神魔万象
魔王マステリオンとの闘いに決着がついて1000年。
かつての聖龍、獣牙、飛天、鎧羅の4国は『神羅連和国』として一つの国家となり、平和と秩序を維持してきた。
しかし…
「はあ…」
『神羅連和国』の指導者、皇帝テラスは小さなため息を一つついた。
「いかがなされました陛下。お体の具合でも悪いのでしょうか」
領内の治安の報告に来ていた聖龍公爵リンドウが声をかける。
「大事無い、ただ、最近どうも寝つきが悪いみたいでな。まあ、これだけ各地域で地震が続いているのじゃ。心配で眠れなくもなろう」
そう、今『神羅連和国』内部では各地域で原因不明の地震が頻発していた。
国内の学者を総動員しても原因は特定できず、またそれと時を同じくしてそれまで人間と共存していた原生モンスターが町を襲撃したり、旅人に襲い掛かってきたという報告が上がってきていた。
そのモンスターの中には今まで見たことも無い、まるで悪魔のような容貌をしたものもあったという。
明らかに何かしらの異変が起ころうとしている。しかし、その原因は杳として知れず、国全体に重苦しい空気が流れていた。
それらのことにテラスが頭を痛めていたことは確かだ。
まだ幼い身でありながら国全体、民全体のことを考えているテラスにリンドウは感心しながらも微かな罪悪感を感じていた。
「左様でございますか。ですが陛下、あまり気を重く持つのはお体に毒です。原因は我らが必ず突き止めます故、是非とも心安らかに為されますようお願いいたします」
「うむ。そうじゃな…」
リンドウの心遣いにテラスの顔に少しだけ笑みが戻ってきた。
「それではリンドウ、おぬしの地域の状況を聞こうか」
「わかりました。まずは…」
少しだがテラスの顔色が良くなったのを見て胸を撫で下ろしたリンドウは、手に持ったレポートの帯を解いた。
1章〜私ガ本当に望ムモノ
「はあ…」
これで何度目のため息なのだろうか。床に入っても重い気は晴れるどころか、ますます重くなっている気がした。
リンドウは昼間ああ言ってくれたが、自分の立場を考えたら心安らかになるはずはない。もしかしたら、今もどこかで誰かが家ごと潰されたりモンスターに襲われているかもしれないのだ。
国を守らねばならない。国民を守らなければならない。自然を、生物を、大地を…
自分はこの国の全責任を持つ皇帝なのだから。
しかし、自分は何も出来ない。ただ豪奢なだけの椅子に座り、重いだけの冠と杖を身にまとい、部下の報告に眼と耳を通すだけ。
「わらわは、無力じゃのう…」
テラスは自嘲とともにその体をくの字に丸めた。
2年前、遊説に出ていた両親が不慮の事故で他界して以来、テラスは若干10歳にして『神羅連和国』の皇帝に即位した。
いくらなんでも幼すぎるのではないかとの意見もあったが、両親の教育の賜物か、それとも天憮の才なのかテラスは指導者として充分な知性と見識を持ち、聖龍、獣牙、飛天、鎧羅各地域を治める4人の後見人の力添えもあって国家運営に支障をきたすことは無かった。
だが、いくら皇帝のしての力量が高いと言っても、その実体は若干12歳の少女である。その幼すぎる体にかかる責任は、それに反比例して大きすぎた。
ここから逃げ出したい。冠も杖も投げ捨ててただの女の子に戻りたい。そう思ったのも一度や二度ではない。
いや、実際実行しようとしたこともあった。
しかし、そんなことができるはずもなかった。責任の放棄、我侭、理由はいくらでも頭に浮かぶ。
しかし、何よりもテラスは
『父と母が愛した国を放り捨てて、自分だけ逃げるわけにはいかない』
と常々考えていた。あまりにも早く両親を亡くしてしまった少女には、皇位を捨て国を捨てることは、両親を捨てるに等しい行為だった。
「父上、母上…、なぜテラスを残して逝ってしまわれたのですか…」
両親が生きていれば、自分は今皇帝にはなっておらず少女のままでいられた。
朝から晩まで訳のわからない書類に目を通すことも、家庭教師の理不尽な学習に付き合うことも、多数の国民の前で虚勢を張り巡らすことも無かった。
毎日気心の知れた友人と遊びまわり、他愛ない話に花を咲かせ、時には駄々をこね、思い切り笑ったり泣いたり怒ったり出来た。
父が、母が死ななければ、こんな苦痛を味わうことも無かった。
父が、母が死んでいなければ、自分はただの少女でいられた。
父が、母が生きていれば、毎日こんなに悩む必要は無かった。
な ん で 父 は、母 は 自 分 に こ ん な 人 生 を 与 え た の だ。
憎 々 し い。 死 ん で し ま え ば い い の に
「…!わらわは何を考えているのじゃ!」
突如心の中に巻き上がった黒い感情に、テラスは思わず大声を上げた。
父や母に怨嗟の声を上げるのみならず、死んでしまえばいいなどと考えるなど…
ましてや、両親はとうの昔に死んでいるではないか。罰当たりにも程がある。
「疲れているのじゃ。わらわは疲れているのじゃ。もう寝よう。眠ってすべてを忘れよう」
ただでさえ青白かった顔をさらに青く染め、テラスはシーツを頭から被ってベッドの中に潜り込んだ。
小さな体をさらに小さく屈め、両腕を胸の前で抱え込んだ。体の震えが止まらず、大きなベッドが小刻みに揺れていた。
その口元からはカタカタと歯が鳴る音が響き、瞳は慙愧と後悔で見開き、涙が止め処なく流れ続けた。
寝よう、寝ようとしたが、その瞳はなかなか下におりようとはしてくれなかった。
☆
なぜだろう、体の節々が突っ張っている感じがする…
いつの間にか眠ってしまっていたのか、テラスは妙な感覚を体に感じ意識を呼び覚ました。
確かベッドに潜り込んでいたはずだが、頭を出してしまったのかその視界はシーツではなく部屋の景色が見える。
あれはお気に入りの本を読むときに座る机、あれはいつも朝の光を送り込んでくれる窓。あれは一日の疲れを癒すために寝るベッド…
「ベッド?!」
まだ少し夢うつつだったテラスの意識が一気に覚醒した。自分は今までベッドに潜って寝ていたはずだ。
ではなぜ起きた時にベッドが見えるのか。
まずは状況を確認しないと。そう思ったテラスはベッドに近づこうとした。
しかし、踏み出すはずの一歩は前に出なかった。いや、前に出ようとしたのだが何かが引っかかって踏み出せないのだ。
何事かと思って足元を見ると、足首に何かが巻かれている。白い糸のようなものが足首から部屋の壁に向かって一直線に延びていた。
いや、それは脚だけではなかった。手、首、腰、あらゆる所が糸によって縛り付けられテラスの四肢を拘束していた。
「こ、これはどうしたことじゃ?!」
起き抜けに起こったあまりにも非現実的な状況にテラスの頭はパニックになりかけた。
その時
「おや、お目覚めになられたようですな」
