世界変動展望

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実質的な初代横綱、谷風梶之助

2009-05-23 00:05:19 | スポーツ・芸能・文芸
現在通用している歴代横綱の記録によると、初代横綱は明石志賀之助である。現在の横綱代数は1900年(明治33年)に第12代横綱・陣幕久五郎らが富岡八幡宮に建てた横綱力士碑に刻まれている歴代横綱の記録によっている。つまり、富岡八幡宮の横綱力士碑に初代横綱として明石志賀之助と刻まれているため明石が初代ということになっている。これは日本相撲協会の公認であり、公認の初代横綱や横綱代数は横綱力士碑に従って数えられている。

しかし、調査によれば明石志賀之助を含めた初代から3代までの横綱は横綱の実体がない伝記上の空想的横綱とされているのが通説である。2代横綱・綾川五郎次、3代横綱・丸山権太左衛門は実在した人物らしいが、初代の明石は実在したかどうかもわからない人物である。

2代横綱・綾川、3代横綱・丸山というのは寛政元年(1789年)に吉田司家が谷風・小野川に横綱免許を与えるとき、会所から伊勢ノ海が幕府に出した書類の中に、「その儀は先年、丸山権太左衛門、綾川五郎次などと申す者ども、右横綱伝授申請候儀にご座候…」という文章があったからである。

これは先例がないと横綱制度を幕府に認めてもらえないため、吉田司家が故実門人の中である程度有名な綾川と丸山を引き合いに出して「先に丸山と綾川が横綱を付けて土俵入りすることを認めて例がある」とでっち上げただけである。

2代横綱・綾川、3代横綱・丸山と綾川の方が先の代数となったのもよくわからない。上記の文献で丸山の方が綾川より先に名前があがっているので、横綱代数は丸山の方が綾川より先だといっている人もいるらしい。つまり、第2代横綱・丸山、第3代横綱・綾川とする説もある。

丸山は横綱制度があれば当然横綱になっていただろうという考えもある。しかし、丸山が日下開山にふさわしい強豪大関だったとしても当時横綱制度がなかった以上、横綱としての実体はなかったに違いない。

明石、綾川、丸山は残念ながら実体のある横綱ではない。

では、きちんと裏づけのある確かな実体のある初代横綱は誰か。それは現在の通説では、第4代横綱・谷風梶之助(2代)である。横綱に昇進したのは小野川喜三郎と同時なので小野川とあわせて実質的な初代横綱とする考えもあるが、同時昇進の場合の横綱代数は引退が早い方の力士に与えられる決まりのため、横綱代数では谷風梶之助が実質的な初代横綱である。

谷風と小野川は同時昇進なので2人とも最初の横綱だが、横綱代数という形式面では初代横綱・谷風、2代横綱・小野川である。

谷風梶之助(2代)は1750年9月8日生まれ、1795年2月27日没。陸奥国(現在の仙台市若林区)出身で、優勝相当成績21回、江戸本場所63連勝、江戸・京都・大阪本場所98連勝、江戸本場所における通算成績は49場所258勝14敗16分16預5無勝負112休、勝率9割4分9厘という天下無双の大横綱である。

谷風は大相撲史上随一の大横綱であり、寛政の大相撲黄金時代の主人公である。谷風の連勝記録は江戸本場所のみの63連勝を指すことが多いが、これは第35代横綱・双葉山が69連勝するまで約150年間更新されなかった記録である。京都や大阪本場所を含めた98連勝はいまだに破られていない。しかも、谷風は連勝を止められた直後から再び43連勝を記録した。

もっとも、江戸時代の相撲の記録がどれほど正しいのか疑問がある。例えば勝率9割4分9厘というのはあまりにも高すぎるだろう。戦後の最強横綱にあげられる大鵬ですら、通算勝率8割2分3厘である。

しかし、谷風が大相撲史上随一の大横綱であることは多くの人が認めている。大相撲の歴史で最強の力士は誰かと議論する場合、双葉山、大鵬、北の湖、千代の富士といった戦後の大横綱をあげることが多いが、江戸時代の力士まで含んだ場合は谷風や無類力士・雷電爲右エ門(最高位・大関)が最強力士に挙がることが多い。おそらく寛政年間では谷風と雷電が最強の力士であったろう。

谷風の経歴は
1769年(明和6年)4月場所:看板大関として初土俵 [用語1]
1770年(明和7年)11月場所:看板大関をよしとせず前頭筆頭から再スタート
1781年(安永10年)3月場所:正式に大関昇進
1778年(安永7年)3月場所初日〜1782年(天明2年)2月場所7日目:江戸本場所63連勝、江戸・京都・大阪本場所98連勝を達成
1789年(寛政元年)11月:小野川とともに吉田司家吉田追風から横綱を免許される。これが実質的な横綱発祥とされるのが定説
1791年6月11日:上覧相撲を行い、11代将軍・徳川家斉が観戦する
1795年2月27日:35連勝中に病没

谷風は実質的な初代横綱にふさわしい実績を持つ天下無双の大横綱である。このような人物が実質的な初代横綱だと横綱に大きな威厳が感じられる。

用語
[1]看板大関:江戸時代に相撲の大関不在時の穴埋めとして、大きくて見栄えがするというだけの理由で番付に大関として記載した力士
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