東北は梅雨が明け切らないうちに秋がくるとかで、夏らしくない夏ですが、8月4日は、なんとか小雨降るも、お天気持ちました。ま、室内でやる料理試作だから、雨でもいいじゃないかという話もごさいましょうが、今回は、たかまったさんの庭で、七輪に炭火を起こして、焼き鳥をする計画があるので、晴れて欲しかったのです。
今回で試作は3回目。出席は、料理スタッフのたかまった千葉静子さん、佐藤泉さん、中嶋美芳さん、試作初参加の菅原美代子さん、運営スタッフの鐙さん、小野寺健太郎さん、菊地の計7名、取材陣は、NHK仙台の杉尾さんと朝日新聞本社の大村さんが来てました。14時開始だったんですが、朝日の大村さんがちょい前に、たかまったさんに来たときは、なんとお屋敷に誰もおらず、犬と猫がお相手してたようです。当地ではよくあることなのですが、失礼いたしました。
試作した料理は、プレスリリースの通り、以下9品〜
1)鶏卵の色付の傳 かまほこ紅花留の法(玉子)
2)熨斗豆腐ニして菊とふふを拵る法(めん)
3)茄子、瓜、ささけ青漬の法(漬け物)
4)直に生麩の拵ひ様(ふ)
5)鯛の潮煮の事(鯛の潮汁)
6)揚麩の法ハ(ふ)
7)水仙玉子(玉子)
8)落雁の事(らくがん)
9) 焼鳥の仕様(焼き鳥)
7月17日に仕込んだ、「かつおのたたき」の熟成発酵度合いを確認。
どれどれと壷を覗くと…
なんかいい感じ。生臭さもかなり取れている。
ちょいと舐めてみれば…
塩っぱいっ!たはっ。という感じでした。
もうすこしまろやかになるといいけど、これはこれで、アンチョビみたいに、ニンニクとオリーブオイルでパスタ炒め、ちょいといれれば、すごくおいしそう。当時は、お酒の肴か、ごはんのおかずにしたのでしょうか。熟成進めば、魚醤として使ったのかもしれません。しかし、発酵の特性を巧みに使ったこの魚の保存食製法は、すばらしい。
今回は、玉子を素材に、美しく細工し、目で楽しむ料理がありまして、大変手間がかかりました。
料理スタッフの皆様、いつも大変おつかれさまです。試作も3回目になると、おいしいのができるのがわかってきまして、試食タイムがとっても楽しみになってます。
餅や、おにぎりなど加え、料理も揃い、撮影も終わり、乾杯〜。
しかし、今回の水仙玉子などは、ハレの料理なんでしょうね。当時玉子は高価だったんだろうし、それを存分に使い、細工を施し、美しく品の良い味に仕上げたのですから。
150年前の焼き鳥は、今とほぼ変わりませんが、塩焼きが基本で、焼いた後タレを漬けて食べるものです。今の付けダレの後、焼くやり方ではありませんでした。今回は地鶏を使い、ジューシーで贅沢な焼き鳥の味わいでしたが、実際はより小さい野鳥の肉を使っていたと思います。
竹串は、男衆の担当。裏山の竹を切って自作。杉尾アナウンサーもナタをふるう。
今回の試作は、手間のかかる料理が多くて、試行錯誤も多かったのですが、回を重ねるごとに料理書のレシピの正確さに驚きます。
例えば、鶏卵の色付の傳〜。作ってみたら大変美しいものができました。このような繊細な食の美もちゃんと追求してたのですね。
基本的に、料理書から口語訳したレシピには、何も足さなくても、素材の味を生かした、今においしいものが出来ることを、3回の試作を通して確信しました。当時は、食材の味そのものも、今とは違って天然無添加の濃いものだったのでは?と予想してみました。旬の味を存分に味わい、たくさん穫れたものは、保存食として活かす。魚のほかは、自分の土地で穫れた食物を自家製の味噌、醤油、塩、調味料で食べていたのでしょう。おそらくそのような食のスタイルが当時の上層大農家の標準だったと考えました。これらは、推測の域を出ませんが、今後、検証していきたいと思います。
「落雁の事」(らくがん)しっとりしてほんのり甘く、シンプルでおいしいお菓子ができました。
posted by 150年前の栗原の食復活プロジェクト事務局 at 19:50| 宮城
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プロジェクト試作ノート
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