部屋の隅あたりからゾッとするような低い声が響いてきた。拘束されている首をなんとか声のする方向に向けると、二人の怪人物が視界の中に入ってきた。
月明かりの中に見える姿は、一人は全身が痩せこけ、薄汚れたフードで頭を覆っているが、その中に見える顔は眼だけが爛々と光り輝くおぞましい骸骨になっている。
もう一人は頭に蜘蛛のような兜を被り、手には見るからに邪悪な文様が描かれた石盤を抱えている小男。どう見てもこの世のものではない。
どこの者とも知れぬ怪物が寝室に入り込み、しかも自分は身動きが取れない。震える心を必死に抑え、テラスは気丈に怒鳴りつけた。
「おぬしらは何者じゃ!何故にわらわの寝所に潜り込んだ!」
「おお、これは名乗りもせずに失礼いたしました。私の名前はボーンマスター。マステリオン皇帝陛下の使者…。と申し上げておきましょう」
骸骨男はボーンマスターと名乗ったが、テラスの耳にその名前は入ってはいかなかった。
マステリオン。その言葉を聞いた途端にテラスは飛び上がらんばかりに驚き、その前に出た名前などすぐさま失念してしまったからだ。
「マステリオンじゃと?!ならばその使者となればおぬしら…、皇魔族と申す輩か!」
現在より1000年前、この中央大陸に忽然と現れた皇魔族。この世界とは異なる世界から現れたという彼らはマステリオンと言う怪物を頂点とし、時の皇帝を殺害してこの世界を我が物にせんと侵略を開始してきたという。
しかし、マステリオンは当時の四部族の長が力をあわせ撃退し、その邪悪な魂は至宝『聖龍石』に封印され、彼らの野望は阻止されたとされている。
現在自分が皇帝を勤める『神羅連和国』はこの時に出来たと家庭教師に聞かされたが、自分としては御伽噺程度にしか感じていなかった。
そもそも1000年も前のことだから記録も記憶もあやふやなものしか残っていない。皇魔族などというものも、当時世界征服を行おうとしていた無粋な連中を揶揄したものだろう。その程度にしか認識していなかった。
しかし、皇魔族は現実に存在した。しかも、自分の目の前にいる。
「ほう…。地上では我らのことはすっかり忘れ去られていたようですね。たった1000年前のことだというのに、人の心はこうも移ろいやすいものですかね。ヒヒッ」
感情を表現できそうも無い骸骨面をいびつに歪めて笑うボーンマスターの姿に、12歳の少女でしかないテラスの虚勢はあっけなく吹き飛んだ。
「だ、誰ぞ出会え!狼藉者じゃ。狼藉者が、侵入したぞ!!」
声を限りに絶叫するテラス。普段ならこんな声を上げずとも寝室の前の番兵がたちまち入り込んでくる。でも、そんなことを考えている余裕は今のテラスには無かった。
しかし、扉は開かなかった。番兵も入ってこない。
「はやく、早く来るのじゃ!なにをしておる!!」
顔を恐怖と涙で引きつらせながらテラスは叫び続けた。しかし、やはり扉が開くことはなかった。
「な、なぜじゃ、普段は呼ばれずとも入ってくるというのに…」
「ヒヒヒッ、いいねぇ〜。細い心が砕け散る様は」
不意に、今までボーンマスターの後ろにいた蜘蛛男が下卑た笑い声を上げた。
「あんたの護衛兵は全員、グ〜ッスリとおねんねしているってのよ。ほら、これでねぇ」
蜘蛛男…アナンシが懐から取り出したもの。それは毒々しい色をしたキノコのモンスターだった。
「この魔ッシュルの胞子を吸ってしまった人間は、朝までグウグウ寝ちまうって寸法なのよ。無駄な努力、ごくろうさん」
このアナンシ、どうやら人間を絶望の淵に落として楽しむ趣味を持っているようだ。そうでなければ、わざわざもったいぶってこんな話をする訳がない。
「そ、そんな…」
「いいねぇ〜〜!いいねその顔!!絶望に沈むその顔はふだんよりよっぽど綺麗だよ。ケケケ!」
がっくりと顔を落とすテラス。その表情をアナンシは心底楽しそうに眺めていた。
「わらわを…、わらわをどうするつもりなのじゃ」
数瞬の後、テラスは口を開いた。相手はかつて地上を混乱に落とした皇魔族で、自分はこの国の皇帝。
この時点でテラスはある程度観念していた。
自分を捕らえたということは拉致を目論んでいるか、殺して過去の屈辱を晴らすか。どちらにしろ碌な目にはあわないだろう。
しかし、ボーンマスターから戻ってきた返事は意外なものだった。
「いやいや、我々としては貴方をどうこうするつもりは全くございません」
「…どういうことじゃ?!」
自分をどうこうするつもりはない…思わぬ返事にテラスの顔が一瞬怪訝そうに歪む。
「我々が求めているのは…『聖龍石』ですよ」
「聖龍石…じゃと!」
「そう、我らの主、偉大なるマステリオン皇帝陛下の魂が封じられたこの国の至宝。それこそが我々が求めているものです」
ボーンマスターの返答にテラスは直感した。これは自分をかどわかす事より遥かに事態が重いことを。
「まさか、おぬし等…マステリオンとやらを蘇らせるというのか!」
今まで皇魔族のことを伝説と思っていたように、『聖龍石』にマステリオンの魂が封印されているということも尾鰭のついた昔話だと信じていたテラスだが
こうして皇魔族が現実に目の前に現れたこと。その口からマステリオンの名前が出てきたこと。
それは今まで自分が御伽噺だと思っていたこと…、つまり1000年前にマステリオンのせいでこの大地に惨劇が繰り広げられたこと。そして、そのマ
ステリオンの魂が未だに『聖龍石』に封印されているということ。
これらが全て『現実』に起こったということを表している。
そのマステリオンを現世に蘇らせる…、それは1000年前に起こった惨劇が再び繰り返されるということに他ならない。
いや、1000年もの間平和な時間を過ごしてきた人間に、1000年前と同じ惨劇というということはありえない。1000年前よりも酷い惨劇が起こるのは疑いようも無かった。
「御察しの通り。陛下の復活を1000年間、我らは思い続けていたのですよ」
「ま、実は本当のところ魔界でも俺達マステリオン派は肩身が狭くてねぇ、この人自分の同僚が大出世したのに自分ははぶられたもんだから逆恨みしてねぇ、陛下を蘇らせて夢よ再び…、って感じで」
さすがアナンシ、自分の上司でも容赦が無い。
「黙りなさいアナンシ。それ以上口が滑るようでしたら縫い付けてしまいますよ」
「うぇ、そいつは勘弁だわ」
ボーンマスターの一喝にアナンシは首をすくめた。
「と、まあこの話はともかく…。つまり、『聖龍石』を手に入れるために貴方様の御協力を頂きたい次第でして。なにしろ中央宮殿の奥にある『封印の間』には皇族の力がないと入れないようなのですから」
「バカを言うでない!そのような企て、成就させると思うてか!『聖龍石』は絶対にお主の手には渡さん!!そもそも、わらわが協力すると思うてか!」
『聖龍石』を手に入れたいから協力しろだと?
