AUM7
 謎と陰謀

戦いか破滅か――現代の黙示録を解く
戦いか破滅か
〜現代の黙示録を解く〜



目 次

はじめに

序 章 尾崎豊
第1章 原爆実験
第2章 対日侵略
第3章 ヴェトナム
第4章1 パナマ
第4章2 パナマ
第5章1 エイズ
第5章2■エイズ
第6章1>湾岸戦争
第6章2 湾岸戦争
第7章 在日米軍
第8章 米国経済
第9章 自衛隊
第10章 沈黙の兵器
第11章 戦い

第5章
悪魔の生物兵器エイズ


2.厚生省、血液製剤をばらまく

 1983年1月4日、アメリカ、ジョージア州アトランタ。この日、CDC――アメリカ国立防疫センターは、全米の血液関係者を集めて重大な会議を行なった。

 CDCが行なった半年間の調査によれば、全米ですでに8人の血友病患者がエイズを発病し、その他に3人がエイズと疑われていた。この11人はいずれも血液製剤を使っていた。会議から2カ月後の1983年3月アメリカ政府は感染原因が血液中のウイルスではないかと考え、加熱処理をした血液製剤を緊急に認可した。


加熱処理をした血液製剤

 しかし、日本で加熱製剤が認可されたのは1985年7月、アメリカに遅れること、2年4カ月後であった。この間、日本では熱処理をしない非加熱製剤が使われ続けたのである。

 なぜ、2年4カ月もの間、日本の血友病患者たちは危険にさらされ続けたのだろうか。アメリカで警告が発せられた1983年以来、日本の厚生省とその関係者は、この事態をどう受けとめていたのか。その全容は今まで明らかにされてこなかった。

 血液製剤が危ないという情報は、日本でも入手可能なCDCの機関誌や、外国の医学雑誌などを通して次々に伝えられていた

 こうした情報を厚生省の担当者に直接送り続けた研究者もいた。

 1983年6月に、日本にエイズの実態把握に関する研究班がつくられたが、その研究班では本来とるべき対策をわざと遅らせる結論を出したのである。


研究班の中心人物、安部英容疑者

 血液製剤の輸入量は年々増加し、この時期、90%以上をアメリカからの輸入に依存していた。日本の血液製剤の薬価はアメリカに比べて9倍の高さで、血液製剤メーカーにとって、日本は魅力的な市場と映っていた。

 そしてCDCの警告にもかかわらず、83年、84年と輸入量は増えつづけた。血友病患者にエイズが広がる図式は確実に出来上がりつつあったのである。

 83年7月、第2回研究班の席上、国内の血友病患者の中にエイズ患者がいると報告されたが議論が分かれ、認定には至らなかった。

 だが、これは日本にもエイズが忍びよっているという、危機感を持たせるのに十分な情報だった。

 このように非加熱処理の血液製剤によってエイズが感染することは十分にわかっていたにもかかわらず、1985年7月まで日本には汚染された血液製剤が輸入され続けたのである。そこには何か大きな力が働いていたとしか考えられない。日本の厚生省は2年間にわたり、血液製剤が汚染されていてエイズの原因になることを知りながら隠し続けたのだ。


「アメリカのトラベノール社は、1983年6月、日本に汚染された血液製剤を出荷していた」

――「あのですね、この文章を見ていただけませんか」

塩川「あ、この文章、今始めて見ましたですね。ええ、これだけのこと知っていると知らないとやっぱり、自分の考えがずいぶん違いますよね」

 研究班の9人全員がこの事実を知らないと答えた。中でも塩川委員は、

1本でも危険な製剤が入っていれば他の製剤にも危険性がある。この事実を知っていれば緊急輸入の議論は変わっただろう

と語った。厚生省は、なぜ研究班にこの報告をしなかったのだろうか。

 当時、厚生省生物製剤課長だった郡司篤晃(ぐんじ・あつあき)氏

「この事例についてどういうふうに話し合ったか、ちょっと記憶はしてません。しかしわたくしが個人的に判断するってことはありません

 厚生省で郡司氏が判断をあおぐ立場にあったのは、薬務局長であった持永和見(もちなが・かずみ)氏であった。持永氏はその後、衆議院議員になっていた。なぜ研究班に情報を伝えなかったのか。

「それはわたくしに聞かれてもねえ、それはだってその直接のね、研究班のね、所管は生物製剤課長なんですから。それはわたしに聞かれても何とも申しあげかねますねえ」

 郡司氏は自分一人で決めたのではないと言い、上司の持永氏は郡司氏の判断で行なったのだろうと答えた。しかし、この重要な情報が公開されなかった理由を二人は答えなかった。


 加熱製剤の緊急輸入の道が閉ざされた83年の夏、7万6000本の非加熱製剤が日本に入ってきた

 厚生省エイズ研究班の内部資料。ここには、1983年7月の第2回会議一人の血友病患者がエイズであるかどうかを巡って議論が戦わされたことが記されている。この患者は、エイズ研究班の安部委員長から報告された48歳の男性であった。この患者をめぐって、安部委員長一人がエイズだと主張したが、他の委員の同意は得られなかった。しかし、このとき患者はすでに体中にカビが生えるなど、エイズ特有の症状が現われ、免疫も極度に低下し、7月に死亡した。

 1983年夏、厚生省のエイズ研究班で議論が続いていたころ、全国各地の病院で、免疫機能の低下を示す血友病患者が次々と見つかっていた。

 金沢大学の医師グループは、83年の夏、アメリカの医学雑誌に触発されて、自分の病院で治療中の血友病患者の血液を調べてみた。これは、免疫機能を数値化したものである。アメリカのCDCの基準では、この数値が1.0を割ると、エイズの疑いが濃厚であるとされていた。この病院では、14人中11人が、1.0を大きく下まわっていた。

