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パニック障害の10年をやっと乗り越えて〜大場久美子さん(4)

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ショック受けた母の死

ありし日の母、タカ子さん

 役者の先輩からは「女優は40からがスタートよ」と言われていた。だから、「40歳になるのが楽しみだった」。

 しかし、その年齢に達しようという時、不幸が彼女を襲う。心臓病などで入退院を繰り返していた母親が、61歳で世を去ったのだ。この連載の2回目で触れたように、母は「ポッポの母ちゃん」と慕われたほど、面倒見のいい人物だった。娘にも大きな影響を与えた存在だっただけに、ショックは大きかった。

 「とにかく肝っ玉母さんだったので、居てくれるだけで存在感があった。依存していたところがあったのでしょうね」

発作の恐怖につきまとわれ

 母の他界直後、体の変調に苦しむようになる。動悸(どうき)やめまい、息苦しさが一気に続く発作に見舞われたのだ。パニック障害だった。仕事の行き帰りや買い物の途中など、いつ発作が起こるか分からない恐怖にもつきまとわれた。

 「私の場合、周りに人がいて逃げられないような状況になると、苦しくなることが多かった。コンビニでも、レジに並ぶことが恐怖となり、品物をかごにグワーッと入れ、すばやく会計を済ませて帰って来ていました」

広報大使を務めるNPO法人「セカンドハンド」のチャリティーバザーに参加する大場さん(中央)

 外で発作が起きそうな時は、スタッフに携帯でメールを送った。「大丈夫ですよ」という6文字の返信を見ただけで心が落ち着いた。「あと、発作が起きた時は、例えば冷たい物より温かい物を飲んだ方がほっとするとか、自分なりの楽になるささやかなことを見つけ出し、それをためていって大丈夫なことがたくさんになった頃、病気を克服していた気がします」

 こうした10年近い体験記をまとめてみようと思い、今春、『やっと。やっと! パニック障害からぬけ出せそう・・・』(主婦と生活社)を出版した。

 「レジに並んでいるのがつらかったのは私だけかと思っていたら、本を読んで『私もなんです』と共感してくださった方が結構いらっしゃったんです。本を書いて良かったと思いました。パニック障害のことを分かってくれる人がそばにいるのといないのとでは、発作の大きさも型も、私の場合は違った。例えば、美容室に行きたくても、シャンプーの時にタオルを顔にかけられるのが苦しくて行けない。でも、パニック障害のことを少しでも知っている美容師さんがいるところだったら、行けるかもしれない。今、美容師さんの集まりに出席させてもらい、病気のことを話すチャンスをいただき始めたところなんです」

体験記も出版、「人の役にたつ自分でありたい」

 来年1月で50歳になる。「40歳代は、病気と闘う10年間になってしまった。皆さんの支えがあったからこその50歳なので、これからは人のお役にたてる自分でありたい。それが、自分自身の活力にもなると思う」

 先日、ある占い師から「52歳の半ばですごくいい事が起き、55歳から世界中をバリバリ飛び回り、100歳まで生きる」と言われた。「それまでは、私も母と同様に60歳ぐらいまで生きることができればいいや、と思っていたから、人生設計がちょっと狂ってしまいました(笑)。これからまだまだ恋もしなくちゃいけませんね」

 その表情に、“陰の部分”はみじんもなかった。(おわり)

(読売新聞 増沢一彦)

大場久美子 プロフィル

おおば・くみこ 1960年1月、埼玉県生まれ。73年に劇団に入って子役として活躍。75年に民放のオーディション番組で審査員特別賞を受賞した。77年には『あこがれ』で歌手デビュー、“一億人の妹”として人気を集めた。

 さらに、ドラマ『コメットさん』に主演して、ブロマイドの売り上げが2年連続で1位となるなど、トップアイドルの地位を確立した。その後は、舞台女優としても活動。来年2月27日には、東京・目黒で、50歳記念ライブを行う。

2009年09月02日  読売新聞)
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