この骸骨は、自分が自分の国の破滅に繋がるようなことにホイホイと協力すると本気で思っているのだろうか。
本気だったら滑稽だし冗談だったら空気を読まなさ過ぎる。
あまりに突拍子も無いことを言うボーンマスターに、テラスはなんとか心の余裕を取り戻せた。
(なんじゃ、皇魔族というのはこんな抜けた連中なのか。こんな輩にビクビクしていた自分が恥ずかしいわ)
しかし、ボーンマスターから返ってきた返答はまたまた意外なものだった。
「ええ、思いますよ。貴方様は我々の企てに御協力してくださる。って」
「なんじゃと…」
「我々に協力してくだされば、この神羅連和国といった監獄を打ち消すことが出来るのですよ。
貴方様を鎖で縛りつけ、一片の自由すら許さない監獄。この監獄さえなくなれば、貴方様は皇帝などという名ばかりで何の利益も幸福ももたらさない檻から開放されテラスという一人の少女として振舞うことが可能になるのですから」
「な………?!」
ニヤリと笑うボーンマスターに対し、テラスの心はとてつもない衝撃を受けた。
皇帝ではなく、一人の少女として生きる。
責任、使命から開放され、ただ一人の人間として生きる。
それは口にこそしなかったが、間違いなくテラスが心の片隅で願っていることだった。
「どうですかな?テラス様」
「そ、そのようなこと願うわけなかろう!わらわは、わらわはこの国の皇帝じゃ!
わらわは、自らの意思でこの国の皇帝の座についておる!そのような俗な願いなど考えたことも無いわ!!」
自分の心を見透かされた動揺なのか、半ば声を荒げながらテラスはボーンマスターを睨み返した。
しかし
「いえ、そんなことはありますまい。そもそも、貴方様は皇帝とは申せまだまだ幼い子供なのですぞ。
本来なら温かい家庭で父母の愛情に囲まれ、気心の知れた友人と他愛ない話で時間を潰し、束縛の無い時間を無為に過ごす。
そんな『普通の子供』が『当たり前』に行う事。それを貴方様は『当たり前』にできているのですかな」
「そ、それは…」
父母には事故で先立たれ
一日中官僚と兵士と家庭教師で囲まれ
分刻みのスケジュールを毎日要求される
それは普通の12歳の少女が行う生活ではなかった。『当たり前のこと』を『当たり前』に出来ていない。
止むを得ないとはいえ、周りの人間が自分に与えた理不尽な状況を、テラスは改めて真正面からぶつけられた。
「どうですかな?出来てはおりますまい。貴方様はそれでそれでよいのですか?
自分だけ泥を被っても、周りがきれいならばそれでよいというのですか?」
「…ぁ」
「あらゆる責任を貴方様に被せ、なんの責を帯びることも無く、ただいたずらに時
と資源を浪費する官僚や学者を、貴方様は許すというのですか?」
「………ゃぁ」
「貴方様を好奇の目で見つめ、意味も訳もわからず囃し立てるだけで、貴方様のこ
とを少しも解ろうとしない国民を、貴方様は許すというのですか?」
「………ぃゃぁ…」
ボーンマスターの呟きが鼓膜に刺さる毎に、テラスの心に喩えようの無い冷たい風が叩きつけられた。
そうだ。まわりは何も解っていない。
国史だの世界だの環境だの、そんなものは自分は何も知りたくはない。
地位だの名声だの尊敬だの、そんなものは自分は何も欲しくはない。
私が知りたいのは上も下も無い人と人との付き合い。
私が欲しいのは何のしがらみも無い一人の人間としての生活。
どれほど恋焦がれ、また憧れてきたか。
どれほど願い、切望してきたか。
だが、周りの人間はそんな当たり前のことすら許さない。
「皇帝だから」
「皆を治めるものだから」
「貴き者だから」
誰がそんなことを望んだのか。私はそんなこと、欠片たりとて望んではいない。
望んだのは周りだ。
御輿が紛失してしまったため、代わりを作らねばならないと思った周りの愚にもつかぬ輩どもが、何も知らない、何も理解できていない自分を都合のいい御輿として持ち上げ、担ぎ出したに過ぎないのだ。
「陛下が封印されて1000年!長き封印はその効力を弱め、地上にその力を顕現なされはじめました!
近頃暴れている原生モンスターや頻発する地震は、まさにその力の表れ!
