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同音異義語への異議


一般に日本語の特徴とされるものの多くは、世界の言語の中では珍しくない。敬語の体系はバリ語やジャワ語のほうが発達しているし、擬音語・擬態語は韓国語のほうが豊富だし、言葉の性差は男と女が異なる単語を使うヤナ語やヤニュワ語に遠く及ばないし、助数詞はツェルタル語や中国語のほうが複雑である。しかし一つだけ、日本語が確かに世界一のものがある。それは同音異義語の多さである。

通常、言語の中で同音異義語はそうそう発生しない。文脈で区別できる同音異義語は存続できるが、そうでない場合、音が変わったり、言い替えられたり、捨てられたりして一つだけが生き残るようになっているのだ。ただし、字が違う同音異義語は書き言葉の中なら存在できる。例えば英語の "queen" と "quean" がそうで、両者の発音は数百年前に同じになってしまったため、後者は書き言葉でしか用いられなくなった。また同音異義語は、発音が簡単な言語が複雑な言語から単語を輸入する時によく発生する。発音が単純で表記に漢字を用いる言語、すなわち日本語は、これらの条件を完全に満たす。同音異義語を許す漢字が悪い、という意見が聞かれることがあるが、果たして本当に漢字が原因なのか、考えてみよう。

日本語で最も同音異義語が多いのは「こうしょう」であるようだ。「大辞林 第二版」によると、全部で 45 個の「こうしょう」がある。だが実はこれらの全てが最初から「こうしょう」だったわけではない。奈良時代の発音はもっと異なっていた。これらの漢語の発音の変遷を以下に示す。

単語奈良時代平安・鎌倉時代室町時代江戸時代以降
巧匠かうしゃうかうしゃうかうしゃうこうしょう
校章
交床
咬傷
好尚
行省
行章
行障
行賞
降将
綱掌
高昌
高唱
高声
高尚
高商
高翔
翺翔
康正
康尚
甲匠かふしゃう
考証かうしょうかうしょうかうしょう
高承
講頌
巧笑かうせうかうせう
高笑
交鈔
交渉かうせふ
鉱床くゎうしゃうくゎうしゃうくゎうしゃう
黄鐘くゎうしょうくゎうしょうくゎうしょう
工匠こうしゃうこうしゃうこうしゃう
工商
公傷
公相
公娼
工廠
厚相
口承こうしょうこうしょうこうしょう
口証
口誦
公称
公証
鴻鐘・洪鐘
洪昇
哄笑こうせうこうせう

なお、この表中の語が全て奈良時代から使われていたわけではない。奈良時代ならそう発音されただろう、という表である。

中国語には声調と呼ばれる発音の違いがあり、例えば現代中国語で ma という発音は、高音なら「媽」(お母さん)、上昇音なら「麻」、低音なら「馬」、下降音なら「罵」を表す。日本人が漢字を輸入した時これらの声調は全て失われたので、中国人が区別していた発音を区別できなくなった。それでもなお、現在「こうしょう」と発音される語に、「かうしゃう」、「かふしゃう」、「かうしょう」、「かうせう」、「かうせふ」、「くゎうしゃう」、「くゎうしょう」、「こうしゃう」、「こうしょう」、「こうせう」の 10 個の発音があった。平安時代に入り、語中のハ行がワ行に転じた。これにより、「かふ」が「かう」に、「せふ」が「せう」に合流した。次に室町時代になると「おう」が「おー」に、「えう」が「よー」に転じた。このため「せう」と「しょう」が共に「しょー」と発音されるようになった。「あう」は「あー」と「おー」の中間の音を持っていた。口を大きく開いて「おー」と言う要領である。最後に、江戸時代に入るとこの「あう」が「おー」に転じた。「くぉ」はないので、ここで一気に「かう」、「くゎう」、「こう」が「こー」一つになり、また「しゃう」、「しょう」も「しょー」になった。結局、奈良時代には 10 個あった発音が、平安時代には 8 個、室町時代には 6 個になり、江戸時代には 1 個になってしまった。

