mindan_side
●お知らせ
●民団本部・支部ニュース
●在日生活相談 Q&A
●民族教育とオリニ事業
●地方参政権
●K-スポーツ
●ウリ民俗
●在日就職情報
●韓国観光ニュース
●韓国東西南北
●コラム・布帳馬車
●エッセイ・コーヒーブレイク
●すばらしき同胞&この人この顔
●とっておき韓日通訳秘話
●民団と在日同胞の統計
●便利住所録
●民団地方・支部と
傘下団体のホームページ
●
本国事務所(韓国)
掲示物数 : 1/28
サラムサラン<9> キョンファーチョン
2009-08-26
その時の教師の満面の笑みが、今も忘れられない。中学校の音楽教師は授業中に多くのレコードを聴かせてくれたが、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をかける段になって、「天才の出現に、世界が沸いている」といった解説をして、嬉しそうに微笑んだ。レコードジャケットには、東洋人の若い女性が、ヴァイオリンを手に、まだ幼ささえ残る真剣な眼差しをこちらに向けていた。
「韓国出身のヴァイオリン奏者で、名前は…キョンファーチョン」と、教師は言いにくそうに名を読み上げた。ごく普通の日本人の彼にとっても、同じ東洋から世界を唸らせる才能が出現したことは慶事だったのだろう。若く魅力的な女性であることも、目を細める一因だったに違いない。 どこまでが姓でどこからが名なのか、理解もつかぬままに、私は胸にその名前を刻んだ。まだNHKのニュースでも、韓国人の名前を日本語読みで紹介していた時代である。カタカナによる若き韓国人天才ヴァイオリニストの出現は、音楽の世界に留まらない革新的な風をまとっていた。世界にはばたく韓国人第1号のような颯爽とした印象を放った。
私はやがてクラシック音楽ファンとなったが、「キョンファーチョン」は、特別な存在であり続けた。ひたむきな情熱によって音楽の核心に迫ろうとする彼女の演奏に、魂の芸術を聴く思いがした。韓国語を習い始めてしばらくして、その名が「鄭京和(チョン・ギョンファ)」であることを知ったが、長い間の謎が解けるように思った。記号のようだった名前が、世界をぐるりと一周して、ようやく本来の居場所に落ち着いた気がした。
私蔵する彼女のCDコレクションのなかに、1枚だけサイン入りのものがある。バッハの「無伴奏パルティータ」の第2番と第3番を収めたCDだが、ハングルで「チョン・ギョンファ」と署名されている。東京の店で偶然に入手し、私の宝物となった。
1999年に私はイギリスに渡ったが、イギリス人と結婚したチョンが、ロンドンをベースに活躍していると聞いていたので、彼女の演奏会に足しげく通えるだろうと希望を持った。だが、ロンドンで知ったのは、彼女が離婚し、アメリカに移ったという事実だった。
イギリスにも、私はサイン入りCDを携行した。ロンドンの家でも、しばしばそのCDを聴いた。人生に有為転変はつきものだろうが、チョンの演奏には不動の力がある。最近、彼女の活躍を聞かないが、淋しい思いを抑えがたくしているのは、私だけではあるまい。
多胡 吉郎
(2009.8.26 民団新聞)
TOPへ
次へ>>
民団に対する問い合わせはこちらへ
:: Copyright by Mindan. All Rights Reserved. ::