いや!大多数の人間は気が付いてはいませぬが、その人間の心すら、陛下の偉大なお力は揺り動かしているのです。
気づきませぬか!貴方様のお心にも深く根ざす、邪なる息吹が!感じませぬか!他人の邪心を!!」
ああ、そうか。近頃気持ちが重くなっているのがわかった。
私は、憤っていたのだ。自分を拘束する無駄なしがらみに。
怒っていたのだ。何も考えず私にすがる無能な人間どもに。
怨んでいたのだ。自分を捨てた、無情な親に。
「今こそ陛下を復活させる、唯一無二の好機なのです!
ここで陛下を復活させることが出来なければ、貴方様はこれから一生人間らしい暮らしを許されず、偶像としての無味乾燥な人生を送ることになるでしょう!
それでいいのですか!貴方様はただ一回の自分の人生が、そのような灰色の時間で潰されて、よろしいのですか?!」
「…………いやぁ………」
テラスの中で何 か が 切 れ た
いやあああぁぁっ!!
私だって、私だって普通に生きたいのぉ!!
友達だってたくさん作りたいし、いっぱい遊びたいのぉ!!
なんで?何で私だけ『特別』なの?!
私だって、普通の女の子だよ?!
なんで、ふつうに生きられないの?!!
なんで私だけ逃げられないの?!
もういや、もういやなのよおおぉっ!!
涙が止まらなかった。声が止まらなかった。
これまでずっと自分で押さえつけ封じ込めていた心の闇。
ずっと、ずっとずっと圧縮されてきた『それ』は、一旦開放してしまうと押さえが利かず、次から次へと溢れ出てきた。
あまりの濃さに実際に肉眼で捉えられ、部屋を覆い尽くさんばかりに広がるような感じさえあった。
いや、
『それ』は実際にテラスの体から噴出していた。『悪意』と言う名の瘴気が。
「そうです!逃げていいのです!!」
「逃げて………、いいの?」
本来の姿…12歳の少女の姿でわんわんと泣きじゃくるテラスに、ボーンマスターがあやすように語りかけた。
「そうです!このような虚飾に満ちた世界から逃げてしまってもいいのです!
この世界の秩序が貴方様を縛るなら、そのような秩序など打ち壊してしまえばいいのです!
そして貴方様の本当に望む、本当に必要な世界と秩序を、作ればいいのですから!」
「そんなこと…できるわけが…」
「出来ます!陛下のお力を持ってすれば世界の秩序を崩壊させるなどたやすいこと。
陛下のお力を開放させさえすれば、貴方様の望む世界がきっと作れますぞ!」
「私の…、望む世界……」
虚ろな瞳に微かに光が戻る。だがそれは、決してそれまでテラスの瞳に宿っていた澄んだ光ではなかった。
「私が……世界を作る……。私の…世界を、作る……」
まるで自分に言い聞かせるかのように、テラスは言葉をぼそぼそと紡いでいく。
そして、その言葉を口にするにつれ、心なしか噴出した『悪意』がテラスの中に戻っていくような感じがしている。
「そうです!『我ら』の主、マステリオン陛下と共に世界を作り変えるのです!貴方様にはそれが出来る力があります!」
「私が…私が…陛下と共に…世界を、つくり、かえる………」
テラスの口元が微妙に笑みで釣りあがってきている。その笑みはそれまでテラスが形作ったこともないような、欲望と悪意で黒く染め上げられたものだった。
もう疑うべくも無い。テラスの体から開放された『悪意』は確実にテラスの内に戻りつつある。
しかしそれは、テラスの心の内には戻っていかない。むしろ、テラスの外にあった心の光を塗りつぶして漆黒に染め上げていく。
(あはは……。なにこれ?私、今すっごく気分がいい!なんて晴れ晴れているの?!)
自分の心の中に表現しようの無い闇が広がっていく。だが、それに嫌悪感は無かった。
なぜならそれは、自分が心から望んでやまないものだったからだ。当たり前のことを当たり前に思ってきた。それが開放されただけだ。なぜ嫌がることがあるのか。
「さあ、誓うのです!我々と共にマステリオン陛下を解放し、地上を絶望の闇に作 り変えていくことを!さあ!!さあ!!!」
ボーンマスターが望む世界は明らかにテラスの望む世界とは異なっている。しかし 自らの心を闇に囚われたテラスに、その違いがわかることはなかった。
「……かいます……。誓います!!私は我らがマステリオン陛下を解放し、この世
界を絶望で覆い尽くすことを、誓いますぅぅっ!!」
「よくぞ言った!契約は為された!さあ、テラスよ、その身を陛下の下僕にふさわ しい姿に新しく生まれ変わらせるがいい!」
テラスの誓いに満足げな笑みを浮かべたボーンマスターがその両手を振り上げると 、テラスの周囲に広がっていたテラスの『悪意』が更なる奔流となってテラスの体内 に吸い込まれていった。
「うあああああぁぁぁぁっ!!!」
テラスは自らが生み出した『悪意』の流入に翻弄され、かつそれに伴う魂の開放に 今までに無い開放感を感じ苦痛とも歓喜とも取れる表情を浮かべていた。
(変わる………、私が変える。私が…変わる……、私を、変える……!!)
『私を変える』。その言葉どおり、『悪意』の流入と共にテラスの外見も変化を始めていた。
澄んだサファイアブルーの瞳は禍々しい金色に輝き始め、多少色白だが健康的だっ た肌は血が通わぬような冷たい青色に染め上げられていく。
頭に生えた小さくも雄雄しい角はどす黒い色に変わると共にその形もいびつに歪んでいっている。
そして最後に、背中に竜を思わせるような黒い鱗と赤い皮膜で出来た羽、お尻から は悪魔と形容するしかない異形の尻尾が生えてきた。
それはかつてテラスが教えられた皇魔族の特徴と全く同じものであった。
「あ、ああぁ……。ああぁぁっ!!」
自分の周りに渦巻き取り込んでいく『悪意』。その奔流に意識 が飛ぶ寸前、テラスは自分か皇帝になって自由な時間がほとんど取れなくなった後も、周りの目を盗んではよく自分の部屋に入り込み遊び相手になってくれた青髪の少年の顔を思い出した。
が、それすらも『悪意』の奔流は黒く塗りつぶしていき、『悪意』が完全にテラスの内に取り込まれたときにはそんな甘い青春の思い出などきれいさっぱり消え失せていた。
「…………」
数刻の後、テラスはその双眸を開いた。見ている景色はいつもと変わらない自室だ。
しかし、そこから受ける印象はつい数刻前までのテラスとは全く異なっていた。
あんな地味なベッドなんて、見ているだけで心がむかつく。
毎日毎日必要もないことを延々と覚えこまされる勉強机…、今すぐにでも叩き壊したい!