見て分かるとおり、昔の発音が日本人にとって難しかったわけではない。現代日本語には「くゎ」の発音はないが、それ以外は何も難しくない発音である。また発音体系全体が変化したのではなく、「あう」が「おー」に、「えう」が「よー」になるような発音の単純化しか起きていない。残念ながら、昔の日本人は発音を怠け過ぎたと言えるだろう。このような単純化が起きなければ、「考証かうしょう」と「交渉かうせふ」を容易に区別できたはずだ。

日本語にはアクセントがあるが、それほど多くの語を区別できるわけではなく、また文法的な制約もある。上記の語の中では、国名の「高昌」と人名の「康尚」と「洪昇」だけが「高低低低」のアクセントで、他は全て「低高高高」である。

同音異義語が増えて昔の日本人は不便でなかったのか、と今なら思うが、当時は不便に思わなかったのである。なぜなら一般の日本人はあまり漢語を知らず、個人の語彙の中では同音衝突しなかったからだ。また漢字の知識も今ほどなかったので、同音異義語が増えて誤解を生じるかもしれないとは全く思わなかったのである。江戸下町方言ではさらに「あい」が「えー」になる変化まで起きた。「大工でーく」、「大変てーへん」などだ。幸い、この変化は現代日本語には受け継がれなかった。もしこの変化が広まっていたら事態はもっと悪かったろう。現代人は漢語をよく知っているので今後このような発音の単純化は起きないだろうが、失われた区別を取り戻すことはできない。漢字を使えば同音異義語が多くてもやっていけるが、少ない方が良いことは言うまでもない。漢字がないともっと混乱する。例えば英語の road, load, lord は日本語に入ると全て「ロード」になり、目でも耳でも区別できない。

和製漢語が同音衝突の元凶だと言われることがあるが、正確ではない。漢和辞典を見れば分かるように、同音異義語は元々多かった。和製であろうとなかろうと、現代日本語では漢語は同音衝突しやすいのだ。だが日本語には、漢字を使わずに短くて精密な語を作る方法は無い。どうしても同音衝突を避けたいなら、長い語を使うしかない。しかし、短い語のほうが記憶しやすいことが実験で示されている。脳の情報処理においては、たとえ同音衝突しても短い語のほうが有利なのだ。外来語をそのまま使うと、時として異常な長さになる。「インターナショナリゼーション」や「エレクトロマグネティック・フィールド」より、「国際化」や「電磁場」のほうが素早く理解できるのは言うまでもない。

参考までに、現代の中国語、韓国語の発音と比べてみよう。

単語現代中国語現代広東語現代韓国語日本語
奈良時代江戸時代以降
巧匠qiao3jiang4haau2jeung6kyocangかうしゃうこうしょう
校章xiao4zhang1gaau3jeung1
交床jiao1chuang2gaau1chong4kyosang
咬傷yao3shang1ngaau5seung1
好尚hao3shang4hou2seung6hosang
行省xing2sheng3haang4saang2hayngseng
行章xing2zhang1haang4jeung1hayngcang
行障xing2zhang4haang4jeung3
行賞xing2shang3haang4seung2hayngsang
降将jiang4jiang1gong3jeung1kangcang
綱掌gang1zhang3gong1jeung2
高昌gao1chang1gou1cheung1kochang
高唱gao1chang4gou1cheung3
高声gao1sheng1gou1seng1koseng
高尚gao1shang4gou1seung6kosang
高商gao1shang1gou1seung1
高翔gao1xiang2gou1cheung4
翺翔ao2xiang2ngou4cheung4
康正kang1zheng4hong1jing3kangceng
康尚kang1shang4hong1seung6kangsang
甲匠jia3jiang4gaap3jeung6kapcangかふしゃう
考証kao3zheng4haau2jing3kocengかうしょう
高承gao1cheng2gou1sing4kosung
講頌jiang3song4gong2jung6kangsong
巧笑qiao3xiao4haau2siu3kyosoかうせう
高笑gao1xiao4gou1siu3koso
交鈔jiao1chao1gaau1chaau1kyocho
交渉jiao1she4gaau1sip3kyosepかうせふ
鉱床kuang4chuang2kong3chong4kwangsangくゎうしゃう
黄鐘huang2zhong1wong4jung1hwangcongくゎうしょう
工匠gong1jiang4gung1jeung6kongcangこうしゃう
工商gong1shang1gung1seung1kongsang
公傷
公相gong1xiang1
公娼gong1chang1gung1cheung1kongchang
工廠gong1chang3gung1chong2
厚相hou4xiang1hau5seung1hwusang
口承kou3cheng2hau2sing4kwusungこうしょう
口証kou3zheng4hau2jing3kwuceng
口誦kou3song4hau2jung6kwusong
公称gong1cheng1gung1ching1kongching
公証gong1zheng4gung1jing3kongceng
鴻鐘・洪鐘hong2zhong1hung4jung1hongcong
洪昇hong2sheng1hung4sing1hongsung
哄笑hong1xiao4hung2siu3hongsoこうせう

