神の名前だと 勘違いしてしまいますが、イスラム教の神は ユダヤ教 キリスト教と まったく同じです。
ついでに 信長の時代にポルトガル人の宣教師が デウスという 言葉をよく使いましたが これも ポルトガル語で 神を意味し 英語のGODと同じ言葉です。
degagezdegagezさん
モーゼは<預言者>で、
わかりやすくいうと、ラジオみたいなもんです。
神様の言葉が、モーゼというラジオから聞こえてきたと思えばいいです。
もちろんリーダーシップとかあったからモーゼに言葉がおりてきたのだと思いますが、
モーゼは神様ではありません。
そしてユダヤ人のためだけに存在しました。
そして他にもモーゼのような役割の人がたくさんいました。
一方、イエス様は<神様>です。
神様と一体です。
そして信じる人すべてのために存在します。
そして他にかわる存在はなく、ただひとりのイエス様です。
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