父と母の肖像画?自分を捨てて勝手に死んだカスを、何故こんなにありがたがって飾っていなければいけないの?
なによあの小さな花は?私はこの国の皇帝なのよ?あんなちゃちなものじゃなくてもっと派手な…そう、人間の死体なんかを
使って盛大に飾り付ければいいのよ!
本当に、なんてつまらない部屋なの?!
金色に輝く瞳で一瞥をくれるとテラスは浮いた体を床に下ろそうとして、自分の四肢が糸で拘束されていることを思い出した。
「いつまで………くっついているのよぉ!!」
少しだけ力を加えて引っ張ると、先ほどまではびくとも動かなかった糸はブチブチと音を立てて引きちぎれ、その弾みで糸を縫い付けてあった壁飾りやクローゼットがばたばたと倒れ落ち、床に無残な姿を晒していた。
が、そんなものには目もくれず、自由になった四肢をテラスはしげしげと眺めた。
「うふふ…」
両の眼に映るのは青白く染まった肌。血の温もりも感じさせない感触が心地よい。
寝巻きをずたずたに引きちぎって現れたのは一対の羽。少し力を入れて羽ばたいたら、脚が床から離れた。重力を感じない感覚が新鮮だ。
ショーツを貫いて現れたのは一本の尻尾。こう動けと思うだけで自由自在に動き回る。その気になればなんでも貫くことが出来るだろう。
そして何より、心の中が先程までと全く異なっていた。
あれほど重く、沈んでいた心が嘘のように晴れ渡っている。重く垂れ込んだ雲は一塵も無く消えうせ、どこまでも澄み切っている。
自分はなぜ今までこれほど多くのものを背負い込んでいたのだろう。どれもこれも自分の意思で背負ったものではない。
だからどうだ!その全てを捨て去ってしまった今、自分の心はこれほどまでに軽やかではないか!!
あは、あは、あはははははっ!!
笑った。テラスは生まれて初めて声を大にして心から笑った。未だにあるかもしれない自分を押し付けていたものの残滓すら、全て吐き出してしまうかのように。
「なんて素敵なの?!全てを捨てて初めてわかったわ!私、今何にも迷ってない!何も迷わない!なんて素晴らしいの!!」
そう。何も迷うことが無いテラスの心は澄み切っていた。そこには何の不純物も障害も無く、どこまでもどこまでも続く………
何もない、空っぽの心があった。
どれほど笑っていたのだろうか、いつの間にかボーンマスターがテラスの脇に立っていた。
「おお、お目覚めになられましたか。しかし、寝覚めの挨拶としては、少し大袈裟ではござりませぬか?」
なるほど、テラスの周りにはメチャメチャになった部屋が広がっていた。確かに一介の目覚めとしては少々派手に過ぎるところがある。
「構わないのよ。こんな牢獄にも等しい部屋、全部崩れたって少しも惜しくは無いんだから。
むしろ、これから新しく作り変えてしまえばいいのよ。この私に相応しい、素晴らしい部屋にね」
先ほどまであれほど恐れていたボーンマスターの問いかけに、テラスは少しも臆することなく応えかけた。
「左様でございますか。それで、テラス様、陛下のことですが…」
「ええ、これから貴方達を『陛下』の『寝所』へ案内するわ。付いてきて頂戴」
くるっと踵を返し、尻尾をゆらゆらと揺らしながらテラスは寝室の扉の方へ向かった。
その姿を見て、ボーンマスターとアナンシは不敵に微笑んだ。
「ボーンマスター様、あわれなもんですねぇ。何が自分の意志だよ、あんたどう見ても陛下の操り人形だっての!
人形は所詮、どこまで行っても人形のままなんだよ。人形は持ち主を選べない。あんたの持ち主が人間から陛下に替わっただけの話なんだよ。
しかし、一国の皇帝ともあろう人間が、こうもあっさりと堕ちてくれるなんて。おいらの力を使うまでも無かったですねぇ」
「所詮はか弱き人………、と言いたいが、あの小娘は自分を特別にしなければいけないという思いが強すぎたのだ。自分を『光』として強く見せなければいけないと思えば思うほど、その陰に隠れる『闇』もまた、色濃くなっていくものだ。
『光』が『闇』を完全に打ち消すことは出来はしない。なぜならば『光』と『闇』は対のものだからだ。それ故、あまりにも強大な『光』を持つあの娘はあまりに巨大な『闇』を持つ娘でもあるのだよ。
我々は『光』を覆い隠すような無駄なことはしない。なぜなら、『光』はほんの小さなきっかけを与えることで、たやすく『闇』へと変わるのだからな。ケケケ…」
「ちょっと貴方達、なにぐずぐず喋っているの!さっさとこないと、陛下に会わせるより先にあの世へ送っちゃうわよ!」
「おっとっと、姫様がお怒りですよ。ボーンマスター様」
「せっかく1000年待った身、ここであの世に送られてはかないませんからな」
一人でずかずか先を行くテラスに、二人は苦笑しながらついていった。
中央都市宮殿『封印の間』。
かつてこの世界を恐慌に陥れた魔王マステリオンの魂が封印された『聖龍石』が安置されているここは、宮殿が造られて以来厳重な封印が施されたうえに屈強な兵士に護らせることによって何人も入らせないような措置が為されていた。
この夜も、寝ずの番で二人の衛兵が扉の前に立ち、不審者がやってこないか目を尖らせていた。
「でもさ…、これって意味のないことじゃあないのかね」
片方の兵士が隣の兵士にボソッと口を開いた。
「なんでさ?」
「ここが本当に結界で封印されているなら、俺たちがここにいようがいまいが関係ないだろ?開けた事なんか無いから結界があるかどうかなんてわからないけど」
既に深夜を大きくまわって、眠気に悩まされながら中で任務に対して愚痴を吐く兵士はかなり不機嫌そうだ。
「そもそも、ここって1000年もずっとこのままなんだろ?その間、ここを狙ってきた奴なんて誰もいないと聞くじゃないか。