中国語、広東語の右肩の数字は声調である。上表から明らかなように、声調がある中国語、広東語だけでなく、声調がない韓国語でも十分これらの語を区別できている。こうして比べると、日本語の発音の単純さに愕然とする。日本語にも声調があったら、とか音素が多かったら、と夢想したくなる。人間の言語には違いはあるが優劣はないとするのが言語学の常識で、この場合も単純な発音にはそれなりの利点がある。子供にも憶えやすく、雑音に強く、早口でも通じる。しかし豊富で短い語彙が有利な現代社会では、単純な発音のほうが困難を生じやすいのは確かである。

以上から、同音異義語が多いのは、漢字を使うからというより漢字の発音を単純化し過ぎてしまったからだと分かる。恨むなら、漢字を発明した古代中国人ではなく、単純な発音を好んだ昔の日本人を恨むべきだろう。



しかし嘆いていても仕方がない。日本人は自らの文化や宗教を漢字で表現してきたのだから、今さら漢字を捨てて根無し草になるべきではない。同音異義語は書き言葉では全く問題がないので、話し言葉でどうするかを考えていく必要がある。

多くの同音異義語は文脈で区別できるが、同音異義語が同じ範疇はんちゅうに属している場合、文脈は役に立たない。例えば「私立」と「市立」はどちらも設立者なので区別できず、「科学」と「化学」はどちらも学問の名前なので区別できない。

話し言葉で同音異義語を区別するには、読み替え、付け足し、言い替えの三つの方法がある。読み替えは漢字の別の読み(主に訓読み)を用いて発音を変え、付け足しは言葉を追加して漢字を説明し、言い替えは別の単語を用いて区別する。私が知っているものを以下に示す。

方法読み範疇語の区別
読み替えかがく学問科学かがく化学ばけがく
けいじょう会計計上けいじょう経常けいつね
けんげん法律権限けんげん権原けんばら
こうがく学問工学こうがく光学ひかりがく
こうこうがい口蓋の部位硬口蓋かたこうがい高口蓋たかこうがい*
こうしん干支甲辰きのえたつ甲申きのえさる庚辰かのえたつ庚申かのえさる
こうちゃ中国茶紅茶こうちゃ黄茶きちゃ*
こうぼいん母音後母音うしろぼいん*高母音たかぼいん*広母音ひろぼいん*
こんしゅう今の時期今週こんしゅう今秋こんあき
しこう法令・政策の実行試行しこう施行せこう
じてん書物事典ことてん辞典ことばてん字典もじてん
しどう道路市道いちどう私道わたくしどう
しりつ設立者市立いちりつ私立わたくしりつ
ついこつ椎骨ついこつ槌骨つちこつ*
とうこつ橈骨とうこつ鐙骨あぶみこつ*
ばいしゅん性行為の売買売春ばいしゅん買春かいしゅん*
ばいでん電気の売買売電うりでん買電かいでん
ばしゅ競馬関係者馬手ばしゅ馬主うまぬし*
はせん製図の線波線なみせん*破線やぶれせん
ばっし歯科医療抜歯ばっし抜糸ばついと
付け足しこうぎょう業種工業→えこうぎょう、興業→おこしこうぎょう、鉱業→やまこうぎょう
こうしゃく爵位公爵→きみこうしゃく、侯爵→そうろうこうしゃく
しあん試案→こころみのしあん、私案→わたくしのしあん
しん中国の国名晋→すすむしん、秦→はたしん、新→あらたしん、清→きよしん
せいし業種製糸→いとのせいし、製紙→かみのせいし
言い替えかんどうみゃく動脈肝動脈、冠動脈→冠状動脈かんじょうどうみゃく*
じょすう除数、序数→順序数じゅんじょすう
じょすうし数詞助数詞、序数詞→順序数詞じゅんじょすうし
すいせい太陽系の天体水星、彗星→帚星ほうきぼし
せいすう整数、正数→せいすう*
ふごう正負を表す記号符号、負号→符号ふごう*