 宮脇氏は、自分の患者たちの中にエイズと疑われるデータが出たことに驚き、厚生省の免疫不全に関する研究班で発表した。しかし発表後、厚生省およびそこに出席した関係者の中からは何の質問もなく、なぜかまったく問題にされなかった


3.罠

 このように日本の厚生省は、日本人にエイズウイルスを植えつけるために、危険性を示す情報をすべて握りつぶしたのだ。


 そして、アメリカ最大の血液製剤メーカーのカッター社は、エイズに感染したホイットフィールドの血液によって汚染された血液製剤をわざわざ日本に輸出していたことが、NHK取材班の調査などにより明らかとなっている。

 今回調査した結果、ホイットフィールドの血液が混入した問題の16ロットの製剤のうち、2つのロットが海外輸出用になっていた、ナンバー8465と8466である。日本は世界最大の血液製剤の輸入国である。ホイットフィールドの製剤が入っていないかどうか調査を続けた。

 1983年、問題の二つのロットは日本に来ていた。このうちロットナンバー8466は、検定の途中でカッター社が取り下げ、回収されていた。しかし、ロットナンバー8465は検定を合格し、国内に入ったことが確認された。その本数は2392本であることもわかった。



 これは、カッター社の極秘文書である。驚くべきことに、今回の事件が起こる以前に、経営陣は、将来、エイズに汚染された血液が引き起こす問題を予測していた

世界中で訴訟が起こる可能性――100%。

海外での売上が減少する可能性――100%。

そして、「日本とドイツは確実に血液製剤の輸入を禁止する」と予測している。

 しかし大きな力が、その後も日本に汚染された血液製剤の輸入を続けさせたのである。


 NHK取材班がカッター社に、どのような処分をしたのか問い合わせた。数日後、カッター社から、ファックスによる回答が送られてきた。そこには、

「ロットナンバー8465は、検定を取り下げたナンバー8466とともに、工場の敷地内のドラム缶で焼却した」

と書かれていた。

 ナンバー8465のように一度国家検定に合格した医薬品の回収や廃棄 は、国立予防衛生研究所に報告されることになっている。

小室勝利(国立予防衛生研究所血液製剤部長)

「少なくとも(昭和)58年の8月に合格が出てますから、日本がそれをずーっと回収をしてきてませんから、おそらく回収していないはずです。ですから、これは使われたと考えた方がいいと思います」

 国立予防衛生研究所の検定をを受けた医薬品は、合格証紙を貼りつけて、初めて薬として販売できる。合格証紙は、不正使用を防ぐため医薬品を回収した場合、すべて返却されることになっている。カッター社の製剤に貼られた2392枚の合格証紙は、一枚も返却されていなかった

――「先日からのカッター社の件でですねえ……実際、汚染されている薬が入ってきた ことがわかったわけですから、これは何かしなけりゃいけないというふうに……」

正木馨氏(厚生省薬務局長(当時))
「ですからそれはね、安全な、あの……チェックされた薬をね……あの……輸入するように業界指導しましたから」

 正木氏はカッター社の汚染ロットが日本に入っていたことを示す書類に目を通すことを拒否した。ただ、業界の指導を行なっていたと繰り返すのみだった。この態度からも、彼らがわざと日本人にエイズウイルスを植えつけたことが見て取れる

 かつて、カッター社は極秘文書の中で日本の輸入禁止を予測していた。しかし、予測に反して、その後も日本は輸入を続けたのである。

 ホイットフィールドの製剤が輸入された1983年、この年、およそ20万本もの血液製剤がアメリカから日本に入った。

 このようにアメリカは汚染された血液製剤を日本に輸出しながら、その事実を否定している。


 また、血液製剤を扱う日本のミドリ十字社は、エイズウイルスを開発したフォート・デトリック研究所と浅からぬ縁を持つ。

 もともとミドリ十字社は、十五年戦争における細菌部隊として悪名高い「731部隊」の関係者が多く関わってできた会社である。その部隊の責任者であった石井中将は戦後、フォート・デトリックに協力し、朝鮮戦争では、前線で化学戦の指揮をとったといわれる。

 大陸で生体実験を繰り返した石井が、その残虐性を問われなかったのはなぜか。それは、アメリカに生体実験のデータを提供することを条件に、石井たちを見逃したのである。

 エイズウイルス開発の舞台となった、フォートデトリック研究所のエドウィン・ヒル、ジョセフ・ビクター両博士は、

「石井部隊の資料は何百万ドルの出費と長年にわたる研究成果であり、このような資料は人体実験につきものの良心の呵責に阻まれて我々の実験室では得ることができないものである。我々のそのデータを入手するための支出は25万円(当時の700ドル)のはした金にすぎず、格安の買い物である」

と、石井等の免責を要求しているのである。

 そのフォート・デトリックと、731部隊の亡霊が朝鮮戦争時のように再び手を組み、日本人にエイズウイルスを故意にばらまいたということは、想像に難くない。

 そして、日本の厚生省も、それを知りながら、日本国民にエイズウイルスを植えつける彼らの計画に協力し、僕たちをだまし続けているのである。

 そして今、日本で不気味にエイズ患者が増大しているのである。

(厚生省HIV疑惑は、ようやく最近になって告発された。実験は完了し、十分な数の犠牲者が出たということか)

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