大体、本当に魔王なんていたのかよ。おとぎ話かなんかじゃないのか?」
「う〜〜ん、それは確かにいえ
愚痴に併せて相槌を打っていた兵士の言葉が、不自然な位置で途絶えた。
「ん?どうし……」
突然言葉を止めた隣に対して愚痴を言っていた兵士が怪訝な顔を向けると、隣の兵士は背筋をピンと伸ばし小刻みに震えていた。
「あ、あぁ……ガハッ!」
カタカタと顎を鳴らす兵士の口から、突然真っ赤な血がどぼどぼと流れ出てきた。
見ると、その胸から真っ黒い矢印のようなものが血に塗れながらにょっこりと顔を出している。
「えっ?!お、おい……!」
突然のことにびっくりした兵士が駆け寄る間もなく、胸板を貫かれた兵士はそのままどさりと床に倒れた。その背中から生えている兵士を貫いた矢印は闇の向こうに伸び、その先には小柄な一人の侵入者がいた。
「だ、誰だ………」
恐々と槍の舳先を向けた兵士の前に現れたのは、その兵士はおろかこの宮殿内で知っていない人間は絶対にいない人物だった。
「何バカなこと言っているのよ。陛下がおとぎ話ですってぇ?」
「テラス様?!」
何故こんな時間にこんな場所に……。最初兵士は首を捻ったが、すぐに目の前のテラスから発せられる違和感に気がついた。
ここは灯りもそんなに多くなく、どうしても薄暗くなってしまう。
でも、目の前のテラスの顔色はそんなことを差し引いても異様に悪い。まるで、血が通ってないみたいだ。
なのに、その目だけは異様に輝いて見える。この暗い中、まるで金色に光っているかのようだ。
そしてその腰から伸びる羽と尻尾……。まるで、本で読んだ悪魔のような……
「えっ?!」
それはない。そんな風体をしている人間なんてありえない!
いや、そもそもそこで血を流して事切れている兵士の胸から飛び出ているものはテラスの腰から伸びている尻尾ではないか!!
「テラ………!」
驚愕と恐怖に包まれた兵士が目にしたのは、今度は自分に向って物凄い勢いで突っ込んできたテラスの尻尾だった。
「ぐはっ!!」
先の兵士同様、一撃で心臓と肺腑を貫かれた兵士は夥しい喀血をした。
その光景を、テラスはとても面白そうに見つめていた。
「うふふ…。まるで滝みたいに真っ赤な血が流れてる……。なんてキレイ……。それに、この暖かい感触……」
テラスは兵士を突き刺した尻尾をぐにぐにと蠢かせ、兵士の体内を引っ掻き回した。そこから発せられる激痛に兵士は絶叫と共に糸がこんがらがった操り人形のように体を不規則にばたつかせ…やがて絶命した。
「あはは!もう死んじゃった!!ほんと人間って弱いわね!ちょっと体をいじっただけなのに!」
動かなくなった兵士に興味がなくなったのか、テラスは兵士から尻尾を抜き取ると血塗れの先端を青黒い舌でぺろりと舐めた。赤錆臭い血の味が口一杯に広がり、一瞬テラスの顔が恍惚に囚われる。
「あはぁっ…いい味ぃ……。もっとこうしていたい……。けれど……」
自分にはやるべきことがある。テラスは己の為すべきことを思い出し、皇魔となって錐のように鋭くなった牙で自らの掌を噛み切ると封印の間の扉にかざした。
すると、テラスの持つ皇帝の血に反応したのか扉全体が一瞬青い光を放ち、裏側からカチリと何かが外れる音がしたと同時に扉が軋んだ音をして左右に開かれた。
「ふふ…。まさか本当にここを開く時がくるなんて」
テラスが皇帝として即位した時、宮殿の文官から封印の間の事とここの開き方は聞いていたが、別段聖龍石に対する興味はなかったし、開けることで起こる禍のことを考えるととても開ける気にはなれなかった。
だが、皇魔として生まれ変わった今は別だ。
この扉の先に、自分たちが崇める皇帝陛下の魂が封じられている。一刻も早くこの狭い空間から解放してさしあげなければならない。
「あぁ……」
1000年という長い間閉めきられてきた封印の間。この宮殿にいる人間の誰も見たことがない部屋の中に一歩脚を踏み入れたテラスの前に、大仰な台座の上に翡翠色の宝玉が厳かに鎮座していた。
「これが…、これが陛下の魂……」
震える手を伸ばし、テラスは聖龍石を手に取った。ひんやりとした冷たさと共に意外な重さがテラスの手に感じられる。
「これから魂を解放すれば……、陛下が御前に……!あぁ!」
まだ見ぬマステリオンの姿を夢想したのか、テラスは瞳を潤ませながら聖龍石をぎゅっと握り締めた。早く、早く目にしたい。この地上を自分の望む世界に作り変えてくれる陛下に早くお仕えしたい!
「これを……壊せば!」
きっと、皇帝陛下がすぐにでも御姿を表してくれる!
テラスは両手で聖龍石を頭上に抱え上げ、床に叩きつけようと大きく振りかぶった。
「ほほう、これが封印の間の中ですか……?!」
「あっ!ボ、ボーンマスター様!!」
テラスに置いてけぼりをくらい、ようやっと封印の間に入ってきたボーンマスターとアナンシが目にしたのは、今にも聖龍石を壊そうとしているテラスの姿だった。
「お、お止めくださいテラス様!聖龍石を壊したら皇帝陛下も復活できませぬぞ!!」
「え?!」
ボーンマスターの必死な声に、正に振り下ろそうとしていたテラスの腕がぴたりと止まった。
「ボーンマスター、どういうこと?これに陛下が封印されているなら、これを壊せば復活するんじゃないの?」
「事はそう簡単ではありませぬ。陛下が御復活されるには、この聖龍石を魔界の最下層へと持ち込み、復活の儀式を施さねばなりませぬ。
これから私めが聖龍石を魔界へと持っていきますゆえ、御復活にはしばしの辛抱を……」
髑髏顔に精一杯の愛想を浮かべ、ボーンマスターはテラスにへこへこと平伏した。が、今すぐにでもマステリオンに合えると思っていたテラスは面白くない。
「なにそれ?じゃあ陛下が御復活するのはまだまだ先だっての?!ふざけないでよ!!
