62年前の8月9日には長崎に原爆が投下されました。
アメリカ側の公式の主張、と同時に多数派の主張は、広島、長崎両方への原爆投下こそが日米間の激しい戦争を早く終結させた、という趣旨です。だから原爆投下は必要だった、というわけです。これに対する反論や否定ももちろんアメリカ側内部に存在します。
しかし広島の原爆の碑文をみると、日本側でも実はあの原爆投下をアメリカ側の非とは必ずしもみていない向きがたぶんにあるように思われます。碑文にある「過ち」は誰が冒した過ちなのか。普通に読めば、「私たち」、つまり「日本側」の過ちという解釈になります。ということは、日本側が過ちを冒したからこそ、原爆を投下された、ということになり、米側の非をつく認識はそこには(少なくとも碑文を文字通り読んだ解釈だけからでは)表明されていません。
そんなことを思いながら、長崎の原爆投下についても考えました。この二発目の投下が「戦争を早く終わらせる」という目的に合致するのか否か。広島への投下にくらべてはずっとその「目的」の論拠は薄弱となります。
こうした諸点について最近、書いた私の記事を以下に紹介します。
原爆論議といえば、CNNテレビの「クロスファイア」という討論番組に招かれ、ずばり「広島、長崎への原爆投下は必要だったのか」を論じたことがある。「十字砲火」というタイトルが示すように、この番組では時の話題への賛否を激しく自由に討論する。1994年12月だったが、テーマの今日性は不変だろう。
番組のホストは先代ブッシュ大統領の首席補佐官だったジョン・スヌヌ氏と政治評論家のマイク・キンズレー氏、ゲストは広島と長崎の原爆投下の両ミッションに出撃したチャールズ・スウィーニー退役少将、「原爆外交」という書を出した歴史学者ガー・アルペロビッツ氏、それに私だった。
スヌヌ氏が「原爆投下は日本の戦意をくじき、戦争を早く終わらせたから、必要だった」と述べ、日本軍の太平洋の諸島での「不屈の戦闘ぶりによる犠牲者の多さ」を強調した。スウィーニー氏も「翌年はじめに予定された日本本土上陸作戦での死者の多さの予測を考えれば、当時のトルーマン大統領の原爆使用の決断は正当化される」と述べた。
米国側からみての「しようがない」という議論である。私もこの米側の思考はよく知っていた。原爆を開発した米国原子力委員会の「ロスアラモス科学研究所」を70年代に訪れ、広島、長崎に投下された爆弾2個のレプリカ展示の記念碑文を読んで衝撃を受けたものだった。
「これらの使用は戦争に終止符を打ち、戦争が続けばさらに失われた何千、何万もの生命を救うという大きな貢献を果たした」
米側の公式の原爆投下肯定論に初めて直面して、ショックを受けたわけである。
その後もそうした見解を何度も聞き、このCNN討論番組に出る数カ月前にも先代ブッシュ大統領のバーバラ夫人が出した回顧録でも、もっと人間レベルでの受け止め方を読んでいた。
「日本への原爆投下の報を聞き、うれしく思った。これで太平洋戦線に海軍パイロットとして出撃していた婚約者のジョージが無事で帰ってこられると考えたからだ」
一国の惨禍が他国の喜びとなるのが戦争の過酷な現実だろう。最年少の19歳で海軍士官に志願したブッシュ氏は44年に父島を爆撃中、日本軍の対空砲火に撃墜され、米海軍の潜水艦に救出されて、文字どおり九死に一生を得ていた。同時に撃墜された他の米軍パイロットたちが日本軍の一部による人肉事件の犠牲になったのも米側の戦史では有名だった。
私は米側の実態をその辺までは知っていたが、テレビの討論ではためらうことなく原爆投下を非難した。
「原爆投下の時点では米側はもう日本の降伏を確実視していた。ソ連の参戦もあり、とくに2発目の長崎への投下は戦争の早期終結が目的ならば不必要だった。もし日本側に原爆の威力を示すことが目的ならば、無人島にでも過疎地にでも投下すれば、十分だっただろう。合計20万以上の民間人の犠牲は戦争継続の場合の戦死者の予測数では正当化はできない」
思ったことをそのまま口にした。するとアルペロビッツ氏が歴史学者の立場から米国は日本の全面屈服が間近なことを知っていたし、原爆使用には当時の米軍最高部にも反対があり、日本側の民間人の少ない海軍基地に示威投下をするという計画もあった、と述べた。米国側の主流の意見ではないが、私の主張には支えとなった。
だがスヌヌ氏やキンズレー氏は日本軍のパールハーバー奇襲や中国などアジア各地での殺戮(さつりく)を持ち出してきた。もし日本軍が原爆を保有していれば、間違いなく使っただろう、とも断言した。だから原爆投下はやむを得ず、正当でさえあった、というのである。
私は持論は変えなかったものの、スヌヌ氏らの意見も、米側に立てば、それはそうだろうと、内心、思った。異なる国同士が総力で戦い、殺しあう戦争では、一方にとってのプラスは他方にはそのままマイナスとなる。黒白フィルムのポジとネガである。
直接の戦争でなくても、伊藤博文を殺した安重根は暗殺者か、英雄か。ゾルゲは邪悪なスパイか、救国の革命家か。現代のテロでも一方にとってのテロリストは他方にとっての殉教者となる。原爆投下の適否も考える側が自らを日本側におくか否かがキーなのだろう。
by mayo5
鳩山夫人の金星訪問が国際ニュ…