第6章
仕組まれていた湾岸戦争
1.儲かってうれしいアメリカ
午後8時、緊急メモが大統領のもとへ届いた。イラクがクウェートに侵攻した。
1990年、イラク軍がクウェートに侵攻して湾岸戦争が始まった。
この湾岸戦争に関して、イラクがクウェートに侵攻したのはイラクのフセイン大統領が悪くて、イラク軍を追い出したアメリカをはじめとする多国籍軍が正義だと報じられている。しかし、それはアメリカがテレビや新聞を通じて行なった、情報操作による誤った見解だ。

アメリカがクウェ−トを使ってイラクを追い詰め、暗黙のうちにイラクのクウェ−トへの侵攻を認めた。

7月25日、フセインは、アメリカ大使グラスピーを訪問し、クウェートに侵攻するつもりはないと言明。大使は、「平和外交を守るように」というワシントンからの訓令に従い、「アメリカは、イラクとクウェートの国境問題のようなアラブ間の葛藤に対しては、意見を表明しない」と述べ、さらに、「ブッシュ大統領(当時)はイラクとのよりよい関係を望んでいる」と伝えた。
しかし、いったんイラクが侵攻を開始すると、手のひらを返したようにその行動を非難し、大軍を派遣。しかも1991年1月15日の撤退期限も、イラクが交渉に応じようとしたところを一方的にはねつけ、無理やり戦争へと突入したのが真相である。

空爆は42日間にわたって、昼夜を問わず行なわれた。出撃回数はのべ11万回。30秒に1回は出撃が行なわれたことになる。トマホークを省いた計算でも、弾薬の量は8万8千トンにも及ぶ。これは、広島型の原爆の6倍もの量に相当する。
誘導型の爆弾は、そのうち1割にも満たず、そのほとんどが通常の誘導されない型の爆弾であった。
だれかれとなく無差別に殺され、民間人だけでも、11万6000人から25万人といわれる数の人々が直接、あるいは間接的に死んでいった。イラク軍兵士は10万人以上が殺されたのだとR・クラーク元米司法長官は報告している。
R・クラーク
「イラクは自分たちの国を守るための対策を全くとっていなかったのです。何億ドルもかけて買った戦闘機は一度も離陸しなかったのです。彼らはシェルターを求め、安全確保のために、イランへ飛び立ちました。これは、彼らが恐れていたわけではなく、彼らの司令官が戦闘に行って無駄死にすることはないと考えたのです。
これは戦争ではありませんでした。陸の戦争も空の戦争もなかったのです。
ただ、殺戮だけが一方的に行われたというくらい単純なものでした。
アメリカの方は陸、海、空わせて121人の死者が出たと言っております。この121人の多くが、間違って行なった爆撃や事故によって、アメリカ人がアメリカ人に対して行なった殺人だったのです。
わたしたちは世界の人々に国連が腐敗したという事実を知ってほしいのです。それは戦争によって生まれ、賄賂や圧力によって利用されているからです」

アメリカは、OPECの中で最もコントロ−ルしづらいイラクを叩くことにより、中東石油市場に対する発言権を強化しようと考えた。そのためにフセィンを焚きつけて戦争に巻き込んだ。
また、石油価格が高騰し、石油を扱う多国籍企業は莫大な利益を上げた。
例えば、ロックフェラー財閥のシェブロン社は、湾岸戦争前に比べて実に8.6倍の収益をあげた。
2.湾岸戦争はハイテク兵器の実験場だった
パウエルとチェイニーは軍隊を直ちに派遣するよう大統領を説得、最新の兵器が次々と中東へ送られた。
この戦争のもう一つの特徴は、この戦争がコンピューターゲームのようであり、「ニンテンドウ・ウォ−」と呼ばれたように、ハイテク兵器が使われたことにある。この湾岸戦争はアメリカにとってこれらの新兵器の実験場であり、他国へ売りさばくための格好のデモンストレ−ションの場となった。
アメリカのハイテク兵器の中には実戦で使われたことのないものもある。
巡航ミサイル・トマホーク。製造側はボストン港からワシントンのRFKスタジアムのゴールポストをねらえると豪語するが、果たして実戦でどこまで通用するだろうか。
迎撃用ミサイル・パトリオットは、ソ連製のスカッド・ミサイルを撃ち落とせるのか。
複雑なコンピューターやレーダーシステムは、遠く海外へ出撃しても敵を補足できるのか。

しかし、彼らが実験したのはこれらの兵器だけではなかった。
当初、イラク兵の死者は十数万人に上ると見積もられていた。にもかかわらず、戦場で発見されたイラク兵の死体は8000体あまり。多くの死体が消えたことになる。
実は、兵士たちの体が跡形もなく消えてしまうようなプラズマ兵器が実験されていたのである。
アメリカにエリア51という秘密基地がある。この付近はUFO多発地帯として有名であるが、その実態はプラズマ兵器の実験場だった。
この兵器はかつてバングラデシュでも実験された。その日は日本の台風にあたるサイクロンの影響で、バングラデシュが大きな被害に遭うことをアメリカは予測していた。つまり何かを実験しても、その証拠は文字どおり洗い流されるということだ。
サイクロンによる大津波の後発見されたのは、水死体だけではなかった。そこには、無数の真っ黒に焼け焦げた死体があった。

生存者の証言によると、「炎のカーテンが海から陸に向かってきた」という。これはプラズマ兵器による炎にほかならない。
このプラズマ兵器の原理は、基本的には電子レンジと同じだ。湾岸戦争やバングラデシュで使われたのは、それを大型化し、宇宙空間から人工衛星をもちいて発射したものである。この兵器の特徴は複数のマイクロウェ−ブの焦点を自由にずらことによって、宇宙からどこでも狙えるところにあり、どんなにぶ厚いコンクリ−トの壁さえも擦り抜ける。これは、電子レンジが、容器に入った材料を中から加熱できることを考えればおわかりになるであろう。
こうして堅固な塹壕にたてこもったイラク兵は瞬間的に蒸発してしまったのである。
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