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日本が変わる:民主、強まる小沢色(その2止) 来夏参院選に期待も

 <世の中ナビ NEWS NAVIGATOR>

 ◇自民「民主は『小沢党』になる」

 3日夜、「小沢幹事長」就任のニュースに政治の街・永田町が大きく揺れた。衆院選で民主党圧勝に導いた小沢一郎代表代行が党務を完全掌握し、来年夏の参院選を陣頭指揮することに期待と警戒が交錯した。

 3日午後10時35分ごろ、東京・永田町の民主党本部に車で乗り付けた小沢氏は、報道陣のカメラのフラッシュを浴びる中、「幹事長就任要請を受けるのか」との記者団の質問をさえぎり、無言のまま党本部に入った。

 「これから小沢代行に幹事長に就任してもらうために呼ぶ」と鳩山氏が記者団に明らかにしてから約2時間。会談はわずか10分で終わり、いったん車に乗り込もうとした小沢氏は記者団の前に引き返し、「代表から幹事長就任の要請を受けました。党人なのでお受けしますと返事をした」とだけ答え、党本部を後にした。

 深夜の電撃的な幹事長就任劇。衆院選直後は党内にうずまく「小沢支配」への懸念を考慮してか「責任の分散」を強調して選挙担当の代表代行続投を示唆していた鳩山氏が公然と小沢氏に大きく傾斜した瞬間だった。

 小沢氏に距離を置く党内のグループには衝撃が広がった。小沢氏に対抗し、留任に傾いていた岡田克也幹事長は鳩山氏が「小沢幹事長」を記者団に明かす直前、鳩山氏と会談。その後無言で党本部を去った。

 小沢氏周辺からは「岡田外しだね、こりゃ」との声が漏れ、岡田氏を支持する中堅議員は「全くわからん」と落胆した声で語った。小沢氏に挑んだ岡田氏が権力闘争に敗れた、という構図で語られている。

 だが、小沢氏が衆院選圧勝の功労者であることに変わりはなく、幹事長就任を順当視する見方は大勢だ。岡田氏支持グループからも「あれだけ選挙で勝ったんだ。来年の参院選もあるし……」との声が漏れ「岡田氏は外相かなにかやるのではないか」と静観する姿勢を見せた。

 自民党時代、幹事長として権勢をふるい、幹事長ポストの重みを知る小沢氏。「政権党の幹事長がナンバーワンだ」と民主党中堅議員は語る。選挙協力で連立相手の社民党や国民新党とも気脈を通じる。社民党の阿部知子政審会長は3日夜、「社民党との協議を重視してくれた。きちんと政党間協議ができる」と歓迎した。

 野党に転落する自民党にも波紋は広がる。大島理森国対委員長は「党務は一切、小沢氏が取り仕切る。民主党は『小沢党』になる」と言い放ち、細田博之幹事長も「表の立場に就けなければ『闇将軍』。小沢さんが最高実力者だと認めたことになる」と小沢氏に攻撃目標を絞るが、政府高官は「自民党も参院選に向け強い体制を作らないといけない」と警戒のトーンを強めた。

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 ◇小沢一郎氏の動き◇

89年 8月 海部内閣発足、自民党幹事長に就任

92年12月 羽田派結成、竹下派分裂

93年 6月 宮沢内閣不信任案に賛成し自民離党、新生党結成

    8月 細川連立内閣に新生党代表幹事として参画

94年 6月 羽田内閣が総辞職し下野

   12月 新進党結成、幹事長就任

95年12月 新進党党首に就任

97年12月 新進党解党

98年 1月 自由党結成、党首に就任

99年 1月 自民党と連立政権を組み与党に復帰

00年 4月 自自公連立政権から離脱

03年 9月 民主党と合併

06年 4月 民主党代表に就任

07年 7月 参院選大勝、参院で自公過半数割れ

10~11月 福田康夫首相(当時)と党首会談。「大連立」を党役員会に拒否され辞任表明するが、撤回

09年 3月 自らの資金管理団体をめぐる違法献金事件で公設第1秘書が逮捕、起訴

    5月 代表辞任、代表代行に就任

    8月 民主が衆院選で308議席獲得(30日)

    9月 幹事長就任要請を受諾(3日)

毎日新聞 2009年9月4日 東京朝刊

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