その間、私はまだこの牢獄のような宮殿にいろっての?そんなことするくらいなら、陛下が復活する前にこの地上を私一人で住みやすい世界に変えてしまうわよ?!」
テラスは怒りのあまり不機嫌そうに頬を膨らませ、髪の毛はざわざわと逆立ちはじめている。今まで抑圧されてきた反動からか、感情の変化が実に分かりやすくなっているみたいだ。
(むぅ……。ここまで激しい性格に変化してしまうとは……。よほど鬱屈していたとしか思えないわ……)
実は封印の間の扉を開かせた時点でテラスの役割はほぼ終わっているのだが、このまま放っておくと暴発しかねない。
(なら…、好きなようにやらせるのも一興……)
「かまいませぬぞテラス様。あなた様の好きなようにおやりにるとよろしい」
一計を案じたボーンマスターは、カンカンに怒るテラスを宥めるかのように言った。
「え……?いいの?本当にいいの?」
まさか許されるとは思わなかったテラスは怒りの感情もどこかへ吹き飛び、信じられないと言った顔をボーンマスターに向けている。怒りの矛先が失せたことにボーンマスターは内心安堵し、さらにテラスを焚き付けてきた。
「ええ。陛下が地上に降臨されるまでに、地上をより我らが住みやすい世界に変えてしまってしまいなされ。その心の赴くままに、地上を皇魔の版図に塗り替えてしまいなされ!
私は陛下を蘇らせるために魔界に戻らねばなりませぬが、このアナンシにあなた様の手助けをさせましょう」
「ええっ?!お、おいらがぁ?!」
てっきり懐かしい魔界に戻れると思っていたアナンシは絶望と落胆の悲鳴を上げた。まあ、1000年ぶりの帰宅をお預けにされたのだからそれも頷ける。
が、一方テラスのほうは聖龍石を手にしたまま不気味に微笑んでいた。
「わ、私が作り変える…。この、私の手で、ふ、ふふふ……」
そうだ。陛下が蘇られる前に少しでもいい世界に変えておけばいい。そうすれば、陛下が地上にお見えになられたとき、よりスムーズにこの地上を自分たちのものに出来るだろう。
考えるだけでゾクゾクしてくる。この住みにくい世界を、自分の手で変えることにんるなんて!
「わかったわ。あんたが陛下をお連れになって戻ってくるまでに、地上を皇魔が闊歩するに相応しい世界に作り変えておくわ。
だから、陛下をよろしく頼むわね」
ボーンマスターに向ってこくりと頷いたテラスは、光り輝く聖龍石をボーンマスターに恭しく手渡した。
「わかりました。では、皇魔族の持つ細かい力に関してはアナンシに相談なさいませ。まだ皇魔と化したばかりのテラス様が知らないことを細かくフォローしてくれることでしょう」
そう言った後、ボーンマスターはまだ不満げな顔を見せているアナンシにそっと耳打ちした。
「では、後は頼みましたよ。テラスの機嫌を適度に乗せて手綱を放さないようにしておきなさい。こちらの邪魔にならない程度にね…」
「は、はぁい……」
これは面倒な役目を押し付けられた、とアナンシは心の中で呟き、大きな溜息をひとつついた。
☆
その朝、中央都市宮殿に大激震が走った。
かつて無い規模の地震が中央大陸全土にかけて発生し、それが原因なのか宮殿最深部にある『封印の間』の結界にほころびが生じてしまったのだ。
直ちに兵士と宮廷魔道士が『封印の間』に向ったが、『封印の間』を守っていた二人の兵士は胸板を貫かれて絶命しており、破られた扉の奥にあるはずの至宝『聖龍石』
は忽然と姿を消しており、その代わりとしてどこまでも続くと知れぬ黒々とした『穴』が宙に浮いていた。
魔道士の調査の結果、この穴は1000年前、伝説の皇魔族が魔界からこの地上に現れる際に用いた異世界への扉だと断定。
奪われた『聖龍石』と魔界への扉の出現は、この扉を用いた皇魔族が魔神マステリオンを蘇らせるために違いないと結論付けた。
この報告を受けた皇帝テラスは、伝説の四部族王の血を引く5人の『光の戦士』を中央宮殿に召集。
リュウガ、タイガ、ショウ、シズク、そして年長のオウキに聖龍石奪還の命を授けた。
「よいな皆のもの、命令じゃ。
絶対生きてわらわの元に帰ってくるのじゃぞ!」
魔界への扉の中へ行かんとする5人に、テラスは凛とした表情で健闘と無事を願った。
その姿は、見るものに封印が破られたことへの不安を打ち消し、明るい前途を見出していた。
そして、その眩しさに目が眩み、テラスの顔に僅かに浮かぶ酷薄な笑みに気づくものはいなかった。
「あひっ、あぁ!!
