日本では広島、長崎への原爆投下の追悼記念日が間近となり、その犠牲となった方々へのねぎらいが厳粛に表されるとともに、核廃絶、反核という課題が改めて真剣に語られるでしょう。
そうしたなかでも最も注視される行事の一つは8月6日の広島での追悼式典でしょう。この場での広島市長の言明は世界的にも認知されています。ことしも秋葉忠利市長が被爆者への慰めを述べ、核兵器を絶対悪とみなすという大前提からの核廃絶や反核のアピールを強調することでしょう。
この反核の訴えでは、ぜひともいま日本国民を憂鬱にさせている北朝鮮の核兵器開発、そしてイランの核兵器開発、さらには着実に核戦力を増強し、しかも年来の「核先制不使用」の方針を崩すようにもみえる軍事大国の中国に対しても核廃絶を求めてほしいものです。
秋葉市長のこれまでの核廃絶の求めは米国に対して、という部分がほとんどでした。米国が世界最大の核大国である事実をみれば、ある程度、納得できる対応ではあるでしょう。日本の防衛には米国の核抑止力が取り込まれているという現実も、この際は棚にあげましょう。そして「核兵器は絶対悪」という日本の反核運動の基本をこの際、最大限に尊重するならば、なおさらのこと、新たに核兵器を開発し、増強している諸国に対しても、その「反核」の矛先は向けられるべきでしょう。
広島市長、明日の式典ではぜひとも、北朝鮮、中国、イランなどの核廃絶をも訴えてください。
以下のこのテーマについて産経新聞に以前に書いた私の記事の抜粋を掲載します。
【緯度経度】「北」には触れぬ“反核運動” /ワシントン 古森義久
2002年12月29日
(略)
日本でも反核派はなぜいま静かなのだろう。すぐ隣の北朝鮮の政権が核兵器の開発をすでに始めたぞと宣言しているのに「核の廃絶を!」というかつて聞き慣れた声はまったく聞こえてこない。ここでまた日本の反核運動について改めて考えさせられる。
日本はいうまでもなく核兵器の攻撃を正面から受けた唯一の国である。広島や長崎の人間的悲劇はないがしろにされてはならない。その体験が核兵器の絶対的な忌避につながるのも自然である。
だがその一方、日本の反核運動の一部がきわめて政治的動機で展開されてきた歴史も否定できない。冷戦時代、ソ連の共産主義体制との連帯を求める勢力が西側陣営の核だけを非難し、ソ連や中国の核は平和維持のためだからよいとして許容してきたのだ。
原水爆を禁じようとする日本での運動が共産党系、社会党系に分かれて激しく対立してきたのも、その例証である。
冷戦中にはソ連当局がひそかに西側自由陣営の反核運動をあおっていた事実もいまでは明らかとなった。一九八〇年代には北朝鮮が日本の元赤軍派を使ってヨーロッパでの反核運動に加わり、日本向けの反核宣伝文書を作っていたことも関係者により暴露されている。そもそも一般市民による反核運動というのはソ連とか中国、さらには北朝鮮という全体主義国家では起きえない。起きても瞬時に弾圧される。日本や米国のような自由の国でしか展開されないのだ。全体主義国にはそもそも世論が政府を動かすメカニズムもない。だから反核のほこ先は自由主義国政府の核兵器に対してのみ効果を発揮してきた。
東西冷戦中、反核運動には構造的にこういう偏りがあった。だが冷戦がとっくに終わったいまも日本の反核運動は同盟国の米国の核には抗議しても、脅威たりうる北朝鮮や中国の核には奇妙なほどの沈黙を保つ。運動の歴史的偏りのせいだとは思いたくない。
(略)
by mayo5
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