【コラム】韓国にはびこる責任逃れの言い回し(下)
一時は、学校などで国語の先生がこの「ようです」という言い回しを正そうと必死になる姿を見かけたことがある。しかしその甲斐もなく、今ではテレビを見ると多くの人が二つの見解を同時に話すときに、最後は「ようです」で締めくくる。番組の進行を務めるプロのアナウンサーや司会者たちや、彼らの問いかけに応えるゲストもそうだ。ただし、この程度なら日常の言葉遣いが「ちょっと乱れている」といった程度で済むだろう。しかし今は社会や国の有力者や実力者たちが、何らかの意図を持って「ようです」という言い回しをあえて使っているのだ。
かつてMBCの社長を務めた民主党のチェ・ムンスン議員も最近、「放送通信委員会のチェ・シジュン委員長は、イ・ミョンバク政権でのチャ・ジチョル(パク・チョンヒ元大統領の警護室長)のようだ」と発言した。「マスコミを政治権力から守らねばならない立場にある人間が、マスコミを無所不為(思い通り何でもできるという意)に操ろうとしている。その高慢な態度には怒りを禁じ得ない」というのがその理由だ。「チャ・ジチョルのようだ」という表現をおおっぴらに使うのであれば、その人間がどのようにして報道の自由を抑え込んでいるのか、また「無所不為」とはどのような行為のことをいうのか、これらを「事実」に基づいて説明すべきだろう。元MBC記者のチェ議員は、過去に「事実に基づいて語ること」を金科玉条のように考えていた。ところが今はチェ議員でさえも、このように「事実」にはあえて言及せず、「ようです話法」をたびたび使うようになったのだ。
「あいつはバカだ」とだれかが口にしたとき、それを口にした人間はその「責任」を負わなければならない。しかし「あいつはバカのようだ」と言えば、負うべき責任の度合いは半減する。「ようです」はあまりエネルギーを使わずに相手を攻撃する効果的な方法の一つだ。「よさそうです」という言い回しも責任が軽くなる。「よさそうでしたが、実はそうじゃなかったですね」と言えば済むからだ。攻撃するときもひきょうに、また守るときはよりひきょうに。韓国社会は徐々にひきょうな攻撃者とひきょうな守り手ばかりになっている「ようだ」。
エンターテインメント部=パク・ウンジュ部長
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