* 読み替え・言い替えのほうが標準的である。
† 正しくは「侯爵」の「侯」は「そうろう」ではない。

この内、優れているのは読み替えである。言い替えはいつも可能とは限らないし、付け足しは逆にまぎらわしいことがある。例えば「わたくしのしあん」と言った場合、「私案」ではなく「私の試案」を意味しているかもしれない。それより、「私案わたくしあん」、「試案こころみあん」と読み替える方が確実である。「こうぼいん」の例は読み替えの必要性を示している。言語学で、舌の位置に応じて母音を高母音、低母音に分類することがある。これらを口の中の広さにより狭母音、広母音とも呼ぶ。高母音と狭母音は同じで、低母音と広母音は同じである。それとは別に、前母音、後母音という分類もある。従って「こうぼいん」と言うと、反対語である「高母音」なのか「広母音」なのか分からないし、あるいは「後母音」なのかもしれない。これはとても不便なので、今では読み替えが一般的になった。すなわち、「高母音たかぼいん」、「低母音ひくぼいん」、「狭母音せまぼいん」、「広母音ひろぼいん」、「前母音まえぼいん」、「後母音うしろぼいん」と読む。

しかし日本では学問間の連係が弱く、読み替えが一部の学問でしか広まらないことがある。言語学では「硬口蓋かたこうがい」が広まっているが、医学では「硬口蓋こうこうがい」が普通である。また、心臓に酸素を送る動脈を普通は「冠状動脈」と呼ぶが、心臓の専門医は「冠動脈かんどうみゃく」と呼ぶ。肝臓は眼中にないので「肝動脈かんどうみゃく」と同音衝突しないからである。

売春ばいしゅん」との同音衝突を避けた「買春かいしゅん」は法律上の標準の読み方になった。この読み方は「回春」や「改悛」と同音になるので良くないという意見があるが、「買春」が何より同音衝突を避けたいのは「売春」であって、読み替えたために他の語と同音衝突するのはやむを得ない。売春の同義語に「売淫」、「売笑」、「売色」などがあるが、いずれにしろ「売」と「買」を読み分けない限り同音衝突を回避できない。

現代日本語では「こう」と「こう」は区別が付かない。室町時代までは「こう」と「くゎう」を区別していたが、江戸時代に合流してしまった。そのため「紅茶こうちゃ」と「黄茶きちゃ」のようにいつも読み替えや言い替えを考える必要がある。中でも「紅海こうかい」と「黄海こうかい」は非常にまぎらわしく、今すぐ読み替えを作るべきだ。中世以降の中国語では「赤」、「青」の代わりに「紅」、「藍」を使うので、"Red Sea" を「紅海」と訳したのは中国人だろう。中国語では「紅」と「黄」はそれぞれ hong2 と huang2 で発音が異なるが、日本語では同音衝突するので、「赤海」とでも訳すべきだった。「黄」には「おう」という読みもあるが、黄海は黄河こうがとつながりがあり、また日本に近く親しみがあるので読み替えは現実的でない。これからは紅海のほうを「べにかい」などと呼ぶ方が良いだろう。他に、後漢末の「黄巾こうきんの乱」と元末の「紅巾こうきんの乱」はどちらも中国史上の大動乱であるが、読み替えがないので混同しやすい。「紅葉こうよう」と「黄葉こうよう」、「紅白こうはく」と「黄白こうはく」、チベット仏教の宗派の「紅教こうきょう」と「黄教こうきょう」など、「紅」と「黄」の衝突は数多い。

既に読み替えが定着した語と同じように、他のまぎらわしい同音異義語も徐々に読み替えていくべきだろう。読み替えても表記は変わらないので既存の文書に影響はないし、語彙力も低下しない。むしろ適切な訓読みを選ぶことで理解しやすくなる。「私立わたくしりつ」、「市立いちりつ」、「化学ばけがく」などは読み替えを標準にしてしまっても良いのではないか。


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