へ、陛下!おやめくださいぃ!!」
テラスの自室から艶っぽい悲鳴が響き渡っている。
部屋を掃除しに来た侍女は、その時間に部屋の中にいるはずがないテラスを目にして不審に思った直後、地面を這ってきた黒い管のようなものに全身を絡め取られていた。
「ふふ…、人の部屋に勝手に入ってくるなんて、悪いねずみね」
「か、勝手になんて!私は、私はいつものように…あうぅっ!!」
必死に弁明しようとした侍女の太腿に侍女を縛り付けているものがぬぬっと擦れる。その滑りと冷たさに、侍女は顔を仰け反らせて喘いだ。
「それは昨日までの、私以外の誰かが勝手に決めたこと
今日から違うの。今日からは、この皇帝の私が思うがままに決めていくの。なにもかも」
冷たく言い放つテラスに、さきほどの神々しい雰囲気はまるでない。まるで、目の前の侍女を虫けらかゴミのような感じで扱っている。
「でも、バカな連中は私のことを子供だと思って言うことなんて聞きはしない。でもそれも当然よね。あいつらは私のことをただの都合のいい人形にしか思ってないんだから」
それは違う。みんな陛下のことを本当に大事に思っている。そう侍女は言おうとしたが、テラスから発せられるあまりに禍々しい気配に喉の奥が詰ってしまい、ぱくぱくと口を動かすことしか出来なかった。
「私は人形じゃない…。私を人形と思っている奴等を、私は許さない…
私を人形にしている人間共を、私は絶対に許さない!人間を、人間を、ニンゲンをぉ!!」
内に秘めた憎悪を隠そうともせず、テラスは拳をわなわなと震わせて怒鳴り散らした。そして、その声が大きくなるに従ってテラスの体が異形へと変わっていった。
「ひ、ひぃぃ……陛下、ぁ……。その、お姿……」
侍女が見ている前で、テラスは皇魔の姿に変化…、いや元に戻っていた。
「そうよ。だから私は人間をやめたの。人間のままだと私はいつまでたっても人形のまま。私が私らしく生きるために、この皇魔の体と心を手に入れたのよ!」
「…ひ、ひいぃ!!化け物ぉぉ―――っ!!」
もう不敬とか考える暇もなく、侍女は目の前のテラスに脅えた視線を向けて泣き叫んだ。侍女にとってそこにいるのは可愛い皇帝陛下などではなく、恐るべき化け物でしかない。
「化け物とは随分無礼ね……。私はお前達の皇帝なのよ?」
化け物という言葉にぶすっとむくれたテラスだったが、その顔には脅え引きつる侍女の態度を愉しんでいるように見える。
「ま、いいわ。もうすぐお前もその化け物の素晴らしさを知ることになるんだから」
侍女を拘束した管…テラスの尻尾の先が侍女の黒いスカートの下へと潜り込んでいく。
その先端は黒い光という普通では絶対にありえない輝きを湛えていた。
「いや―――っ!やめて、化け物ぉ――ッ!!」
「いくら泣き叫んでも無駄よ。この部屋の衛兵はすでに私たちの仲間に摩り替わっているからね。
あ、でも泣き叫ぶことは構わないのよ。弱い人間が抵抗も出来ず悲鳴を上げるのは見ていて面白いしね。キャハハ!」
侍女が半狂乱になっている様が本当に面白いのか、テラスは腹を抱えて笑い転げていた。もちろんその間も尻尾は侍女の奥へと進んでいる。
「ふふふ…、それじゃあいただきまぁす〜」
興奮からぺロリと舌を舐めたテラスは、そのまま尻尾を侍女の秘所へズブズブと沈めていった。
「ひっ?!あ、あぁ〜〜〜っ!!」
後には、侍女の魂も裂く様な悲鳴が木霊していた。
「うふふ……、テラス様ぁ……」
小奇麗に片付けられたベッドの上で、テラスと侍女がその体を重ねあっていた。
大股に開いたテラスの腰の間から伸びる尻尾を侍女は大切そうに両手で包み、その先を清めるかのように舌と唇で舐めしゃぶっている。
先ほどまであれほど脅えていた侍女の顔は淫靡に蕩け、テラスへの奉仕にこのうえない幸せを見出していた。
「んっ…、んっ……」
一心不乱に自分の尻尾に舌を這わす侍女の頭を、テラスは慈しむように軽くなでた。
「ふふ…、どうかしら?あなたに与えた新しい体は」
「ふぁい…」
テラスの言葉に反応した侍女は、尻尾から口を離してテラスのほうへ向き直った。
その肌色は血色を感じない青に染まり、こめかみの辺りからは1対の禍々しい角が伸びている。
瞳は暗い金色に輝き、腰からはスカートを破ってテラスと同様の尻尾が生えていた。
その姿はかつて存在していた4部族の中の聖龍族と呼ばれた部族に酷似している。が、全体から発せられる雰囲気はテラスと同じ皇魔族のそれであり、邪悪な気配に満ち満ちていた。
「テラス様のおかげで、私は人間というちっぽけなものから解き放たれ、皇魔という素晴らしい存在に昇華することができました。
私をテラス様と同じ皇魔にしてくださったことは、感謝の念に耐えませんわ…うふふ……」
侍女は心の内から湧きあがる暗い衝動にゾクゾクと身を震わせていた。今にも飛び出して人間を襲いたい。そんな思いがありありと伝わってくる。
「うふふ…、本当にこの『黒い光』は凄いわね」
アナンシに人間を皇魔へと変じさせる『黒い光』の事を聞いたとき、最初はとても信じられなかった。そうも簡単に人間を別の存在に変えることができるなんて思いもしなかったからだ。
アナンシの言によれば、『黒い光』というのは皇魔が体内に持つ能力の一種で、人間の誰もが持つ黒い欲望に反応してそれを爆発的に膨らませ、人間そのものをその欲望を持つに相応しい存在に変えてしまうものなのだそうだ。
もっとも、黒い光を扱うにはそれを練成させるだけのどす黒い心を持つことが必要であり、誰も彼も扱えると言うわけではない。
だが、今のテラスの光り輝くまでに真っ黒な心なら黒い光を扱うことは容易いことであり、今回初めて侍女にその効果を確かめてみたところ、その効果は抜群で侍女は黒い光を体内に受け入れた直後に激しく悶えながらその身を皇魔へと変えていってしまったのだ。
「この力を使って…、この地上を第二の魔界へと変えてやるわ…。あの邪魔な光の戦士がいない以上、私の邪魔をするものは僅か…」
そう、テラスは聖龍石を取り戻させるために光の戦士を魔界に送ったのではなく、単に自分の野望の邪魔になるから地上から追い出したに過ぎなかった。
「あいつらが魔界の奥に行った頃には、既に皇帝陛下は蘇っていなさるわ。そのまま陛下に殺されてもよし。陛下のお力に触れて私のように皇魔となって一緒にお仕えするもよし……」
そうなればなったで、今より一層面白い世界になるであろう。人間を護るための神羅連和国皇帝と光の戦士が、人間に牙をむく存在になるのだ。これほど痛快なことはない。
「さあ、あいつらがどうなるにせよ、私は私のしたいことをするだけ。まずこのお城の人間に、皇魔の素晴らしさを教えてあげないとね…んあぁ!」
この中央都市宮殿が魔界と化して欲望と本能の赴くままに皇魔が闊歩する光景を想像し、気が昂ぶったテラスはつい尻尾から黒い光を放ってしまった。
その光を口で受け止めた侍女の喉の奥へ、光は黒く輝きながら入り込んでいった。
1章終